琥珀色の戯言

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【読書感想】わかりやすさの罠 池上流「知る力」の鍛え方 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
コピペやフェイク紛いの「エセ情報」が、インターネットやSNS、さらには新聞や日常会話にまで溢れている。安易な「わかりやすさ」を売りにするバラエティ番組は、事態をさらに悪化させている。私たちは、どうすればホンモノの「情報」や「知識」を得られるのか?ニュースの世界における「わかりやすさ」の開拓者が、行き過ぎた“要約”や、出所不明の“まとめ”に警鐘を鳴らし、情報探索術を伝授する。日本で最も「わかりやすい」解説者がその罠について論じた、池上流・情報処理術の決定版!


 日本で、「わかりやすいニュース」というジャンルを切り開いてきた池上彰さん。
 その池上さんが、あえて、「わかりやすさの罠」を語っている本です。

「難しいことをわかりやすく」というのは、私がこの30年間ずっとモットーにし続けてきたことです。しかし、最近になって、どうも、少なからぬ人たちが、「わかりやすさ」の罠にはまってしまっているのでは、と心配になってきました。
「罠」とはつまり、「わかったつもり」になってしまうということです。たとえば、特にここ数年、「池上さんの番組で十分わかったから、もうそれ以上のことはいいよ」という声をよく聞くようになりました。つまり、私の番組だけ見て満足してしまい、その後、自分で関心を持ってニュースを見たり、新聞を読んだり、調べようというところまでいかずに、「わかった」気になってしまっているのです。
 視聴者のそうした反応を知って、私は考え込んでしまいました。
「ニュースなんてとっつきにくい。全然わからないよ」という人たちに向かって、「でも、こうやってわかりやすくすれば、理解できるでしょう」とテレビや本で解説してきたこと自体は、間違っていないと思っています。ただ、もしかしたら、あまりにもわかりやすくしすぎてしまったがために、視聴者や読者がそれで満足してしまった、という部分があったのかもしれません。
 もちろん、私の番組を見て、「わかった」と思ってもらえるのは、嬉しいことです。けれども、限られた時間で何もかも伝えられるわけではありません。どんなものでもちゃんとわかるように説明できなければいけないということは自分に課していますが、トピックスによっては、短時間でぱぱっと説明しては危険だな、というものもあるのです。


 「わかりやすい」というのは、大事なことではあるのだけれど、人というのは、「わかりやすい」に溺れてしまうところがあるのです。
 「わかりやすいけれど、間違っている、あるいは、人々を扇動するようなこと」と、「理想を語っていて格調高いのだけれども、理解するのが難しいこと」が民主主義のなかで争うとどうなるか、というひとつの結果が、トランプ大統領が当選したアメリカ大統領選挙でした。
 

 トランプ氏とヒラリー候補の明暗を分けた理由はいくつかありますが、その中のひとつに、ふたりの演説の違いが挙げられます。ヒラリー候補は、優秀なエリートの彼女らしく、格調高い演説をしていました。しかし、そこで使われていた英語はインテリが使うような難しい言葉が中心で、選挙が終わってから「ヒラリーの演説、わかったふりをして聴いてたけど、実はよくわからなかった」と白状する人がいたほどです。知識層は彼女の演説を「素晴らしい」と称賛していましたが、これでは、一般庶民の心をつかむことはできなかったでしょう。
 逆に、トランプ氏の英語は、あの”Make America Great Again"(強いアメリカを取り戻す)に代表されるように、小学生でもわかるレベルです。関係代名詞など絶対に出てきませんし、英文法でいうSVO、つまり主語と動詞と目的語だけのシンプルなフレーズしか使いません。アメリカ大統領になろうとする人物がそんな演説でいいのか、とも思いますが、ヒラリー候補とは対照的なトランプ氏の演説スタイルは、集まった観衆の心に強く響きました。


 僕は英語が得意ではないので、両者の演説の「英語としての格調」までは、よくわからなかったのですが、こうして解説されると、ヒラリー候補よりもトランプ氏に人々が「親しみ」を感じたのも理解できます。
 なにか立派なことを言っているみたいだけれど、自分にはよく内容がわからない、というのは、聞いている側にとっては疎外感もあるでしょうし。
 それに、ネット社会、SNSなどで多くの人が自分から発信できるようになってきて、「自分たちが理解できないのは、常に、相手の説明が悪いから」という人が増えているように僕も感じます。
 それは「増えた」のではなくて、それまで無視されてきた人々の声が「可視化」されただけなのかもしれないけれど。


 「わかりやすい」からといって、それが必ずしも「正しい」とは限らないのです。

 シンプルなキャッチフレーズを繰り出す小泉(純一郎)氏の手法は、「ワンフレーズポリティクス」の典型です。「郵政民営化こそが改革の本丸だ!」と繰り返す小泉氏に、国民は熱狂しました。しかし、一見、単純でわかりやすいフレーズの裏側には、さまざまな政治的計算がなされていることを忘れてはなりません。
 演説で小泉氏は「皆さん、郵便局を民営化すると、国家公務員が40万人減るんですよ」と、よく言っていました。確かに、「国家公務員が40万人減る」ということ自体は間違いではありません。問題は、実は郵便局は独立採算制であり、職員に公務員給与は払われていない、つまり郵政民営化をしても税金が新たに節約できるわけではない、という点です。
 しかし、おそらく小泉氏の演説を聴いた人々は「郵政民営化で公務員がそんなにいなくなるなら、それだけ余計な支出がなくなって日本の財政にプラスになるんだな」と勘違いしたことでしょう。もし、「いやいや、国家公務員が40万人減っても、財政状態の好転にはならないよ」とわかっていたら、あれだけ多くの人が郵政民営化を支持したかどうかはわかりませんし、選挙の結果も違ったものになっていたかもしれません。
 もちろん、そのあたりの事情をわかった上で、小泉氏は「郵政民営化すれば、国家公務員が40万人減るんです!」と叫んでいたわけです。つまり、嘘は言っていないけれど、意図的に国民を誤解させていたのですね。


 こういう「嘘は言っていないけれど、あえて誤解させる言葉」というのが、世の中に氾濫しているんですよね。
 もし、何らかの理由で批判されることがあっても、「自分は嘘をついたわけではないので、思い込んだ側の責任だ」と言い逃れることができるわけです。
 「わかりやすい言葉」には、こういう罠が仕掛けられていることも多いのです。
 僕もこのときに、小泉さんを支持した人間のひとりなので、全く偉そうなことは言えないんですけどね。
 正直、僕はあの選挙のとき、これまで力を持ってきた、既成勢力が「造反組」として落選していくのをみて、溜飲を下げていたのです。
 「あいつらが権力の座から滑り落ちていくのを見たい」というような気持ちが、自分の足元に落とし穴を掘ることにつながることもある。
 池上さんは、小泉劇場の際も、メディアでこういうことを指摘する人たちはちゃんと存在していたのだ、と指摘しています。
 ところが、あの熱狂のなかで、その指摘を聞く耳を持っていた人は、少なかったのです。


 池上さんは、情報収集のためのツールとして、紙のメディア、とくに「新聞を読むこと」を薦めておられます。

 若い人にもっと新聞を読んでほしいと思っている私は、大学で行う授業でも、「ほら、同じニュースでも、新聞によって取り上げ方はいろいろでしょう」と学生たちに実際の紙面を例に説明します。
 たとえば、2018年4月にアメリカ、イギリス、フランスが「アサド政権が反政府勢力への攻撃に化学兵器を使用した疑いがある」としてシリアに軍事攻撃を行ったとき、このニュースをどう取り上げたか、各紙の見出しかさまざまなことをうかがうことができました。
「朝日」「毎日」「読売」の三紙が「アメリカがシリアを攻撃」という事実を伝える見出しをつけたのに対し、「産経新聞」は「『攻撃は成功』米英仏、追加攻撃を警告」となっています。つまり「シリア攻撃に成功した」というアメリカの発表そのままの見出しで、アメリカ寄りの姿勢が非常に強く打ち出されたものでした。「他紙では、三ヶ国が発射したミサイルも相当撃ち落されていると書かれていたのに、アメリカの言い分そのままに『成功』と言ってはたしてよいものか」と話すと、「新聞なんて、みんな同じ」と言っていた学生たちも、身を乗り出してきました。
 対照的に「東京新聞」は、この三ヶ国の攻撃は国連安全保障理事会の決議がないまま強行されている国際法違反だ、ということを強調する見出しでした。普段から両極端の姿勢をとる両紙の差異が鮮明に表れました。
 おもしろいのは「日経新聞」朝刊では、他紙と異なり「攻撃」という言葉を使わずに、これにより「ロシアと対立 新局面」という、一歩引いた見出しになっています。最近の「日経新聞」は、紙の読者がネットやテレビで一報を知っていることを前提に編集しているからです。速報性で勝負できないので、解説で勝負しようとしている姿勢がわかります。これも、新聞を読み比べてはじめてわかることです。


 新聞そのものがあまり読まれなくなっている時代ではあるのですが、新聞にしても、雑誌にしても、ネットでの情報にしても、池上さんの情報収集のベースにあるのは、「何かひとつの価値観に依存せずに、なるべく多角的に物事をみる」ということなのだと感じます。
 ひとつひとつの情報は、中立・公正なものではありえなくても、多くの人の意見を総合すれば、ある程度、全体像がみえてくる、ということなのでしょう。
 あと、「ツイッターをやらないのか」とよく聞かれるそうなのですが、SNSをやる時間があったら、本を読んだり、自分で考えたりする時間に使いたい、と仰っています。
 スマートフォンのおかげで、人は退屈から解放されたけれど、そのおかげで、「自分で考える」時間を失くしてしまっているのです。
 
 これまで池上さんがさまざまな場所で「情報収集法」として語ってきたことを「わかりやすく」まとめた新書です。
 完全に真似することは難しいけれど、「わかりやすい」ものを目の当たりにしたときに「ちょっと待てよ……」と立ち止まって考えてみるきっかけになる本だと思います。


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