琥珀色の戯言

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【読書感想】裁判所の正体―法服を着た役人たち― ☆☆☆☆

裁判所の正体:法服を着た役人たち

裁判所の正体:法服を着た役人たち


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裁判所の正体―法服を着た役人たち―

裁判所の正体―法服を着た役人たち―

内容紹介
原発差止め判決で左遷。国賠訴訟は原告敗訴決め打ち。再審決定なら退官覚悟……! 最高裁を頂点とした官僚機構によって強力に統制され、政治への忖度で判決を下す裁判官たち。警察の腐敗を暴き、検察の闇に迫った『殺人犯はそこにいる』の清水潔が、『絶望の裁判所』の瀬木比呂志とともに、驚くべき裁判所の荒廃ぶりを抉り出す。


 日本は「三権分立」の国とされています。
 国会(立法府)、内閣(行政府) 、最高裁(司法府)の三権が互いにチェックし合うことによって、お互いの暴走を抑止する、はずなのですが、裁判所の判決って、けっこう行政に配慮しているよなあ、と感じます。
 たしかに、あまりにも厳格に「違憲」という判断をし続けると、いろんなことが停滞してしまったり、現実に合わなくなってしまったり、ということはあるのでしょうけど、そこで「法に基づいた審判」ができないのであれば、司法は分立しているとは言いがたいのではなかろうか。
 実際に司法の現場で裁判官として働いてきた『絶望の裁判所』の著者・瀬木比呂志さんが語る「法の番人たち」の姿は、「とにかく出世のために上司の覚えをめでたくして、揉め事を起こさず、行政と喧嘩もせず、無難に裁判官生活をおくる」というものでした。
 もちろん、全員がそうではないとしても、偉くなるのは、そういう人がほとんどなのです。
 映画に出てくるような「自らの信念と法の理念に基づいて、圧力に負けずに判決を下す裁判官」というのは、激レアな存在なんですね。


 お二人の対談のなかでは、裁判官のプライベートについての話もけっこう出てきます。

清水潔普段の生活についてうかがいたいのですが、裁判官の方は、居酒屋に行ったりするのでしょうか。飲みに行く以外にも、ギャンブルなど落とし穴になりがちな場所もありますが、そういったところに行く人もいるのでしょうか。


瀬木比呂志:「赤提灯にも行けない裁判官」ということを、主として左翼系の弁護士たちが、随分長いこと言っていましたね。でも、これまた紋切型のイメージそのもの。日本の一部左翼も、マスメディア同様、こういう、ある意味ステレオタイプの「物語」が好きなんです。


(中略)


 実際には「赤提灯にも行けない」なんてことは全然なくて、僕が裁判官になったころには、赤提灯なんて普通に行ってました。ただし、赤提灯に行く裁判官が、話がわかって本当の意味で庶民的などといったことも全くありませんでした。いずれかといえば、泥臭くて酒癖のあまりよくないタイプの人たちが、赤提灯を好んでいたと思います。最近の若い裁判官は、そもそも赤提灯がどういうものかすら知らないでしょう。


清水:ギャンブルのほうは。


瀬木:パチンコも好きな人はいくらかいました。ただ、さすがにギャンブルをやっていたという人は知りません。やはり、ちょっとでもリスキーなことはやらないのです。裁判官をやっていると、とにかく、上の目とか世間の目とかを気にするので、皆、非常に臆病になるんです。
 それから、地方勤務の場合、刑事系の裁判官が居酒屋などに行くと、自分が裁判をした被告人に会ってしまうことが、結構あるんです。ですから、刑事系の裁判官の中には、そういうところを避けるという人もいました。民事系の場合はあまり顔を覚えられないから平気なのですが、刑事系の場合、被告人は、裁判官の顔をすごくよく覚えているんです。


 裁判官は「官僚的」だとレッテルを貼るのは簡単なのですが、彼らは「法の番人として、多くの人に注目されている」ということを意識していて、かなり慎重に日常をおくっているようです。
 正直なところ、裁判官じゃない僕からすれば、「そこまでみんな、裁判官のふだんの行動をチェックしてないと思う」のだけれど、こういう過剰にもみえる自意識って、医者にもあるんですよね。
 赤提灯を好むのは庶民派というより、ちょっと酒癖のよくないタイプ、って仰っているのは、「そんなものですよね」と頷けます。
 そもそも「庶民派」であることが、必ずしも良いとは限らないし。


 これを読んでいると、裁判官というのは、ひとりひとり独立した存在のようにみえて、実際は組織に縛られている人たちだということがわかります。

清水:つまり先に司法試験を通った人のほうがえらいみたいなところがあるわけですか。


瀬木:そうです。日本の裁判官というのは、裁判官というよりは、「法服を着た役人」であり、「裁判をやっている官僚」なんです。だから、そういう上下意識みたいなものは、僕自身も正直あった。後輩で非常に無礼な人がいたりすると、やはり腹立ちましたね。こうした組織では、たとえば、自分より明らかに能力の低い者が自分よりも上にいくとか、あるいは後輩に先を越されるといった事態が、非常に屈辱的なことになるのです。


清水:このあたりも俗っぽい感じがするのですが、サラリーマン社会でも多いとは思います。とはいえやはりヒエラルキーの強さは格段上なのでしょうか。


瀬木:「それでもいいじゃないか」という価値観をもちうるのは、よほど個が強い人だけでしょうね。程度が違うといえば違うといえば違うんですけど、たとえば旧ソ連とか昔の中国で、「あの人は自由主義者でがんばっている」と外の世界で評価されたとしても、中で徹底的に痛め付けられていれば、それでももちこたえられる人はあまりいない。それと同じようなことなんですよ。ごくふつうの学者、あるいは記者なんて、絶対すぐにそうなりますよ。
 日本人というのは、僕のみたところ、まあこれは僕自身をも含めていうんですが、残念ながら、個が非常に弱いです。ここが、アメリカ人との違いです。アメリカでも、基本的には、上のほうでは悪いことをやっていたりする、それもものすごく悪かったりするんですけど、それでも、社会全体をみると捨てたもんじゃないと思うのは、一人で孤立しても正義のためにがんばれる人が、かなりいるんです。自由主義者の層も厚い。そこは、日本との大きな違い。


 信仰する宗教を持っているか、というような違いもあるのかもしれませんが、たしかに、日本では「一人で孤立してもがんばれる人」は少ないように感じます。むしろ、「孤立してもがんばっている人」には、さらに「空気を読め」という圧力がかかってくるのです。


 瀬木さんによると、近年の若手裁判官は、大事務所を勝たせる傾向が強いのだとか。国や地方公共団体、大企業のような「権力側寄り」の判決が出やすくなっているそうです。
 

 そして、こんなシステムもあるのだとか。

清水:日本で行政訴訟が起きた場合は、国側の弁護士というのは本来の弁護士ではないわけですよね?


瀬木:今もお話したように、普通の弁護士もやります。ことに、国家賠償請求訴訟みたいな民事的な要素の強い事件では、たとえば地方公共団体が弁護士を頼んだりすることも多いです。でも、行政訴訟全体をみれば、訴務検事といわれる裁判官出向組の検察官の人たちが国の代理人をやることが、圧倒的に多いです。


清水:さきほども出てきましたが、何検事ですか?


瀬木:「訴務検事」。訴務検事というのは、ほとんどが裁判官からの出向組です。


清水:ということはつまりですね、裁判官から出向した人が、検察官、訴務検事となり、行政訴訟については、国を守るために、弁護士のやるような仕事をやっているんですね。


瀬木:そうです。だから、昔から、判検交流は、刑事のみならず民事でも弊害が非常に大きいと言われているんです。でも、メディアも正面切って批判しませんし。


清水:何だか、納得できない感じがするんですけど。


瀬木:そうですよね。訴務検事経験者は、裁判所に帰ってきてから、国寄りの判断をしがちである。これも昔からいわれています。でも、一向に改善されない。


 瀬木さんは、「ちゃんとけじめをつけている人もいるけれど、行政の人たちの苦労を身近に知ると、情が移ってしまうのもわかる」と仰っています。
 行政訴訟で弁護士の役割をした人が、裁判官に戻ってきて、公平な立場で判決を出せるか、と言われると、やっぱり難しいんじゃないか、という疑念には駆られるのです。
 それでも、この制度は、ずっと続いているのです。


 この本を読んでいると「弱者の最後のよりどころ」のように見られがちな裁判所は、むしろ「権力寄りの組織」だと感じてしまうのです。
 個々の裁判官は、優秀な人ばかりなのだろうけど、それを活かせるような仕組みにはなっていないし、権力分立の役割もうまく果たせていない。
 それでも、多くの人は、「最終的には、裁判に訴えるしかない」というのも事実なのですよね。


fujipon.hatenadiary.com

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ニッポンの裁判 (講談社現代新書)

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