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琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

なぜ日本人は落合博満が嫌いか ☆☆☆

内容紹介
選手としても監督としても実績は抜群なのに、落合博満への評価は低すぎるのではないか。落合流の超合理主義こそ、今日本人が参考にすべきリーダー像ではないか。無類の野球好きのテリー伊藤が鋭く突っ込む。

日本シリーズは3勝3敗で第7戦まで勝負が持ち越される熱戦となりました。
最終的には、今シーズン全球団から勝ち越すという驚異的な記録を打ち立てたソフトバンクが勝ち、8年ぶりの日本一に。
落合体制での集大成としてこのシーズンに臨んだ中日は、惜しくも敗れてしまいました。

落合監督は、退任が決まってから、あらためてその存在感がクローズアップされてきました。
多くの場合、監督が退任することが決まったチームは、選手の今後への不安が強くなったり、「監督のために頑張ろう」という気持ちが空回りしたりして、失速してしまうことが多いのですが、中日の後半戦の快進撃は本当にすごかった。

この新書では、大の巨人ファン、長嶋茂雄ファンであるテリー伊藤さんが、なぜか落合監督の魅力について語り尽くしています。
「なぜ日本人は落合博満が嫌いか?」

 プロスポーツもエンターテインメント産業なのだから、ファンを大切にするというのは当然である。ファンサービスも積極的にやるべきだ。
 ただ、ONが光り輝いていた時代に育った私には「プロ野球選手は、ファンの側に降りてこなくていい。遠くて輝いていてくれればそれでいい」という思いもある。
 そして、とかく「サービス不足」を指摘される落合監督は、ファンサービスについて、こう言っている。
「最近。ファンサービス、ファンサービスと言われるが、球場に来ていただいた方に、勝って気分よく帰ってもらうことがファンサービス。勝つこと、優勝することしか考えていません」
 そう断言するのを聞いて、「プロなんだから勝つこと以外にもファンを楽しませることを考えるべきだ」と反論する人も多いだろう。
 勝敗や数字以上にドラマチックな野球が見たいとか、もっとパフォーマンスをしてほしいとか、何かもっと新しいファンサービスがほしいとか。
 いったい、そんなことを言っている人たちは、落合監督ナゴヤドームで裸踊りやマジックショーでもやれば喜ぶというのだろうか。
 たしかに野球には、ときとして勝敗を越えるようなドラマが起こることがある。だがそれは「さあ、きょうはドラマチックな試合をしてやろう」などというスケベ心から生まれるわけではない。
 それは火花を散らすような真剣勝負の産物なのだ。勝つために、打つために、抑えるために、すべてを捧げた者だけにドラマは起こるのだ。
 中日の元監督であり、OB会長でもある高木守道は、こう言っている。
「いろんな監督がパフォーマンスをしているなかで、わがドラゴンズの監督は不気味に黙っている。でも、落合監督にパフォーマンスは似合わない。不気味さが武器だと思っています。あの監督は何もしなくていい」
 さすが、かつて「日本一の名手」と呼ばれた高木守道。バランスということをよくわかっている。パフォーマンスが得意な人はやればいいし、そうでない人は別の武器で勝負すればいいと言っているのだ。
 考えてもみてほしい。いろんなタイプの選手や監督がいて、いろんなプレーや言動を見せてくれるからプロ野球は楽しいのだ。
 落合監督は、さまざまな批判を浴びても自分を貫くという、日本人には類いまれな道をたった1人で誇り高く歩んでいるのだ。そういう飛び抜けたキャラクターがいるからこそ、中日からもプロ野球からも目が離せないのだ。
 つまり、落合監督は、無愛想だったり、コメントがいちいち刺激的だったり、コメントさえしなかったり、そうやって「なんだ、落合は」と言われることこそが立派なパフォーマンスであり、ファンサービスになっているのだ。

 いやほんと、その通りなのだと思います。
 球団の偉い人や、地元のスポンサーたち、スポーツメディアの人たちは、落合監督の「つき合いの悪さ」に辟易していたのかもしれません。
 でも、中日ファンのみならず、野球ファンは、「媚びない落合監督」を、興味深く見守ってきました。
 
 周囲に愛想をふりまくというのは、サービスであるのと同時に、保身術でもあるわけです。
 多少結果が悪くても、地元のスポンサーたちのバックアップが強ければ、クビになりにくいはず。
 落合監督のようなスタイルだと、結果が出なくなれば、すぐに切られてしまうのです。
 いや、今回のように、チームが優勝しているにもかかわらず、切られてしまう場合すらある。

 ところで、僕がものすごく不思議だったのは、楽天の野村監督が退任させられたときに起こったような「ファンからの続投させてほしいという声」が、落合監督の場合には、さほど聞こえてこなかったことでした。
 みんなが落合監督の手腕と功績を高く評価している一方で、「ああいう偉い人との根回しができないタイプにしては、8年間もよくがんばったよなあ」という諦めムードも感じたのです。
 ファンは、チームが弱いときには、「とにかく勝てるチームを!」って思うものだけれども、常勝軍団になってしまうと、「こんな打てない野球じゃつまらない」なんてことを言い始めるものでもありますし。
 今回の日本シリーズを観ていても、7試合やって、中日には3点以上取れた試合が1試合もありませんでした。
 それでも3勝3敗まで持ちこみ、最終戦までもつれたのですが、中日ファンではない僕からみても、「この守り勝ち、接戦をモノにする野球だと、勝ってもファンはストレスがたまるだろうなあ」と。


 この新書のなかで興味深かったのは、落合監督のプロ入りまでのストーリーでした。
 東洋大学の野球部をやめた落合監督は、大学も1年で中退してしまいます。

 大学をやめて実家の秋田に帰り、ボウリング場でアルバイトをしていた落合は、そこでボウリングに目覚め、本気でプロボウラーになろうとしていた。
 たまたまプロテストを受けられなくなってしまったからプロボウラーにならなかっただけで、もし無事に受験していたら、まちがいなくずっとそこで生きていたことだろう。
 その後、東芝府中に「臨時工」として就職し、野球部に入った落合は、ここで再びバットを手にすることができた。だが、そこは川崎市の名門「東芝」とは似て非なるチームで、非常にマイナーなノンプロ球団だった。
 しかし、そのチームを落合のバットで初の都市対抗野球出場までもっていった。この活躍が、日中はトランジスタラジオの基盤をコツコツ組み立て、夕方から野球の練習をしていた臨時工員を25歳にしてプロ野球選手に出世させたのだ。その東芝府中野球部もリストラのあおりで、いまはもうない。落合物語の哀愁である。
「でも、勝負の世界なんだから、実力がある者は、いずれちゃんとそうやって頭角を現すものだよ」
 そんなことを本気で思っている人は、おそらくプロアマ含めて野球界には1人もいない。実力があってもつぶれる選手はいくらでもいるし、実力があってもつぶされる選手はいくらでもいる。
 こうして落合博満という野球人の序章を見ると、その後の落合があるほうが不思議なくらいなのだ。

 落合監督の、達観していようなものの見方は、いろんな偶然のおかげで」プロ野球の世界に入ったという「非野球エリートの視点」なのかもしれません。
 もちろん、成功には本人の実力が大きかったのだとしても、「臨時工」として就職したときの落合青年は、自分がプロ野球選手になれるなんて思っていなかったでしょうし、そもそも、なろうという気持ちもなかったはず。


 そして、落合監督はあんなふうに無愛想にみえるけれど、「選手の気持ち」になって考えられる人でもありました。
 2006年にリーグ制覇をはたした際に、大の中日ファンであるスタジオジブリ鈴木敏夫さんが、落合監督に尋ねたことがあるそうです。
「なぜ、愛想が悪いのか?」と。

 表情が一瞬、こわばった。落合監督は、ぼくの目をじっと見つめると、ゆっくりと丁寧に答えを言ってくれた。「オレのひとことで、選手は調子を崩す」。それだけ聞けば十分だった。

 みんなに優しく、公正であろうとすればするほど、人というのは、孤独で、無口になってしまうのかもしれません。


今回の退任劇と日本シリーズで、日本人は落合博満が好きになってしまったのではないかと思います。
最後の最後に巨大戦力を誇るソフトバンクに負けてしまったことによって、なおさら。


落合監督は「選手のおかげでここまで来られた。感謝しているよ」と言い残して去っていきました。
今年の中盤までの中日のチーム状態を考えると、落合監督の実質的な「解任」が決まってからの、この快進撃は、信じられないものでした。
日本シリーズを観ていてつくづく思い知らされたのですが、いくら野球はピッチャーとはいえ、これだけ打てないチームで勝つのは、さぞかし大変だったことでしょう。


もしかしたら、「日本人が落合博満を嫌う理由」というのは、「愛想が悪いから」ではなくて、「それでもちゃんと結果を残してきたから」なのかもしれませんね。
カッコよすぎるものね、そういう生きざまってさ。
落合監督の「愛想の悪さ」は真似できても、「結果を残す」のを真似できる人は、ほとんどいないでしょうし。