琥珀色の戯言

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【読書感想】素顔の西郷隆盛 ☆☆☆☆

素顔の西郷隆盛 (新潮新書)

素顔の西郷隆盛 (新潮新書)


Kindle版もあります。

素顔の西郷隆盛(新潮新書)

素顔の西郷隆盛(新潮新書)

内容(「BOOK」データベースより)
今から百五十年前、この国のかたちを一変させた西郷隆盛とは、いったい何者か。薩摩での生い立ちから、悩み多き青春と心中未遂、流謫の南島から幕末の渦中へと舞い戻り、策謀と戦闘の果てに倒幕を成し遂げ、ついには賊軍として西南戦争で自決するまで―後代の神格化と英雄視を離れて、「大西郷」の意外な素顔を活写、その人間像と維新史を浮き彫りにする。


 西郷隆盛とは、どんな人だったのか。
 最後は西南戦争で「賊将」として落命したにもかかわらず、西郷隆盛という人は、ずっと多くの日本人に敬愛されつづけているのです。
 この新書、『武士の家計簿』の著者であり、現在放送中のNHK大河ドラマ『西郷どん』の歴史監修もつとめておられる磯田道史さんが、西郷の人生を辿りながら、その人となりを追っていく、というものです。


 西郷が江戸に出発したときの話。

 西郷はいよいよ出発の前日、離別の杯を汲もうと家の者を集めます。しかし、老僕の権兵衛が風邪のため姿が見えませんでした。驚いた西郷が近くにある権兵衛の家を見舞うと権兵衛は目に涙を浮かべながらこう言います。
「はからずも病のせいで若様の門出を拝むことができないのを残念に思っていましたが、こうしてお顔を見ることができ、もはや死んでも思い残すことはありません。明朝のご出発でさぞ御用も多いことでしょう、早くお帰りください」
 しかし西郷は枕元を去ろうとしません。
「父母亡き後、私たちを助けてくれたあなたの苦労は実の親とも思って頼りにしていたのに、病気のまま後に残して江戸に行くのは悲しい。明日出発したら、いつまた会えるかもわからないから、せめて今晩だけは看病をさせてもらいたい」
 そう言って権兵衛の制止も聞かず終夜看病をしたといいます。その頃の武士にすれば下男などごく軽い存在であったのに、西郷は下男の枕元で大切な出発前夜を過ごしていたのです。すでに、この頃から西郷には「人間平等」の行動が見えます。人をいたわる心を持っている証です。
 権兵衛はもちろん、話を聞いた近隣の者は皆、西郷の徳を慕いました。西南戦争でも三州(薩摩・大隅・日向)の子弟たちが西郷のために命を捨て、鹿児島の人たちが今なお西郷の徳を慕うのは、こんな慈しみと思いやりある逸話が多いからなのです。


 西郷隆盛という人は「公」を大事にし、身分が下の者たちもないがしろにしない、博愛の人だったのでしょう。
 しかしながら、著者は、西郷がそういう人だからこそ、身内をみんな巻き込んでしまったことも指摘しています。
 西郷の弟たちは、明治維新西南戦争で戦死していきました(重傷を負ったあと、なんとか生き延びた弟の従道は、明治維新後は隆盛と距離を置いていたようです)。
 「あの西郷の身内」であることによって、見本を示さなくてはならない立場になり、軍人に向いていそうもないのに、前線で戦うことを余儀なくされた弟もいました。
 そのうえ、西郷は贅沢を是とする人ではなく、家族も経済的な「おこぼれ」にあずかることもなかったのです。
 そして、家族だけではなく、人徳を慕って集まってきた若者たちも、西南戦争まで西郷と行動をともにし、多くが命を落とすことになったのです。
 

 西郷隆盛島津久光の関係についても、あらためて考えさせられるところがありました。
 文久二年(1862)に横浜で生麦事件が起こり、京都の情勢が緊迫してきた際に、薩摩藩内では、島流しにされていた西郷隆盛を呼び戻そう、という動きが出てきます。難しい情勢のなかで、薩摩の存在感を発揮するには、西郷の力が必要だから、と。

 (島津)久光の側近だった高崎正風と高崎五六が召還を願い出ると久光は血相を変え、西郷は自分の意に背いて不埒なことをしたがために遠島を命じたので、そんなことは毛頭許さんと言って、絶対許してくれそうもなかった。しかし高崎正風は、こう言って説得します。
「愚昧な我々には西郷が賢いかどうかわかりませんが、御先代の斉彬公が特に選び抜いてお使いになったことを考えれば、よもや不忠不義の者ではないでしょう。それとも、御先代様の眼が曇っていたのでしょうか」
 一番痛いところを突かれた久光は黙ってしまい、やがて、「孟子に左右皆賢なりと言うのと同じで、皆が賢いと言うのに、不肖久光一人が遮る理屈はない。この上は、大守(息子である藩主)に申し上げて指図を待つ外はない」と嫌々ながら承知するわけです。
 この時の内心の久光の怒りはすさまじく、「西郷は謀反気のあるやつだから、薬鍋をかけても到底死ぬものではない」と後で言ったという説もあります。あいつは自分に忠義心などないから、いつか必ず裏切るだろうということです。互いに好きではないのに、相手のことはよくわかっているという、極めて不思議な主従関係です。


 幕末を代表する名君である島津斉彬と、凡庸な君主で、西郷とも折り合いが悪かった島津久光、という先入観があったのですが、久光は、最終的には西郷を再登用しているのです。
 ほんとうに凡庸な、あるいは無能な人であれば、西郷の命を奪うことや「干す」ことだってありえたのです。久光には、こういう臣下の苦言を聞き入れるだけの度量もあった、というべきでしょう。
 つねに先代と比較され、侮られてきた久光とすれば、そのコンプレックスを刺激してくる西郷という人は、鬱陶しい存在だったでしょうし。
 島津斉彬という人の気概や能力を考えると、もしずっと存命であれば、やりすぎて諸外国を事を構えることになったり、幕府との内戦を徹底的に行うことになった可能性もあります。
 もちろん、斉彬のおかげで、より良い方向に日本が進んでいった、という想像もできるんですけどね。

 西郷は足利尊氏に似て、ムラの多いリーダーです。見事な指揮をする時期と、ふさぎこんで無能の人になる時期との差が大きいのです。
 西郷は、身近な人が死ぬと、生きる意味とか、これから何をすべきかとか厳しい内省を始めてしまいます。大自然の中での狩りのような遁世、なるべく人間のいないところへと逃避していきます。それが一段落すると、決まってまた、中央政界に引っ張り出されるのです。
 箱館戦争でも、榎本や大鳥圭介の処分問題が起きました。長州の品川弥二郎などが、簡単に許すわけにはいかん、と言いだします。西郷は、「降参人を殺さざるは薩摩古来の掟なり」、つまりここでも榎本は駿府の徳川に預ければいい、と寛典を唱えます。新政府の基礎が定まってないのに、そんな緩い処分をしたらまた大乱が起きるじゃないか、と品川が怒ると西郷は平然として、こう言ったそうです。
「そんな心配はご無用。それで騒動が起きたら、吉之助が藩の兵を率いて鎮定に行く。駿府には大久保一翁がいて徳川を守っているが、榎本のために動かされるようなら、この西郷が大久保らも一網打尽にしてやるから安心しろ」


 ひとりの人物のなかに、優柔不断で内省的な時期と勢力的に活動する時期が、あまりにも両極端にみられる、というのは、たしかに、足利尊氏を彷彿とさせるものがあります。
 引きこもってしまうときもあれば、「何かあったら、俺が一網打尽にしてやるから安心しろ」と傲慢なほどの自信をみせるときもある。
 当時の人も、西郷隆盛という人が、よくわからないからこそ、惹きつけられたのかもしれませんね。


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