琥珀色の戯言

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【読書感想】「笑っていいとも!」とその時代 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

日本人にとって「いいとも!」とは何だったのか?
国民的人気番組で司会者タモリが媒介したテレビと戦後民主主義の歴史的邂逅――

1982年から2014年まで約32年間にわたり放送された国民的人気テレビ番組『笑っていいとも!』。
戦後の闇市から発展した新宿でスタジオアルタを拠点とし、タモリが司会を務めた、いまだ語り継がれるテレビ番組である。
司会者タモリおよび『いいとも!』を考察することは、テレビのみならず戦後日本社会を考察することにもつながる。
それは、現在のネット社会におけるテレビの可能性をも浮き彫りにさせることになるだろう。
衝撃のグランドフィナーレから10年を迎える今、改めて『いいとも!』とは何だったのかを問う。


 『笑っていいとも!』の最終回は2014年3月31日。同じ日の夜に「共演NG」と言われた人たちも含む、人気芸人たちがひとつのステージに立った、「グランドフィナーレ」が放送されています。
 あれから、もう10年も経つのか……いや、まだ10年しか経っていないのか……
 10年前もすでにテレビの凋落は叫ばれていたけれど、2024年からみれば、あの時代はまだ地上波テレビにも少しは元気があったような気がします。

 僕自身は、今年に入ってから、地上波をリアルタイムで観た記憶がほとんどなく(年初の能登半島地震の報道とアニメ『葬送のフリーレン』を何回かくらいです)、動画はネット映像配信かYouTubeで観ています。地上波には、もう、みたい番組がなくなってきているのです。
 僕の子供たち、今の10代になると、地上波の番組は、最初から選択肢に入ってすらいないように見えます。

 著者は、現在でも記憶に残る番組として話題に出ることがある『笑っていいとも!』は、笑って楽しめるというだけでなく、変わったところのある”ヘンな番組”だったように思う、と述べています。

 その一端は、番組でのタモリの立ち位置だ。「森田一義アワー」と掲げた、いわゆる冠番組であるにも関わらず、タモリ当人は、一見やる気があるのかないのかよくわからない。てきぱきと仕切る感じでもない。「必要以上に前に出ない」スタンスが番組の長続きの秘訣のように本人が語ったこともあったが、これだけ自己主張しない、言い換えれば「仕切らない司会者」は、当時とても珍しかった。司会者は英語で”master of ceremonies"と訳されたりもするが、タモリのたたずまいは、「主人」や「支配者」とはほど遠い。だがそうかと言って、存在感がないわけではない。メインのようであり、メインでないようでもある。そんな不思議なポジションだったのが、『いいとも!』のタモリだった。


 年齢的にも、『いいとも!』の最終回から、タモリさんは急速にフェードアウトしていくのではないか、と僕は思っていました。
 ところが、その後も『タモリ倶楽部』は終了したものの、『ミュージックステーション』の司会は続けていて、レギュラー番組としての放送は終了することが発表された『ブラタモリ』でも、大きな存在感を見せていたのです。
 伝説化している「グランドフィナーレ』でも、タモリさん以外の大物芸人が司会者だったら、あんなふうに、みんなが同じステージ立つことはなかったような気がします。

 タモリさんの後に、タモリさんのような存在は出てきていません。
 その一方で、「仕切らない司会者」や、「さまざまな想定外のハプニング(実際には、番組側が事前に用意していたものもあったようですが)」などの『笑っていいとも!』的なスタイルは、現在のYouTubeやネット映像配信サービスにも受け継がれているのです。

 そして、電話のかけ間違いで、なんと一般人が出演したこともあった。ある意味、黒柳徹子の”番組ジャック”以上のハプニングである。なにしろ、芸能人・著名人という大枠をはみ出してしまったのだから。
 ことの経緯はこうである。
 1984年4月23日のゲストは歌手の泰葉だった。歌手のしばたはつみを友だちとして紹介しようとした泰葉が電話をかけ、「もしもし、しばたさんのお宅ですか?」と言ったところ、「いえ、違います」という返事。相手は、広告会社の編集部に勤める女性だった。タモリが引き取って『笑っていいとも!』であることを説明すると、「ちょっと待ってくれます?」とテレビを見て確認した女性は、「間違いでなくていいんですけど」と満更でもない様子。そのノリの良さを感じ取ったタモリの「明日来てくれるかな?」に「いいともー!」と答え、その女性はなんと翌日「テレフォンショッキング」に出演を果たしたのである。
 その日から「一般人コース」が並行して始まった。その女性は通常と同じセットでタモリトークを繰り広げ、「やだぁ、恥ずかしい」と言いながら友だちを紹介。そして3人目までつながったが、4人目のひとの都合がつかず、タモリの「明日来てくれないかな?」という呼びかけに対し、電話の相手が「来れません」と答え、「一般人コース」は結局3日で終了することになった。
 これは、『いいとも!』という番組が究極の視聴者参加番組であったことの証である。観客が演者の一挙手一投足に反応し、放送中に声を上げることも許されていることの延長線上に、このようなハプニングが起こったと言えるだろう。
 ただ、そうであるがゆえに唖然とするようなハプニングが起こることもあった。「『いいとも!』終了」というマスコミ報道があった際、「テレフォンショッキング」の本番中にいきなり観客の男性がそのことをタモリに質すということもあった。タモリはそんな話は聞いていないので「違うんじゃないですか?」と答えた。その日のゲストである山崎邦正(現・月亭方正)があまりのハプニングに慌てふためいていると、タモリが「お前が連れてきたんだろ!?」と邦正にツッコみ、笑いに変えた。さらに「CM明けたらあそこにクマのぬいぐるみが座ってるぞ」と言ったタモリの言葉通り、CM明けにはクマのぬいぐるみがその男性の席に置かれていた(2005年9月21日放送。男性の退席は、本人と話し合い納得してもらったうえでのことだった)。

 後になってタモリ自身も明かしているように、「テレフォンショッキング」の出演交渉は放送中にいきなりではなく、実は事前になされていたようだ。そのことが知られるようになったきっかけも、「テレフォンショッキング」だった。2012年3月8日、出演した矢田亜希子が、電話をかけた大竹しのぶに対して「初めまして」と言ったのである(その後、「友だち紹介」ではなくなり、翌日のゲストは番組が決めるスタイルに変更された)。


 長く続いた番組でもあり、生放送ならではのハプニングもたくさんあったのです。
 テレフォンショッキングでのさまざまな出来事も、「どこまでが事前に用意されていた演出なのか?」を含めて、視聴者は楽しんでいたように思います。考えてみれば、スケジュールがかなり埋まっているはずの人気芸能人は、いきなり「明日、来てくれるかな〜」と依頼されても、いくら人気番組とはいっても、「いいとも!」にはならない確率が高いですよね。ある程度の事前の打ち合わせは行われているのだろう、とみんな思ってはいたけれど、本当にそうかどうかは明かされないし、証拠もない。
 そんな虚実の境目を見せてくれることも、『笑っていいとも!』の面白さだったのです。
 タモリさんは、ハプニングが起こった時に、むしろ活き活きとしているように見えましたし、そういう状況での「仕切り」や「笑いに変えてしまう能力」がすごかった。むしろ、そういう時にしか、タモリさんは本気になっていなかったのかもしれません。


 著者は、「グランドフィナーレ」での新旧レギュラー陣からタモリさんへの感謝のスピーチを紹介しています。

 涙ながらの感謝の言葉のなかにも笑いの絶えないスピーチが続くなか、ひとつ印象的だったのは、多くの芸人やタレントが、タモリが絶対に怒らなかったこと、そのずば抜けた寛容さを繰り返し強調していたことだ。
「一度も怒られたことがなかった」(香取慎吾)、「タモリさんの前ではなにを言ってもいいのかな(と思えた)」(さまぁ〜ず三村マサカズ)とった言葉。また笑福亭鶴瓶も「お笑いビッグ3」のなかで、ビートたけし明石家さんまの前では緊張するが、タモリの前では緊張しないと、その絶大な安心感を吐露した。
 また太田光は、いつも失言をしてしまう自分は『いいとも!』でも邪魔者になるんじゃないかと思っていたが、やはり怒られたことがない、と感謝したうえで、そんなタモリの姿勢はアバンギャルドなのではないかと語った。
 太田のこの分析は、なかなか興味深い。ここで彼がタモリについて言う「アバンギャルド」、つまり「前衛的」であるとは、ここまで繰り返し述べてきたように、あらゆるルールを嫌悪し、個々のリズムこそを重視すると言うタモリのジャズセッション的人生観を的確にいい得ていると思えるからだ。
 同じことは、相方の田中裕二がやはりスピーチで述べた言葉にも通じる。田中は、タモリ自身が「『いいとも!』にずっと慣れていない」のではないかと語った。そう見えるのもまた、タモリが、「司会とはこうあるべき」という決まり切った先入観、暗黙のルールを本質的に拒絶していたことの結果だろう。


「ビッグ3」でも、ビートたけしさんや明石家さんまさんは、大きな存在感は維持しているものの「喋りが聞き取りづらい」「芸風が古い」などという「衰え」を指摘する声を、ネットでよく見かけるのです。
 しかしながら、タモリさんは、3人のなかで最年長にもかかわらず、「理想の上司」「自由な生き方」など、どんどん好感度が上がってきているように見えます。
 「(カメラに映らないところでも)怒らない司会者」だったタモリさんのスタイルは、1980年代、2000年代よりも、2020年代のほうが、「さらに時代に寄り添っている」とも言えそうです。

 ただ、この本を読めば読むほど、「30歳まで福岡でサラリーマンをやっていて、芸能界に入ったのも偶然で、この仕事を自分からやりたいと思ったことはない」というタモリさんって、真似しようと思ってできる存在ではないな、とも感じます。


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