琥珀色の戯言

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【読書感想】ガリバルディ - イタリア建国の英雄 ☆☆☆☆

内容紹介
一八六一年、小国が分立していたイタリアを統一に導いた英雄ガリバルディ。南米へ渡り、ウルグアイ独立運動を支援。戦功と名声はヨーロッパにまで届いた。
帰国後、千人隊を組織してイタリアを狙うフランス軍を破り、シチリア南イタリアを解放した統一の立役者である。
活躍は神話となり、明治日本でも西郷隆盛と比較され、死に際し各紙が報道するなど、影響を与えた。
イタリア建国に生涯をかけた「祖国の父」の実像に迫る。


 イタリア統一のために活躍した英雄・ガリバルディ
 ……とはいえ、それ以上の知識が僕には無かったんですよね。
 そういえば、最近そんな名前の競争馬が活躍しているな、とか。
 そんなとき、この新書を見つけ、読んでみることにしました。

 19世紀イタリアに一人の英雄がいた。その名をジュゼッペ・ガリバルディ(Giuseppe Garibaldi 1807〜82)という。
 イタリアの町や村に、ガリバルディの名前を冠した通りや広場が、かならずと言っていいほどある。ローマ、ミラーノ、ジェーノヴァ、ナーポリなど主要都市の駅前や中心部に巨大なガリバルディ銅像がある。そのほとんどが、かれが亡くなった1882年から1915年にかけて、イタリアが国民形成に取り組んでいた時期に建立されている。そこに住む人々は銅像を通じて、ガリバルディに日常的に親しく接していた。近代イタリアの「記憶の場」であった。それだけに、ガリバルディといを知らない人はいないであろう。


 ガリバルディは、イタリアでは知らない人がいない「英雄」であり、イタリア統一に大活躍しながら、統一後は権力を握ることなく、贅沢をすることもなく半隠遁生活をした、ということで、日本では「西郷隆盛のような」と評されることもあったそうです。
 とはいえ、ガリバルディは引退後もけっして「好々爺」になっていたわけではなくて、思いつきのようにイタリアの政治や他国の争いにちょっかいを出したりして、当時の権力者たちにとっては「建国の英雄で国民的な人気も高いので邪険にはできないが、扱いにくい目の上のたんこぶのような存在」でもあったみたいです。


 1860年に統一される前、ガリバルディ以前のイタリアは、オーストリアの宰相メッテルニヒに「イタリアとは(国の名前ではなく)、地理的名称にすぎない」と言われた、諸勢力が乱立する地域でした。

 イタリア半島の運命は、サルデーニャ王国が切り開くことになる。1859年の第二次イタリア独立戦争では、ナポレオン三世とヴィットーリオ・エマヌエーレ二世の同盟軍がオーストラリア軍と戦い、勝利をおさめた。
 それによって、まずオーストリアが支配していたロンバルディーアが、続いてトスカーナ大公国などの中部イタリアの諸邦がサルデーニャ王国に併合された。ヴェネツィアとローマ、そして両シチリア王国と境界国家は遺されたまま、イタリア統一はそこで終わるかに思われた。
 しかし、その時に、「傑作」としてのリソルジメント運動の仕上げが始まる。カヴールを中心とする穏和的自由主義者・君主主義者との関係で劣勢に立たされていた民主主義者は、英雄ガリバルディを押し立てて、義勇兵からなる千人隊をシチリアに派遣し、両シチリア王国を征服した。
 1860年5月11日のシチリア上陸から9月7日のナーポリ入城まで、わずか四ヵ月で、両シチリア王国ガリバルディ率いる千人隊は征服したのである。そして、南イタリアシチリアは住民の意志としてサルデーニャ王国に併合された。それは「傑作」と呼ぶにふさわしい歴史的な偉業であった。その主役はガリバルディであり、かれが近代イタリアの国民的英雄と見なされる所以はそこにある。


 それまで、イタリアが統一されるなんて、誰も信じていなかったところに、カヴールという政治家とガリバルディという英雄が登場したことによって、奇跡的に統一が成し遂げられたのです。
 このふたり、つねに反発しあっていたようなのですが、それでも、お互いの領分で力を発揮し、相手を徹底的に排除しようとはしませんでした。


 ガリバルディは、まず、ウルグアイで「イタリア軍団」として戦うことになるのですが、語り継がれる「赤シャツ」が誕生した経緯について、著者はこう書いています。

 イタリア軍団の制服は、後にガリバルディ伝説とも深くかかわる赤シャツである。シャツといっても、ウールの長上着で、ベルトで締めるものである。赤は政治的な意味を持つものでも、革命をさすものでもない、いかにも派手で、人目につく、ガリバルディ義勇兵部隊の象徴となる赤シャツの誕生は、イタリア軍団の資金不足の結果であり、そこにはドラマもなにも存在しない。
 血がついても汚れが目立たない、ブエノス・アイレスの食肉加工職人用の赤いシャツが戦争で出荷できずに、モンテビデオの倉庫に山積みになっていた。それを安く買いとって、イタリア軍団員の制服にしたというものである。


 「赤シャツ」は、ものすごく俗な、というか、現実的な理由で選ばれたものだったのですね。
 選ばれた、というか、選択の余地すら、ほとんど無かったのかもしれません。
 こういうのが歴史的な象徴になってしまうというのもまた、面白いところです。


 ガリバルディの軍団は勇猛ではあったのですが、権力者からは疎まれることが多く、主戦場以外の場所に派遣されることも多かったようです。
 そして、「身重の妻を見捨てたという疑惑」などにも晒されています。
 後年、アメリカ大統領・リンカーンから、南北戦争で北軍を率いることを要請されたこともありましたが、これは、アメリカの北軍側がガリバルディの「北軍の最高司令官の地位と奴隷制即時廃止の要求」に報えることができず、流れてしまったそうです。
 また、晩年は息子たちの散財で経済的苦境に陥ったり、小説を書いて出版したこともありました。
 この新書を読んでいると、ガリバルディは、きわめて情熱的で愛国心にあふれ、人々を鼓舞する才能に長けた人物であるのと同時に、気まぐれで、女性に目がなく、突発的にとんでもないことをやる人だったことがわかります。
 晩年には、国に対する小さな反乱に加担さえしているのですが、その国民的な人気が配慮され、重く処罰されることはありませんでした。
 まあでも、こういう人が「英雄」なんだろうな、とも思いますし、最後まで自分が王になることに興味を持たず、権力に反発し続けていたのも、好感度の高さの理由なのでしょう。

 生前、ガリバルディは人々を惹きつけ統合する、愛すべき対象であったが、他方で人々を離反させ、混乱を起こす憎しみの対象でもあった。しかし、かれは死によって、文句なしに、国民的英雄、祖国の父の一人となった。
 カブレーラ島にある三トンを超す自然石の墓石には、永遠に生き続けるかのように、日付もなにもない。ただ、ガリバルディの名前だけが刻まれている。


 当時の日本でも、ガリバルディの死は、新聞の一面を使って、詳細に報道されたそうです。
 「英雄の光と陰」というような深刻さより、「こういう面白くてめんどくさい人が、世界史のなかに存在していたんだなあ」と圧倒される、イタリア的な英雄・ガリバルディを知ることができる新書でした。

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