琥珀色の戯言

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【読書感想】妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

フェミニズムの「落とし物」がここにある――。
今世紀に入り、日本社会で大きく膨れ上がった「スピリチュアル市場」。
特に近年は「子宮系」「胎内記憶」「自然なお産」に代表されるような妊娠・出産をめぐるコンテンツによって、女性とスピリチュアリティとの関係性はより強固なものとなっていった。
しかし、こうしたスピリチュアリティは容易に保守的な家族観と結びつき、ナショナリズムとも親和性が高い。
本書は、この社会において「母」たる女性が抱く不安とスピリチュアリティとの危うい関係について、その構造を解明する。


 「お母さんをえらんで、生まれてきたんだよ!」
 書店でオビにこんなことが書かれている本が平積みにされているのを見かけるたびに、僕は「いやいやいや、子どもができて生まれるのは受精の結果で、子どもが親を選んだわけではなく、両親の遺伝子の組み合わせだから」と内心でツッコミを入れずにはいられないのです。

 ああいうのを、世の人々は本気で信じているのだろうか?
 育児っていうのはいろいろと大変なので、そんなふうに思わないとやってられない、というのなら、わからくもないのですが。

 現代日本社会に生きる女性たちにとって、妊娠・出産は依然として重要な出来事である。しかも、それは多くの女性たちにとって、単に医療的な事例であるだけでなく特別な意味や価値を伴う体験として受け取られている。妊娠・出産が、霊的、精神的、超越的な意味を含む主教的な事象を指すスピリチュアリティと接続しているのは、そうした理由に基づいている。
 では、妊娠・出産のスピリチュアリティがどのような内容を現代社会に示しているのだろうか。それが社会に広まった背景として、何が考えられるのだろうか。こうした問題について考えてみるのが、本書の主題である。


 著者は、さまざまな「妊娠・出産関連のスピリチュアリティ」を紹介しているのですが、そのなかに「子宮委員長はる」という人が出てきます。
 僕はこの本で、「はる」さんの名前をはじめて知ったのですが、人気ブロガーで、芸能人の支持者も多く、著書はベストセラーになっているのだとか。
 

 一躍有名になった、2015年に出版された『子宮委員長はるの子宮委員会』(KADOKAWA)の冒頭ではるは、「本当の自分の声」とは「子宮の声」だといい、それを聞けば結婚や子育て、お金などがうまく回り出すと主張している。その主張の根拠とされているのは、周囲に認められたくて働きすぎたことで子宮筋腫にかかったことや、精神疾患を患ったという自身の体験であり、性風俗で長年働いていた経験にも言及している。その上ではるは自分を中心に生きることの大切さを説き、そのために「子宮」に耳を傾けることが肝要だと述べている。
 ただし、「子宮」とはいってもここでは医学的な臓器イメージは一切なく、イメージとしての「子宮」であることが強調されている。病気で「子宮」を摘出した場合でもその声を聞くことができると記されているのは、それがイメージとしての「子宮」であるからに他ならない。
「子宮」の声の具体的な内容として、「素直に生きる」「自分を愛する」「嫌なことには耳をかさない」「などといったことが自分の体験をもとに列挙されている。基本的には何事も我慢せず、自分を優先させることが大切だということが繰り返し強調されている。しかも、これらの主張は暗示的に示唆されるのではなく、明白な形で示されている。
 例えば、女は生きているだけで努力する必要がなく、自分を犠牲にすることは無駄なことだと主張した上で、「あなたが子宮(自分)を大切にしないから、あなたが社会から大切にされないんだよ by 子宮」などと書かれている。こうしたメッセージは、太字で強調されている点にも特徴がある。


 これ、幻聴じゃないですかね……
 
 自分が言いたいこと、やりたいことを「子宮の声」ということにして主張しているだけなのでは、と思うのですが、皇室の結婚問題をみていると、女性の場合は、男性よりも、社会や周囲からのプレッシャーというか、外野から自分の人生の選択についてあれこれ言われやすいのも事実なのでしょうね。
 「女性であること」への抑圧への反動が、こういう「子宮系」を生み出しているのだろうか。

 著者は、こういう「何これ?」と思うようなスピリチュアリティに関しても、主観で正邪を語ることはほとんどなく、淡々と紹介しているようにみえます。

 「子宮系」では、医療や医師が積極的に関与していることが挙げられるのである。「子宮系」のありようからは医師が「子宮」に聖性を付与する努力を称揚し、その方法を示す当事者として活躍しているのはもちろん、「卵子の老化」についての情熱を積極的に織り交ぜる役割を担っている。さらに、妊娠・出産を経て母親になることをエモーショナルに肯定している様子も見いだされる。その結果、医療において培われたイデオロギーと「子宮」が聖性を帯びるようになったこととが接続していると読み取られのである。
 そして、今日における「子宮系」の広がりからは、女性にとって大切な「子宮」の健康や美に注意を払うことだけでなく、明るく前向きな内面を持つ「女性らしさ」を育むことが重要視されていると確認できる。こうした価値観からは、保守的な「女性らしさ」を強要する現代社会のジェンダーバイアスが透けて見えるだけでなく、ジェンダーバイアスを肯定し強化することで、そのバイアスを前向きに受けとめて、規範として内在化する「子宮系」の役割が見て取れる。
 しかし、今日、多くの女性たちがこのような思いに駆り立てられているのは、決して彼女たちが保守的な女性らしさに基づいた安穏な生活を希求しているからではない。現代日本社会において、労働環境や家庭は性別分業をいまだに自明のものとしている。そこでは、「子宮系」は「女性らしさ」を自明のものとして価値づけて、肯定的、かつ前向きに受け入れることを促進してくれる。そのことでジェンダーバイアスへの疑念が払拭されて、ストレスを避けることが可能となる。


 2008年に有名な歌手が「35歳になるとお母さんの羊水が腐ってくる」とラジオ番組で発言して大炎上しましたが、あれは彼女のオリジナルの考えではなく、彼女もどこかから「専門的な知識」としてこういう話を聞いたのだと思われます。
 今から考えてみると、影響力が大きい人だったとはいえ、その情報源が追及されずに彼女ばかりが叩かれたのは理不尽ではありました。

 こういうスピリチュアリティには、けっこう怪しいものにも、医師や助産師などの医療関係者が関与しているものが多いのです。
 もちろん、医療関係者のすべてがモラルが高いと思うほど僕は耄碌してはいませんが、医者にもいろんな人がいるんですよね。
 ずっと医療現場で働いてきた人が、なぜ「反ワクチン」になるのか? 「血液クレンジング」とかを患者に勧めてしまうのか?
 ただ、この「妊娠・出産系スピリチュアリティ医師」は、「金のため」ではなくて、本気で信じてやっている(ように見える)人たちが少なからずいて、僕は考え込まずにはいられないのです。
 まあ、それは本人の自由なのかもしれませんが「医者がこう言っている」ということで信じてしまう人もいるわけですし、何かトラブルがあったら、一般病院に後処理を丸投げしてしまう「スピリチュアル医師」がいるのも事実です。

 この「女性であることのストレス、プレッシャー」に関しては、「でも、社会では『男が稼がなくてはならない』『男らしくない』というような価値観が横行しているし、『女ばかり損をしている』という人が、同じ口で『男のくせに』と言っているのを何度も見てきた」のですよね。
 まあ、お互いにそう言いはじめたらキリがない話なんですが。


 「自然なお産」についての、吉村医院の院長である産婦人科の吉村正さんの主張についても紹介されています。

 さらに吉村による「自然なお産」は、健康で丈夫な子どもを産むことも目的として設定されていることが注目される。吉村は、薬や医療器具に頼らずに産まれた子どもは元気に育っていくと主張する。この主張には、お産が母体にとっても、また子どもにとっても「命がけ」であるべきだという信念が込められている。
 吉村のこうした考えは、産婦人科医の大野明子が2009年に出版した対談集『お産と生きる──なぜ、自然なお産か産科医からのメッセージ』(メディカ出版)ではっきりと示されている。対談のなかで吉村は、死ぬことや死なせることを恐れないお産の重要性を強調した上で、「自然なお産」はそうした「自然」を実現することを理想とするものだとしている。また、動物が子どもを死なせたり、自身が死んだりすることを恐れたりせず向き合っていることを理想として語っている。そして、「周産期死亡を減らそうと思うこと自体が、神に対する反逆です」と吉村は断言する。
 こうした吉村の主張は、文明化した社会に対する批判的な価値観に基づいている。「自然なお産」を通して動物として子どもを生み育てる女性を増やすことが、文明化した社会に対抗する道だとも述べている。


 世界で周産期死亡率が劇的に下がっているのは、医学の大きな功績だし、苦痛は少ないほうがいい、と僕は思うのです。
 他人事であれば「子どもが死ぬのは自然の摂理」とか言えるのかもしれないけど……
 それでも、こういう考えを主張する人がいれば、影響を受ける人もいる。

 産まれてすぐに死んでしまったり、成人できない子どもが多かった時代に比べて、「子どもは無事生まれて育つことが当たり前になり、少子化で出産数も少なく、希少な(は言い過ぎかもしれませんが)体験になった」のも事実でしょう。
 子どもを持つことができるだけで恵まれている、と考えている人も多い世の中です。とくにいまの日本では。

 しかし、妊娠・出産という普遍性を帯びたトピックにはもともと、スピリチュアリティとの深い結びつきがある。それは妊娠・出産が人間の生命の基幹を成しているからだけでなく、女性性器を持つ女性の身体性のありように焦点を当てる事象でもあるからだ。こうしたことを考慮すると、妊娠・出産のスピリチュアリティは今後も社会から消えるどころか、何らかの形で続いていく普遍性を帯びた事柄であると考えられる。
 そして改めて確認しておきたいのは、この国は女性にとってもはや妊娠・出産を自明のものとしていない、あるいはしたくてもできない状況にあるということだ。そうした社会にあって、妊娠・出産をめぐる「スピリチュアル市場」が顕在化したことはどのような意味を持つのか、時間をかけて検討すべき課題を含んでいる。今日の女性をスピリチュアリティをめぐる見方に、本書が一石を投じることができれば幸いだ。


 妄信している人たちと、それをバカにしている人たち、という二極化(あるいは両者の断絶)が良いことなのかどうか。

 これだけネットに触れていても、僕はこんなスピリチュアル市場のことをほとんど知らなかった、というのも、「断絶」の一例ですよね……

 正直、僕はスピリチュアルには全く魅力を感じないのですが、いまの日本の状況を考えると、「子どもを産むことそのものが何かを信じていないと難しいのではないか」という気もするのです。


※どんな本なのか参考までにAmazonのリンクを貼っておきますが、僕は上記3冊の本に書かれていることには同意も賛成もしておりません。

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