琥珀色の戯言

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【読書感想】動物になって生きてみた ☆☆☆

動物になって生きてみた

動物になって生きてみた


Kindle版もあります。

動物になって生きてみた

動物になって生きてみた

内容(「BOOK」データベースより)
アナグマとなって森で眠り、アカシカとなって猟犬に追われみる…動物の目と鼻、耳を通して世界を見て、嗅いで、聞いてみることで、自然のなかで動物として生きるとはどういうことかを考えた。世界12カ国で刊行のニューヨークタイムズ・ベストセラー!イグ・ノーベル賞生物学賞受賞!

 「動物たちの世界」に魅了された著者が、動物たちを(人間として)愛護するのではなく、実際に「動物の生活」を森で自ら実践して(子供たちもいっしょに!)体験したことを書いた本。
 「ニューヨークタイムズ・ベストセラー」なのかこれ……と思いながら読みはじめたのですが、正直、僕には読むのがつらかった。
 内容云々以前に、文章がやたらとまわりくどくて、読んでいると「目が滑っていく」のが自分でもわかります。もう内容はどうでもいいから、とりあえずページの端から端まで、目線を移動して、読んだことにしよう……途中からは、そんな感じでした。
 ああ、僕は「動物たちのリアルな生活」に基本的に興味がないんだな、そして、文体や表現の豊かさよりも「箇条書きで!」ってタイプなんだな、とあらためて思い知らされたのです。
 日本語訳が問題なのか、それとも、著者の知識が凄すぎて、ついていけないのか……
 僕の読解力が低いのではないか、と落ち込んだのですが、この本の「あまりにも豊穣すぎる表現」がフィットしなかった人はけっこう多いみたいなので、購入を検討される際には、書店で少しページをめくってみることをおすすめします。

 だが、何よりもまず、私はあたりをぶらついた。裸で震えながら荒野に座り込んで、雲が切れる様子を見つめた。イーストリン川で泳ぎ、ウナギがいる暗い穴に潜った。ウェールズの丘陵地帯に穴を掘り、そのなかで暮らした。幹線道路の脇に寝転び、大型トラックが通過するたびにヘッドライトに憤慨し、腹の下で舗装が揺れるのを感じた。みんなと同じように、日曜の午後になると不要なコートに身を包んで子どもたちと公園を歩きまわり、アヒルに餌をやった。そしてゆっくり、ゆっくり、ふたつ、みっつと言葉を覚え、自分の言葉も聞いてもらえることに気づいた。
 もしライオンが話せたとしても、ライオンの世界は人間の世界とは大きく異なっているから、私たちには何を言っているのかまったく理解できないだろうと言ったのは、ウィトゲンスタインだ。彼は間違っていた。彼は間違っていたと、私にはわかる。


 ここで、「ウィトゲンスタインって、誰?」と思ったあなた。
 たぶん、この本にはあまり向いていません。
 いや、知らないのが悪いとかそういうのではなくて、そういう方面への興味と知識がないと、僕と同じように、この本を読むことにストレスを感じる可能性が高いのではないかと。


 著者は、森に巣穴を掘って、そこで、息子さんと一緒に「アナグマの生活」を体験しています。

 私たちの巣穴の壁は周囲で曲がりくねり、まるで子宮のように生き生きとしていたが、それほど快適なものではなかった。土はねじれ、できそこない、もがき、伸び、ほとばしり出た。ミミズがポトリと落ちて私の口に入った。長椅子に寝そべった異国の王が奴隷の落とすブドウを歓迎するように、アナグマならミミズを歓迎しただろう。ただしそのミミズは、巣穴の壁に葬られたアナグマの死んだおばあちゃんでできているかもしれない。私は静かに吐き気を感じながら、ワラビの寝床に顔を埋めて眠りに戻った。
 はじめて地下で過ごしたこの数日と数夜は、私にたくさんのことを教えてくれた。がさつな無法者を気取っていた私は、惨めにも平凡な人間であることを教えられたのだった。私は結局のところ、ほんものの土でできた壁の絶え間ない変化と魅力よりも白塗りの壁のほうが好きだったし、雑然とした「ほんもの」より花模様の壁紙に繰り返される整然とした列のほうが好きだった。実際のところ、そしてこれは一番の心配の種だが、私は「ほんもの」より砂糖菓子のように甘い作りもののほうが、どんな砂糖菓子であっても好きだった。私はほんもののアナグマとほんものの野生より、私の頭のなかにあるアナグマと野生のほうが好きだった。頭のなかのものが私に求めるものはずっと少なかった。従順で、単純だった。そして私の欠点と、そんなに大声で言いふらしたりはしなかった。
 これはすべて、自分は免れていると思い込んでいた不快な状態——植民地主義——の症状だった。「あなたがたに、海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」と、私たちは保証された。これを文字通りに受け取るなら——実際にそうされてきたわけだが——悲惨な言葉だ。創世記の第1章からモンサント社の役員室に直行できる。世界中で狩猟の犠牲になった鳥獣の消滅現場、硝酸塩の粉で育ったキュウリが山積みされた米国中南部の黄塵地帯、原油を流出させたトリー・キャニオン号、工場式畜産場、後退を続ける氷河の先端、そのほか山ほどの高揚感にあふれた行先で、観光ピクニックに立ち寄れる。その途上、あらゆる場所で先住民を追うスポーツハンティングも見物できる。なぜって、先住民は神のイメージで作られていないらしいではないか? 
 私は殊勝げに、自分はこの種のゆがんだ聖書主義と断固戦ってきたと思い込んでいた。それなのに、ここで自分の巣穴に憤然として寝転びながら、自分が理論的に軽蔑していたまさにその考えを思い浮かべていた。自分は野生よりすぐれている、進んでいる、改善されている、進化の頂点にいると、それまでずっと考えていたのだ。


 こんな感じの文章が、ずっと続くんですよね。
 著者は、実際に動物たちの食べ物を口にしてみたり、かなりの長期間、「動物たちと同じ生活」をおくって、思索を深めています。
 自然のなかで、どんどん自分の内面を掘り下げていくのですが、それは、僕がこのタイトルの本に求めていたものとは、かなり違ったものでした。
 「興味深い本」なのだろうとは思うのですが、実際に読んでいると、興味よりもめんどくささのほうが先に立ってしまうのです。
 こういうのって、好きな人は好き、なんだろうけどなあ。


 「訳者あとがき」には、こう書かれています。

 ここまで動物になって生きることにこだわる著者はいつも心のなかで、「人間であるとは何を意味するのか?」、「チャールズ・フォスターであることは何を意味するのか?」、「私たちは誰なのか、何者なのか?」、「私たちはここでいったい何をしているのか?」と問い、それに対する答えはなかなか見つからないと話す。それでも、動物になろうとしながら、同じ生きものとして何らかの結びつき、関係、絆のようなものを感じることもあったと言う。ガーディアン紙のインタビューに答え、「もしキツネやアナグマほど自分とは異なるものと関係を築くことができるなら、私の妻や子どもたちや親友のことをわかる可能性があると思えた」と答えている。同じくインタビューによれば、五種類の動物のうち著者が最も近づけたと思うのはキツネ、それに対して息子のトムが最も近づけたのはアナグマだったそうだ。


 僕にとっては、野生動物以前に、同じ人間である著者に近づくことが難しいな、と思いながら、なんとか読み終えました。ほとんど読み飛ばしましたけど。
 ノンフィクションっぽい売り方をされているけれど、哲学書だよなあ、これ。


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