琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】教養としてのイギリス貴族入門 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

世界で唯一の貴族院が存続する国、イギリス。隣国から流れる革命の風、戦争による後継者不足、法外な相続税による財産減少――幾度もの危機に瀕しながらなお、大英帝国を支え続ける貴族たちのたくましさはどこから生まれたのか。「持てる者」の知られざる困難と苦悩を辿りながら、千年を超えて受け継がれるノブレス・オブリージュの本質に迫る。イギリス研究の第一人者が明かす、驚くべき生存戦略


 僕自身は「貴族」とは縁遠い人生を送ってきましたし(多少縁があったのは『鳥貴族』くらいです)、「ろくに働きもせずに先祖代々の財産で悠々と暮らして、使用人に過酷な扱いをしている、感じの悪い人たち」というイメージを持っていました。
 その一方で、「誇るべき先祖がいる」とか「地元への愛着がある」人には、羨ましさもあるんですよね。

 「教養としての」と言われても、日本で暮らしている中年のおっさんにとっては、イギリス貴族の話なんて、「教養」としての意味があるのだろうか……と思いつつ読み始めたのです。
 「教養」というか、「貴族というのも、そんなにラクじゃないのだなあ」というのと、イギリスの「貴族制度」は、案外自由度が高いというか、けっこう柔軟に運用されながら、現在まで続いているというのが意外でした。

 「我が家の歴史と伝統」を重んじつつも、相続税が上がりまくって経済的に苦しくなってしまった貴族が多かったり、功績があった人が「一代貴族」として、継承権のない貴族に任命されることがあるのです。
 なんだか大相撲の親方制度みたいです。

 その一方で、貴族に生まれながらも、自分自身の信念や置かれた状況で「貴族であることを自分の代では放棄し、自分の死後は次代の子孫(後継者)が再度その爵位を継承していく」という「一時停止システム」も存在しています。


 著者は、最近イギリスで起こった、こんな話を紹介しています。

 このチャールズ三世が臨席した開会式(2023年11月7日)から10日後、ひとりの人物が新たな一代男爵に叙せられた。その名はデイヴィッド・キャメロン。2010年から16年まで保守党政権を率いた元首相である。2016年6月23日に実施された国民投票の結果、イギリスがEUヨーロッパ連合)から離脱することが僅差で決まり、その責任を取って首相を退任した後は、事実上、政界を引退していた。
 ところがそのキャメロンが、同じく保守党のリン・スナク首相によって突如外相に抜擢されたのである。しかしキャメロンはもはや議員生活からも引退しており、庶民院議席を持っていない。イギリスでは国会議員でなければ閣僚には就けないのだ。そこでスナク首相が見せた「離れ業」が、キャメロンを一代男爵に叙し、貴族院議員として外相に据えるというもので合った。
 2023年11月17日に、「キャメロン男爵(正式にはBaron Cameron of Chipping Norton)」は正式に貴族に叙され、その三日後、貴族院に初登院を果たした。
 キャメロン外相の活躍は今後に期すこととして、2023年というこの時代に合っても、「一代貴族」の制度はイギリス政治にとって「使い勝手のよい」ものなのかもしれない。


 首相まで務めたキャメロン氏は、一代男爵に値する功績はありそうですが、現代のイギリスの「爵位」は、こんな「裏ワザ」に利用されるくらいの「柔軟性」を持っているのです。
 

www.tokyo-np.co.jp


 正直、そこまでして、キャメロン元首相を復活させなければならなかったのだろうか……他に適任者はいなかったのか?と僕は思ったのですが。

 イギリスは庶民院貴族院の二院制なのですが、近年の慣例として、首相は庶民院議員から、ということになっており、歴史上、貴族院の有力議員だった人が、爵位の「一時停止システム」を利用して、貴族院を離れ、庶民院補欠選挙から当選して首相に就いた事例もあるそうです。


 ヨーロッパの「爵位」は、日本では中国の古代の爵位に当てはめて「公侯伯子男」の5つの段階で示されます。
 僕はこの本を読むまで、この5つは、会社の係長から課長、部長、重役、社長みたいに、功績によって同じ人が一代でどんどん上がっていくものだと思い込んでいました。
 しかしながら、この5つの爵位でも「公爵」は、他の爵位とは「別格」なのです。
 公爵は必ず爵位に地名を冠さなければならず、平均的な所有する土地も侯爵の3倍あり、大きな功績があった侯爵でも、「自分にはそんな財力はないから」と公爵へ格上げを辞退した例が少なくないそうです。家の格が上がれば、それだけさまざまな費用もかかってしまうから、と。

 公爵は爵位名の付け方でも別格であるが、尊称もまた他の爵位とは異なる。二人称で呼びかけるときは「閣下(Your Grace)となる。これは大主教など高位の聖職者のための尊称とも同じである。侯爵以下の貴族は日本語でいえば「閣下」で同じになるが、英語では「Your Lordship」と呼びかければよい。
 また、侯爵以下の貴族の場合には、爵位名も全て「Lord(卿)」という言葉で略することができる。たとえば先に登場したカーズン侯爵のことも「カーズン卿(Lord Curzon)」と呼びかけても怒られるようなことはない。
 しかし公爵については「Lord(卿)」で省略しようものなら大変なお叱りを受けること間違いなしである。さらにこの公爵をはじめ、すべての爵位には先祖が叙せられた順番に基づく「序列」が厳格に存在する。


 貴族になったらなったで、また番付のいちばん下から、ということになるのですから、大変そうではありますね。
 僕も含め、ほとんどの人にとっては縁のない話で、「公爵」に話しかける機会はないとは思いますが。

 イギリスに限らず、ヨーロッパの貴族たちが中世以来のモットーとして掲げているのが「高貴なるものの責務(フランス語でNoblesse obloge:ノブレス・オブリージュ)」である。すなわち、高貴な身分に生まれたものには必ずそれに応じた責務がともなう、という意味である。具体的には、いざ戦争ともなれば真っ先に戦場に駆けつける。平時においては領民たちが困るようなことがあればこれを救済する、ということになる。

 貴族たちは、地元の人たちに屋敷を開放して歓待したり、慈善事業に力を入れたりして、自らの責任を果たすとともに、民衆に支持されるように心がけていたのです。
 

 彼らジェントルマン階級の成年男子らは、中世以来の「高貴なるものの責務」の精神を信じ、(第一次世界)大戦勃発と同時に真っ先に戦場に駆けつけた。しかし、彼らを待ち受けていたのは、中世以来の華やかな甲冑を身にまとった騎士道精神などではなく、相手を無情にも大量に殺戮できる機関銃や砲弾だったのだ。
 ジェントルマン階級の子弟は士官学校の出身者も多くいたため、従軍時には年齢に応じて陸軍では中佐以下の将校クラスとなり、彼らは前線で自ら隊を率いて、突撃する場合が多かった。1914年の数字では、一般兵士の死亡率が17人に1人(5.9%)であったのに対し、貴族出身の将校の死亡率は7人に1人(14%)にも達していた。4年にもわたった大戦全体では、イギリス軍の全体の平均が8人に1人という戦死者の比率であり、貴族とその子弟に限るとそれは5人に1人という数字になったのである。


 第一次世界大戦というのは、それまでの人類が経験したことがない「総力戦」だったことがわかりますし、イギリスの貴族たちの「ノブレス・オブリージュ」は、口先だけではなかった、ということなのでしょう。

 著者は、イギリスの貴族たちが長い間一定の政治的な影響力を維持し続けられているのは、彼らが重い相続税を受け入れ(相続税が払えず、先祖代々の邸宅を売却したり、結婚式場やイベント会場にしたりしてやりくりしている貴族も多いのだとか)、貴族院庶民院の二院制において、庶民院の優越を受け入れるように時代に合わせて変化してきたからだ、と述べています。

 妥協しながらも、影響力や貴族というシステムはある程度保たれてはいるのですが、庶民から搾取して贅沢三昧、とは程遠いのが現代のほとんどの貴族の懐事情なのです。

 2023年の時点では、イギリスには公爵家が24、侯爵家が34、伯爵家が189、子爵家が110、男爵家(世襲)が449あり、806人の世襲貴族がいることになる。これに加え、1958年に制定された「一代男爵」も(2023年7月現在で)660人いるため、現代のイギリスには1460人ほどの貴族が存在するということになろう。

 ちなみに、2020年6月の時点でのイギリスの総人口は6700万人くらいです。
 イギリスの人口のなかで、貴族は、だいたい5万人に1人ということになりますね。
 貴族に生まれるのは、銀のスプーンを咥えてきたのか、それとも、貧乏くじなのか。
 
 いろいろ大変なことはあっても、一度は、そういう身分になってみたかった、とも思うのですけど。


fujipon.hatenablog.com

アクセスカウンター