琥珀色の戯言

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【読書感想】幕末雄藩列伝 ☆☆☆☆

幕末雄藩列伝 (角川新書)

幕末雄藩列伝 (角川新書)


Kindle版もあります。

幕末雄藩列伝 (角川新書)

幕末雄藩列伝 (角川新書)

内容(「BOOK」データベースより)
「藩」という組織の観点から、幕末と明治維新を紐解く!十四の雄藩を例に、英雄豪傑ではなく藩の実権を握った人々を中心に描くことで、この時代の大きな流れを捉え、幕末維新の真実に迫る。


 幕末に大きな役割を果たした藩といえば、長州、薩摩の両雄に、坂本龍馬を生んだ土佐や西洋技術を取り入れた肥前尊王攘夷の先鞭をつけた水戸藩、敵役(そして、悲劇の主人公としての)会津藩などが挙げられます。
 しかしながら、当時は数多くの藩があり、薩摩や長州よりも石高が大きく、多くの兵力を動員できたはずの大藩も存在していました。
 歴史のうねりのなかで、右往左往するしかなかった小藩も。
 この新書では、作家の伊東潤さんが、幕末維新をそれぞれの藩の「処世」を中心に紹介しておられます。
 

 ちなみに本書のタイトルは『幕末雄藩列伝』だが、取り上げた十四藩すべてが、一般的な意味での雄藩というわけではない。
 中には、請西(じょうざい)藩のように一万石そこそこの藩もある。だが請西藩は、風見鶏のように右へ倣えとなった多くの藩と異なり、雄藩と呼べるだけの意地を貫いて散っていった。その一方、諸藩の中には、堂々と幕末から維新の荒波を乗り切ったとは言えない藩もある。
 だが、それもまた幕末維新の真実なのだ。


 江戸時代の人々には「日本」という概念はほとんどなく、「藩」や大名家という「家中」が判断基準となっていたそうです。

 ちなみに江戸時代は、領国統治を念頭に置いた「藩」という概念よりも、人的つながりを重視した「家中」という概念が、武士たちの間で浸透していた。本章で取り上げる仙台藩は、実際には「伊達家御家中」と呼ばれ、そこに己の拠って立つアイデンティティがあった。


 「藩」にはそれぞれの事情があり、徳川家と縁が深い家もあれば、関ヶ原の戦い以降、長いものに巻かれる、という感じで従ってきた家もあるのです。
 この新書で、著者は、それぞれの藩の幕末の処世についての率直な感想を書いておられます。


 井伊直政以来、徳川家に忠義を尽くし、歴代藩主は幕府の要職をつとめてきた彦根藩なのですが、鳥羽・伏見の戦いでは徳川家を見限って、官軍に加わります。

 鳥羽・伏見の戦いの最中に寝返った山城淀藩(藩主の稲葉正邦は現役の老中)や、藤堂高虎以来、外様として最も優遇されてきた伊勢津藩(藩主は藤堂高猷)の裏切りの例もあり、彦根藩だけが卑怯者というわけではないが、徳川藩の立場になれば、これまでの大恩を仇で返すような行為に、呆れて物も言えなかったに違いない。
 しかし直憲は、この時の武功によって賞典禄二万石を下賜され、伯爵として華族にまで列せられた。
 直弼は独裁的で強引な人物であったが、その生き方や政治方針には一貫性があった。しかし次代の直憲は、徳川家や会津藩の助命や減刑を朝廷に嘆願するでもなく、薩長の走狗となって、かつての味方と戦ったのは、彦根藩の名誉のためにも残念でならない。
 彦根藩は名を捨て、「生き残る」という実を取った。それによって、多くの人々の命が救われたという一面はあるだろう。しかし、そうした卑怯な行為が、歴代藩主の顔に泥を塗ったのも事実なのだ。
 指導者というのは、その時代を生きる人々が幸せであればよいというものではなく、過去に生きた人々の名誉も考えた上で決断を下さねばならない。つまり先人たちが懸命に守ってきたもの(この場合は徳川家への忠節や武士の誇り)を、ないがしろにするような判断を下してはならない。


 これに対して、百万石を超える大藩であった加賀藩に対しては、こんな評価がされています。

 結局、維新の果実は西国雄藩に持っていかれ、加賀藩の有為の材も、明治政府内で頭角を現すことはできなかった。
 歴史に「もしも」はないとはいえ、遅くとも八月十八日の政変の前までに、斉泰が慶寧に家督を譲っていれば、長州藩と関係の深かった尊攘派は生き残っており、彼らが政府の高官になることで、加賀藩の次世代が新政府内で顕官の地位に就く機会も多くなったはずだ。例えば、加賀藩の御用算者の優秀さは特筆すべきものがあり(磯田道史著『武士の家計簿』参照)、こうした計数に明るい人材が新政府の中枢に入れば、その後の歴史も変わっていたかもしれない。


(中略)


 何事も肚を決めることは大切だ。しかし一方の道を完全に閉ざしてしまっては、もしも賭けに敗れた場合、損失は限りなく大きくなる。最近でも、液晶にすべてを懸けて身を滅ぼした某社の例がある。
 幕末という変革期、確かに大藩の舵取りは難しかった。だが、多くの藩士とその家族の将来が懸かっているのだ。結果論ではなく、斉泰は二股をかけておくべきだった。しかも加賀藩の場合、会津藩のように長州藩を目の敵にしていたわけではなく、早くから強い紐帯があったのだ。
 幕末から明治維新にかけて、石高第二位の薩摩藩支藩も含めて約90万石)が、公武合体派から討幕派へと見事な変わり身を見せた中、加賀藩の不器用さは際立っていた。


 こうして、彦根藩加賀藩への著者の評価を並べてみると、幕末の「処世」というのは、本当に難しいものだった、ということがわかります。
 彦根藩は、井伊直政徳川家康に異例の抜擢を受けており、譜代中の譜代大名で、加賀藩の前田家はもともと徳川家と同格の大名だった、という経緯はあるにせよ、忠義を貫いて名誉を守るべきか、現実をみて家中や領民の生命や財産を守るために勝ち馬に乗るべきか、というのは、どちらが正しい、とは言えませんよね。
 同じ人の評価でも、藩によって、「忠義を尽くして徳川家に殉じろ」と言われたり、「保身のために二股をかけるのも処世術だ」と言われたりするのだから。


 僕自身も、読んでいると、大名自ら「脱藩」して最後まで徳川家に忠節を貫いた林忠崇や新政府と妥協できずに結果的に多くの犠牲を出すことになった長岡藩と河井継之助に心惹かれてしまうのです。
 それはたぶん損な生き方だし、実際は、なんでこんなことに……と思いながら死んでいった人たちもたくさんいるはずなのだけれど。


 さまざまな藩の幕末維新の乗り切り方を読んで、歴史とか処世術に、絶対的な「正解」なんて存在しない、ということをあらためて考えさせられる一冊でした。


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