琥珀色の戯言

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【読書感想】「国境なき医師団」を見に行く ☆☆☆☆☆

「国境なき医師団」を見に行く

「国境なき医師団」を見に行く


Kindle版もあります。

「国境なき医師団」を見に行く

「国境なき医師団」を見に行く

内容紹介
生きることは難しい。けれど人間には仲間がいる。――大地震の傷跡が残るハイチで、中東・アフリカから難民が集まるギリシャの難民キャンプで、フィリピンのスラムで、南スーダンからの難民が100万人を超えたウガンダの国境地帯で。作家・いとうせいこうが「国境なき医師団」の活動に同行し、世界のリアルな現場を訪ねて描いた傑作ルポルタージュ。日本の小説家がとらえた「世界の今」と「人間の希望」とは?


 作家・いとうせいこうが「見に行った」、「国境なき医師団」がやっていること。
 「国境なき医師団」という名前は多くの人が聞いたことがあると思います。
 活動内容は、貧しい人たちが多かったり、医療が行き渡っていなかったりする国に行って、診療をする、というイメージです。
 僕などは、医者をやっていても、国境なき医師団」に詳しいわけではなくて。
 そういえば、大学入試のときに、友人が面接で「恵まれない国に行って働きたい」と言ったら、面接官に「そういう人は多いけれど、君は、実際にそのためにはどんなことをすればいいのか、知っているの?」と問い詰められたと嘆いていたのだよなあ。


 この本を読むと、「国境なき医師団」の実際の活動内容がよくわかります。
 「医師団」とはいうけれど、実際は「移動する病院」という感じで、医療に必要なインフラを丸ごと提供しているのです。


 いとうせいこうさんは、彼らに広報担当者を通じて取材を申し込むのですが、なかなか取材先が決まらなかったそうです。

 行き先は直前まで決まらなかった。
 現在、「国境なき医師団」は全世界七十数ヵ国に展開している。正式名は1971年にフランスで発足した時のまま、「MEDECINS SANS FRONTIERES」。意味は「国境なき医師団」で、略してMSFと呼ばれることが多いし、今回取材した医師たちもみな自分たちをそう呼んでいた(ちなみにトランジットで米国に入るとき、旅行の目的を聞かれて「DOCTORS WITHOUT BORDERS」に俺はついていくのだと誇らしげに英語で宣言したが、相手はぼんやりした目で何も理解していない様子だった。そこはやはりフランス語で強調すべきだったのだろうか)。
 紛争国や天災に遭った地域に真っ先に入るという印象が強いMSFなのだが、いざ取材をするとなると候補地には意外な場所も多かった。
 なぜなら、貧困に苦しむ国にも、性暴力が頻発する地域にも実は彼らは入っているからだ。そのこと自体、俺は何も知らなかった。
 当初はパプアニューギニアへ行く話が進んでいて、そこでMSFは男性による性暴力への対策として啓蒙活動を続け、なおかつ被害女性への医療的、ないし精神的、社会的ケアが行われていると聞いて、俺はその一見して地味な活動にこそ光を当てたいと思った。
 けれどもちょうどミッションがひと区切りしたとの情報が入り、ではどこで行くのがいいかわからなくなった。
 ともかく、俺は自分側から出したスケジュールの中で受け入れてくれる地域ならどこでもいいと思っていた。
 そして、出てきた場所がハイチなのであった。


 こうして、いとうさんはハイチの「国境なき医師団(MSF)」に取材に出かけます。
 この本を読むと、彼らは「良いこと」をやっているはずなのに、その活動には少なからず危険が伴っているのです。
 現地では、必ずしもMSFに好意的な人ばかりではありません。
 もちろん、MSFの側も安全対策には十分気を配っているのです。
 ハイチ出発の1週間前に、いとうさんの事務所に「当人しか知り得ない単語を紙に書いて、封筒に入れて渡してほしい(プルーフ・オブ・ライフ:生命の証明、身元の証明)」という連絡が来たそうです。いとうさんは「要するにそれは、俺が誘拐された場合にしか用途がない」と仰っています。
 MSFとともに行動すると、誘拐されることも想定内、ということなのでしょう。


 ハイチでのMSFの活動について。

 もうひとつ、ジャックさんの説明してくれたことで、報告しておきたい事例がある。
 巨大なコンテナ群の横に、これまた巨大なタンクが並んでゴーゴー言っていた。それは一部は飲料に適した水、あるいは手術や器具を洗う水、洗濯用水であった。
 日本から行ったばかりの俺は、それがどれだけ大切かよくわかっていなかった。だが、ジャックさんがしきりと「これのおかげで医療が出来るのだ」と言うので目がさめたのである。
 すべてはMSFロジスティック部門の仕事なのであった。「国境なき医師団」には医師、看護師だけがいるのではない。我々を安全に送り迎えしてくれる輸送、そして薬剤などを管理する部門、そして建物を造ったり直したり、水を確保するべく工事をするロジスティックがいなければ、医療は施せないのだ。
 つまり、MSFに参加したいと思えば、医療従事者でなくてもいい。というより、そうした人々と一体になって、団は形成されている。


 言われてみれば当たり前なのですが、今の世の中で、ある程度高度な医療を提供しようと思えば、電気や水道は不可欠なのです。そして、医者や看護師は、そういうインフラの専門家ではありません。
 医療関係者じゃなくても、MSFに参加することはできる、というか、医療従事者以外のさまざまな専門家が、MSFには必要不可欠なのです。
 この本のなかには、そういう技術者たちも大勢登場してきます。
 海外への援助というと、日本では「青年」海外協力隊、みたいなイメージが強いのですが、海外には、リタイアしたばかりの技術者が、まだ十分体力があるうちに、世の中への恩返しがしたい、とMSFに参加している人がいるのです。彼らは、すでに「技術」を持っているし、還暦くらいであれば、まだまだ体も動きます。
 日本でも、こういう「定年と隠居生活のあいだの時間」を使って参加したいという人は、これから増えていくかもしれませんね。僕も「こういう『余生』も良いかもしれないな」って思ったんですよ。そんなに甘いものじゃないかもしれないけれど、あまり難しく考えすぎなくても、良いのではなかろうか。


 とはいえ、日本では、こういう活動に対して、あまり理解されているとは言い難いのです。
 いとうさんがギリシャで会った、物資の供給を受け持っているスタッフ、梶村智子さんは、こう仰っています。

「日本の会社だと、一度やめると元に戻ったり出来ないんですよね。それに、NGOで働いてるって言うと、暇な人みたいに受け取られてしまいます。他の国では理解されることが、どうしても日本だと違っちゃうんです」


 MSFに参加した経験というのは、会社員としても、いろんな状況で活かされるのではないか、と思うのですが、実際はなかなかそうはいかず、「ヒマな人」「物好きな人」「ちょっと変わった人」のように見なされてしまうことが多いのです。
 そのくらい「変わった人」が組織のなかにもいたほうが良いのではないかと思うのですが……


国境なき医師団」の名前くらいは知っているけど……という人に、ぜひ読んでみていただきたい。
 彼らは特別な人ではなくて、それぞれ、自分にできることを持ち寄って、やるべきことをやっているだけなのです。
 「何者にもなれない」というのは、結局のところ、「何者かになろうとしていない」だけなのかもしれませんね。
 MSFの人たちの話を読んでいると、彼らは、少なくとも現地の人たちや、仲間にとっての「何者か」になっていると思うので。


国境なき医師が行く (岩波ジュニア新書)

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雑談藝 (文春e-book)

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