琥珀色の戯言

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アフリカ―資本主義最後のフロンティア ☆☆☆☆☆


アフリカ―資本主義最後のフロンティア (新潮新書)

アフリカ―資本主義最後のフロンティア (新潮新書)

内容(「BOOK」データベースより)
いまアフリカに、世界中の熱い視線が注がれている。「大虐殺の地」ルワンダは「アフリカのシンガポール」を目標に急成長。マサイ族の生活も携帯電話の普及で一変した。タンザニアボツワナは、資源をテコに「中進国」への戦略を描く。不幸な歴史に苦しめられてきた豊かなる大地で何が起きているのか。大反響を呼んだNHKスペシャル「アフリカンドリーム」の取材チームが深層に迫る。

書店でみかけて、まあ、ありがちな「時事ネタ、世界ネタ新書」なんだろうな、と思いつつ購入。
しかしながら、この新書、僕の予想を裏切って「当たり」でした。
僕のなかでの『アフリカ』というと、いまでも「野生動物がたくさんいて、人々が飢えている、未開の大地」というイメージで、かなり前に観た、「いかりや長介さんのアフリカ探検記」の延長みたいなものでした。
最近では、ルワンダでの民族紛争を題材にした『ホテル・ルワンダ』を観て、「ああ、まだやっぱり『野蛮な国』なんだな」と納得してみたり。
そんな僕は、この新書を読んで、驚かずにはいられませんでした。
アフリカは、確実に変わってきているのです。
そういうアフリカを知らずに『ブッシュマン』や『いかりやさんのアフリカ探検』のイメージにとらわれているのでは、外国人が、日本を「フジヤマ、ゲイシャの国」だと思い続けている外国人と同じ、なんですよね。

「その携帯電話はいつ買ったんですか?」
「去年よ。ちょうど夫が出稼ぎにいくことが決まったから、思い切って牛を売ってお金を工面したのよ」
 マサイにとって牛は貴重な財産であり、社会的なステイタスを示すものでもある。牛を持っていない男は恋愛対象にならないというほどだ。携帯電話のために、その牛を売ったとは驚いた。
「他にも携帯電話を持っている人がいたら見せてもらえますか?」
 すると、ほとんどの女性がふところから携帯電話を取りだして手をあげた。驚くべきことに、この集落では8割の女性が携帯電話を持っていたのだ。


 この村で携帯電話の普及が始まったのは2年前、2008年頃からだという。きっかけは、大手携帯電話会社のサファリコムが、近くのサバンナの丘にアンテナを建てたことだった。そして、いざネットワークがつながるようになったときに、真っ先に携帯電話を手に入れたのが女たちだった。
 実は今、マサイ族の間では子どもの教育熱が高まっているという。教育費を稼ぐために都会に出稼ぎに行く男たちも増えている。もともとマサイ族は家族の絆が強く、出稼ぎに行くのを嫌う男も多かった。しかし、「携帯電話があれば、離れていても家族の絆が保てるから」と妻に説得され、出稼ぎに行く男性が増えたのだという。

 今、アフリカで爆発的な勢いで携帯電話が普及している。
 ケニアを例に見てみよう。ケニアの人口はおよそ4000万人。2004年に携帯電話を利用していたのは、わずか6%ほど。250万人あまりにすぎなかった。しかし、わずか5年後の2009年。利用者はおよそ8倍にふくれあがった。その数、1900万人以上。普及率は50%に迫っている。

「マサイ族に携帯電話が急速に普及している」なんて話を聞くと、「そんなのマサイ族らしくないだろ!」と、つい思う自分に苦笑してしまいます。
周囲は勝手に「らしさ」を押しつけてしまうけれど、彼らのように広大な土地を移動しながら働いている人たちにとっては、携帯電話というのはすごく便利なものであり、導入する側からしても、アンテナ1本で広い地域をカバーできる携帯電話回線のほうが、固定電話よりもはるかにインフラ整備がラク、なのだそうです。
考えてみれば、たしかにその通りなんですよね。
マサイ族だって便利なものを使いたいのは、あたりまえのこと。


この本でアフリカの現状を読んでみると、いわゆる「グローバリズム」によって、世界は本当に狭くなり、均質化していっているのだな、ということが実感できます。

こんな有名な小話があります。

二人の靴のセールスマンがアフリカのとある国に派遣されました。
一人のセールスマンは意気消沈して本社に戻って来て、こう部長に報告しました。「あそこには靴のマーケットはありません。なぜならみんな裸足なのです」。
でも、もう一人のセールスマンはなかなか帰ってきません。
心配になった部長が国際電話をかけると、彼は、意気揚々と言ったのです。「部長、ここのマーケットは無尽蔵です。なぜならみんな裸足なのです!」と。

「アフリカでそんなものが売れるものか!」とは、もう誰も思っていない。
「アフリカにまだ無いもの」を、一番先に供給しようという競争が、激化しています。

いま、エチオピアで独占的に携帯電話のインフラを整備しているのは、中国の企業なのだそうです。
「中国の技術なんて、安いだけで粗悪なんじゃないの?」とか考えてしまいがちなのですが、いまや、中国のありあまるエネルギーと人口は、世界を席巻しようとしています。
そもそも、これだけ携帯電話の技術が進歩してくれば、「最先端の高価で扱いにくい技術」でなくても、「ある程度は安定して稼働してくれる、安価な技術」で十分な場合も少なくありません。
この本によると、今の中国では、「技術者を養成するために大学を急激に増やし、その卒業生も一挙に増えたけれど、それだけの若い技術者を受け入れるだけの国内企業のキャパがなく、すごい就職難になっている」のだとか。
そこで、若くて優秀な技術者たちも、「仕事を得るために、開発途上国に何年も派遣されるような業務を厭わない」のだそうです。

日本企業だって、がんばってはいるはずなんですよ。
でも、この新書を読んでいると、中国のマグマのような「海外への発展欲」に太刀打ちしていくのは難しいだろうな、と考えざるをえません。


アフリカの国家の間にも「格差」があり、同じ国でも、国民の間に「格差」がある。
これを克服するのは、とても難しい問題です。
みんなが平等に豊かになれればいいのだろうけど、「みんなが貧しいままであるよりは、一部の『できる人』がどんどんリッチになって、みんなに分け与えたほうが手っ取り早い」というのも、間違いではないのでしょうし。

それにしても、これで「資本主義の最後のフロンティア」であるアフリカまで、すっかり『資本主義』に染まってしまったら、世界の欲望は、どこに向かっていくのだろうか?
そんなことを、考えずにはいられませんでした。


最後に、この本のなかで、もっとも印象に残ったエピソード。
ホテル・ルワンダ』という映画を観たことがあるのですが、ルワンダという国は、1994年に起きた「ルワンダ大虐殺」で世界に知られることになりました。
人口の8割以上を占める多数派のフツ族と1割ほどの少数派ツチ族
1994年に政権を握ったフツ族の強硬派が、ラジオなどで人々を扇動したことで、2つの民族の対立が激化し、100日間で80万人以上の人々が犠牲になったと言われています(「今も死者の数は正確にはわからない」ということです)。
ところが、このルワンダは、近年、「アフリカの奇跡」と呼ばれる、めざましい復興をとげているのです。

「過去5年間の経済成長率は、世界でもトップクラスの平均8%」「『世界一短期間でビジネス環境の改革を実現した国』として世界銀行が称賛」「国を率いるカガメ大統領は『CEO大統領』と呼ばれ、『ルワンダはアフリカのシンガポールになる』と豪語」

この急激な復興には、カガメ大統領の就任により、海外から帰ってきたツチ族の力が大きく貢献しています。
しかし、ツチ族が権力を手にしたことで、今度はフツ族潜在的な不満が高まってきてもいます。

そんななか、ツチ族でありながら、フツ族の農民と共同で、コーヒー農園を開こうとしているピエールさんが、この本のなかで紹介されています。

「ちょっと見せたいものがあるんです」
 フツ族の村に行く途中、ピエール氏はある小さな丘で車を止めた」
「ここは私の母親が住んでいた村です。ちょっと一緒に歩きませんか」
 丘の稜線を歩くこと10分ほど。こんもりと木が茂った一角があった。母親が住んでいた家の跡だった。近づいてみると、レンガ造りの壁がわずかに残っているだけ。大虐殺の際、隣人のフツ族によって破壊され、何もかも略奪されていた。
 私は思い切ってピエール氏に疑問をぶつけた。あなたは、母親の命を奪った相手をなぜ赦すことができるのか? 怒りや戸惑いはないのか?
「もちろん最初は赦すことなんてできませんでした。フツ族の人間とすれ違うだけで、言いようのない怒りがこみあげてきて、自分を抑えることができませんでした」
 ピエール氏は胸に手をあてて自分に言い聞かせるように言葉を続けた。
「しかし、怒りに我を忘れそうになったときに、母親がいつも私に言い聞かせていた言葉を思い出したのです。それは『ツチ族フツ族も同じルワンダ人なんだ。必ずともに生きていける時代が来る』という言葉です。私は母が遺してくれたその言葉を今も信じているのです」
 ツチ族フツ族も同じルワンダ人――。ピエールの母親が残した言葉。それは実は歴史的にも、科学的にも正しい考え方だ。もともと2つの民族は同じ言葉を話し、同じ文化を共有し、その境界線はあいまいだった。民族を超えた結婚も盛んに行われていた。

(中略)

 そうした中、フツ、ツチという2つのグループを民族として峻別し、優劣をつけたのがベルギーによる植民地支配だった。
 そもそもベルギーはなぜツチ族を優遇したのか? その理由は実にあきれたものだった。ツチ族には比較的背が高くて鼻筋が通った人が多く、欧米人に似ている。だから優れた民族だというのだ。
 当時、ヨーロッパでは、ナチスによるユダヤ人差別の理論的な支柱となった優生思想が流行していた。民族には優劣がある、そして欧米人がその頂点に立つ、という誤った思想だ。最終的にホロコーストに行き着いたこの思想がアフリカの地に伝わって、2つの民族を分断し、後の大虐殺を生みだすことにつながったのだ。

 対立の中、「同じルワンダ人」の共存共栄を信じていた、ピエールさんのお母さん。
 憎しみの連鎖のなか、こんな素晴らしい人がいたのだ、ということ、そして、その志を受け継いで、憎しみの連鎖を超えようとしている息子さんがいるということに、涙が出てきました。
 でも、考えてみてください。
 裏を返せば、「ピエールさんのお母さんのような『ルワンダ人の未来』を信じていた人がいたにもかかわらず、あの大虐殺は起こってしまった」のです。
 人は本当に弱いものだし、ひとりの人間の「善意」なんて、圧倒的な暴力の前では無力です。
 日頃は「共存共栄」を求めていた人でも、虐殺がはじまったら、武器をとらずにはいられなかったかもしれません。

 植民地時代に外国人が「自分たちに少しは似ているかどうか」ではじめた、バカバカしい「差別」でさえ、こんな悲劇につながってしまう。
 人間というのは、「差別したい生き物」なのでしょうか……
 「虐殺」という蛮行に日本は関係ない、と言いたいけれど、人の心の本質というのは、ルワンダ人も日本人もそんなに変わらないのではないのでしょうし、「差別してしまう心」との闘いは、どこの国でも、どこの民族でも、どの人でも、けっして終わることはないと僕は思います。

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