琥珀色の戯言

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【読書感想】成功者K ☆☆☆☆

成功者K

成功者K


Kindle版もあります。

成功者K

成功者K

内容紹介
ある朝目覚めると、Kは有名人になっていた。TVに出まくり、寄ってくるファンや知人女性と性交を重ねるK。これは実話か、フィクションか!?又吉直樹氏推薦、芥川賞作家の超話題作!


 こんなの「成功者K」じゃなくて、「性交者K」じゃねえか!
 ……たぶん、この本の感想を書く人の8割が、このネタを使うのではないかなあ。

 7月16日、カトチエや佐森氏、大島氏たち数人の小説家や編集者、インターネット番組のディレクターら10人ほどが集まったヘヴィーメタル限定カラオケで、Kはヘヴィーメタルバンドのボーカル“D閣下”のメイクを自分の顔に施した。白塗りベースに、顔を灰色、目の周りを赤く塗るメイクは、その数日前に画材屋で道具を揃え、一度練習済みだった。お祭り騒ぎが嫌いだった自分がなぜそこまで熱を入れていたのか、Kも今となってはよくわからない。ただ、インターネット番組のカメラが入っていなければそこまではしなかったと思っている。カメラを向けられる前提であったから、白塗りのメイクを施しKはD閣下となり、恥ずかしさも感じなかったのだ。


 はたして、どこまでがノンフィクションで、どこからがフィクションなのか?
 芥川賞の「選考結果待ち」で、「D閣下メイク」をしてカラオケで熱唱している写真が拡散されたこともあり、一気に「時の人」となった作家・K。
 それまでは「売れない純文学作家」だったのに、「芥川賞特需」の際に、バラエティ番組にも積極的に出演したことによって(著書をアピールするため、ということと、もともと、目立つのが嫌いじゃなかったんでしょうね)、知名度はうなぎ上りです。
 そのなかで、「なぜ、有名人は傍からみると『調子に乗っている』ようにみえるのか?」「女性にモテるのか?」という疑問について、「K」は自らを実験台のようにして謎解きをしていくのです。
 帽子を深くかぶり、マスクをしないと外出できない「K」は、サイン会に来場したファンの女性や学生時代の同級生と、あっさり「寝て」しまいます。
 なんなんだその人生!
 世の中に、こんな『グラディウス』の「コナミコマンド」みたいな裏ワザがあるのかよ(ちなみに「コナミコマンド」を入力すると、自機がいきなり最強装備になるのです)!
 そもそも、僕の感覚では、初対面(あるいはそれに近い)人は、昔からの知り合いと、いきなり「寝て」しまうっていうことが起こる状況そのものが、想像もつかないんですよ。
 ところが、「有名人」になった「K」の前では、多くの魅力的な女性が、いともあっさりと「許して」しまう。
 そういえば、大学時代に、「そういうこと」が信じられなかった僕は、ある先輩に「そういう、ゆきずりの関係なんて、都市伝説ですよね、実際にはないですよね」と訊ねたことがあるのです。
 その先輩の答えは、「いや、しょっちゅうじゃないけど、そういうことって、あるよ」でした。
 僕は、りゅうおうから「せかいのはんぶん」として「やみのせかい」をもらってしまったのだろうか。

 とはいえ、この本を読んでいると、「成功者K」は、モテているようで、女性と関係することばかり考えるようになってしまったようにみえるし、某密着ドキュメンタリー番組では、全く身に覚えがないような「実像」をつくりあげられて困惑しています。
 でも、「やっぱり、有名になっても、幸せにはなれないよね、かわいそうだね」なんて思えるほど、僕は傲慢でもない。
 「K」が、ものすごくうらやましい、わけではないけれど、「こういう『成功者の人生』を体験することもないまま死んでいくであろう自分」のことを思うと、なんだかけっこう寂しくもなります。


 なんだか、これを読んでいると、筒井康隆さんの『大いなる助走』を思い出してしまいました。
 筒井さんは、当時のSFへの偏見などもあって、候補になりながら直木賞を獲れなかったのですが、その怨念(?)を小説にして、それがまた話題になって売れたんですよね。
 こういうのは自省なのか自虐なのか、「炎上風セルフプロデュース」なのか、僕にはわからないのだけれど、羽田圭介さんは「こういう小説は、文学的な評価はさておき、多くの人に興味を持ってもらえる、売れる」という確信を持っているのは伝わってきます。
 そして、実際にこの「下世話なんだけれど、気になる有名人の告白風小説」は、かなり売れているのです。
 僕もこうして読んでいるわけですし。
 今の世の中、郷ひろみの『ダディ』や清水富美加の『全部、言っちゃうね。』と「私小説」の境界が、本当にあるのだろうか?
 あるとするならば、それは「著者が有名人か」だけではないのか。
 いや、「今の世の中」に限ったことじゃなくて、太宰治の小説とか、村上春樹の『ノルウェイの森』では、読者は登場人物に作者を重ねているはずです。


 個人的には、この小説の「攻めている感じ」は、嫌いじゃないんですよ。
 でも、ラストは「ここまで書いておいて、最後に逃げ道をつくるなんて、羽田さん、日和ったのか?」と思いました。
 まあ、実際どこまで本当なんだかわからない小説ですが、「想像力だけで書かれたものではない」はずです。

 Kは元来、謙虚な性格だった。
 自信をもって自分のことをそう分析するKだったが、芥川賞受賞以降のここ数ヶ月間で、人が生意気になるプロセスを知った。自分でぜんぶ判断してゆく限り、態度を大きくし優先順位を明確にさせていかないと、すべてをさばけないのだ。
 たとえば新しくきた気乗りのしない仕事依頼に、日本人特有の、嫌われたくないあまりの婉曲な言い回しで断ってみても、相手はまだ可能性が残っているのかと食い下がってきたりする。それに対しメールで再度断りの返事をするという二度手間は、暇なときだったらこなせる。ただ同じような依頼が日に何件も来るような時期には、無理だ。提示された金額に不満があったら挨拶の文面は無視し真っ先に希望額を提示し、断る仕事は単刀直入に断った。依頼を無視して返事もしないよりはマシだと、Kは考えている。限られた時間ですべての仕事依頼に意思決定をくだし返事をだすために、大きな声と態度で強気に押しとおすのは、その人の人間性というより、物理的な理由に起因するものなのだ。

 こういうのって、実際に自分が生意気だと言われる立場になって、しかもそれを自覚してみないと、なかなか想像だけではわからないことですよね。
 そもそも、当事者にとっては「生意気になった」というよりは「そうせざるえなくなっているだけ」なのでしょうし。

「セルフ炎上商法」なのか、「自分の貴重な体験を作品に昇華したフィクション」なのか?
 いずれにしても、ここまでやられると、正直「参りました。お代は払わせていただきます」としか言いようがないな、というのが僕の実感です。

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