琥珀色の戯言

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【読書感想】母さん、ごめん。 50代独身男の介護奮闘記 ☆☆☆☆

母さん、ごめん。 50代独身男の介護奮闘記

母さん、ごめん。 50代独身男の介護奮闘記


Kindle版もあります。

内容紹介
ある日、母が認知症を発症した――。息子(50代独身男)は戸惑い、狼狽する。
母と息子。たった2人の奮闘記が始まる。男一匹、ガチンコで認知症の母と向き合った。


本書を執筆したのは、科学ジャーナリスト松浦晋也です。
男性、50代。実家に母と同居しながら、気ままな独身生活がこの先も続くと信じていました。
ところが、人生を謳歌していたはずの母親が認知症を患います。
母の様子がおかしいと気がついたのは、「預金通帳が見つからない」と言いだした時のこと。
誰だって、自分が確立した生活を崩したくないもの。様子がおかしいと認めなければ、それは現実にはなりません。
そんな甘い意識から見逃した母の老いの兆候は、やがてとんでもない事態につながっていきます。
初動の遅れ、事態認識の甘さ、知識、リソースの不足…。
認知症の親の介護について描かれたノンフィクションストーリーはたくさんありますが、
「50代・独身・男性」が1人で母の介護に向き合うケースはまれでしょう。
認知症・母の介護を赤裸々かつペーソスと共に描いたノンフィクションストーリー。是非、ご覧くだい。


 上記の「内容紹介」には、こう書いてあります。

「50代・独身・男性」が1人で母の介護に向き合うケースはまれでしょう。


 確かに、現在、2017年の時点では、「まれ」かもしれません。しかしながら、非婚、少子化、高齢化がさらに進んでいくこれからの日本では、「よくある話」になっていくのではないか、と思うのです。

 独身男性結婚経験なし、どちらかといえば物事を感情よりも理屈で考えたがる性格で、理系の大学から科学ジャーナリストの道を選び、仕事に熱中してきた。世の中に介護の本はたくさんあるが、これだけ「男子」的な目線かつ「理屈っぽく」書かれた本は珍しいかもしれない。
 とはいえ、読者の皆様は私の体験から「いかにもありそう」な部分を、容易に見つけだされるのでは、とも思う。
 働き盛りの世代は、親を心配しつつも割く時間がなく、特に根拠もないまま「年を取ったけれど、それなりに元気で過ごしているはず」と信じている方が多いだろうからだ。自分自身、母と同居していても、彼女が認知症だとなかなか気づくことができなかった。


「ずっとこんな日常が続くはず」という、小さな、しかし深い思い込みがあったのだ。

 後から振り返ると、前兆は1年ほど前の2013年夏頃から出てはいた。基本的に身辺は身ぎれいにしていた人だったのが、掃除を面倒くさがるようになり、片付けができなくなった。同じ頃から、歯磨きやケチャップ、マヨネーズなどを使い切らないうちから次々に開封するようになった。冷蔵庫などで使いかけを見つけることができなくなって、備蓄をどんどん開封していたのである。状況がはっきりしてから母の部屋を整理したところ、常日頃こまめに自分の日程を付けていた手帳の記述が、2014年2月を最後に途切れていた。スケジュールを管理できなくなっていたのだ。


後から考えると、あれが前兆だったのだ、と思うようなことでも、リアルタイムでは、「まあ、年も年だから、このくらい普通だよね」と考えてしまいがち。


 著者の述懐、僕にも思い当たることばかりです。
 「まだ大丈夫だろう」と問題を先送りにしているうちに、こじれてしまうことはたくさんあります。
 でも、「まだ大丈夫」とでも思わないと、日常で心の安定を得られないところもあるんだよなあ。


 著者の場合、協力的で理性的な弟妹(とはいえ、介護の実務を分担してもらうのは難しい)と、比較的自分で時間をコントロールできる仕事、そして、科学ジャーナリストとして長年培ってきた合理的な思考力があるのですが、それでも、介護というのは、こんなにキツいのだな、とあらためて思い知らされました。
 当事者にとっては書きにくい、つい、被介護者に手をあげてしまったことなども率直に書かれていて、美談と悲劇の両極端に分かれがちな「介護体験記」のなかでは、多くの人の参考になるであろう「1サンプル」だと感じました。
 介護は家族でやるもの、という固定観念や世間体にとらわれている人は少なくないのだけれど、自ら声をあげて手続きを踏めば、かなりの公的なサポートを受けられますし、専門家は「なんでも家族がやるべき」なんて、考えてはいないのです。
 「介護者が、ちゃんとやろう、自分たちでやろうとしすぎて疲弊しきってしまったら、介護される人と共倒れになってしまう」という認識を、医療・介護の専門家たちも持っています。
 

 僕自身は、自分の親を介護した経験がないのですが、著者が体験した問題の数々には「こんなこともあるのか……」と正直、驚かされました。
 認知症の高齢者が、使っていない商品が家にたくさんあるのに、通販で「月ごとの定期購入」という形式で同じ商品を買い続けていて、著者が気づいて解約しても、また新しく注文してしまう。
 著者が話をしたケアマネージャーやヘルパーはみんな「通販は、現場では大変な問題になっていて、どこも困っている」と仰っていたそうです。
 通販は、家にいるまま買い物ができ、商品も届けてもらえる。
 足腰が弱った高齢者にとっては、ものすごく便利なシステムです。
 しかしながら、同じものを繰り返し買ったり、定期購入の契約をしたまま、解約もできなくなってしまったり、といった問題点も多く、業者も、あえて高齢者をターゲットにしているようにみえます。
 これ、ネットでAmazonを日常的に使っている世代が大勢認知症になる時代が来たら、とんでもないことになるのでは……


 読んでいると、介護という困難なミッションを自分ひとり、あるいは身内だけでやるのが「無理ゲー」であることがよくわかります。
 「家族の問題」だからと、自分たちだけで背負うのは「美談」にみえるけれど、介護される側にとっても、必ずしもベストな選択肢ではないのです。

 大抵の老人は初めのうちは、公的介護に「お世話になる」と感じるせいか、拒否感を持つという。母と私の場合も、早期に公的介護保険を導入した結果は、かなり後まで影響した。「公的介護保険を利用する」ということは、ケアマネージャーやヘルパー、ベッドのレンタル業者など多数の人が家に入ってきて、生活をサポートするということである。それを介護される側の母は、「突然知らない人がいっぱい家にやってきて、自分の生活に干渉する」と受け取った。


「あなた誰?」
「なんでここに来たの?」
「なぜ私にそんな質問をするの?」


 誰かが来るたびに、母は警戒し、この質問を繰り返した。何度説明しても忘れてしまうので、次にやってきても同じ対応になる。さすがプロだな、と思ったのは、家にやってきた介護関係者がひとりの例外もなく、柔らかい態度で自己紹介と自分の仕事の説明を繰り返してくれたことだ。ほとほと感心して「さすがですね」と言うと、「こういうことは、家族の方よりも、私たちのような部外者のほうがいいんです。仕事と割り切って対応できますからね。むしろ家族の方の場合、介護されるお母様にも甘えが生じるので、対応は難しいんですよ」と説明された。


 「家族がいい」「家族じゃないとダメ」と思いがち、思い込まされがちだけれど、「家族じゃないほうが、お互いにやりやすい」ことって、けっこうあるんですよ。これは、多くの人に知っておいてもらいたい。


 本当に率直かつ身につまされる「体験記」です。
 家族だ、親だというけれど、実際はお互いに知らないことだらけなんだよなあ。

 ここで世の男性の皆さんにお尋ねしたい。
 あなたは、自分の母親がどのような下着を着用しているかご存じだろうか。それが、季節によってどのように変化するかを把握しているだろうか。
 もちろん私はそんなことはまったく知らなかった。母の下着なんてものは子供の頃に母が目の前で着替えていた頃以来、見たこともなかった。母はずっと、自分で自分の下着を管理してきた。が、今は母はあらゆることの管理能力を失い、なにを聞いても「よく分からない」と答えるようになってしまった。ところが私は、そもそも下着を見てもその着用法すらよく分からない始末だ。妻帯者なら伏して妻に下着の整理を頼むところだろうが、あいにく私は独身である。妹がやってきて、下着を入れ替え、一部は買い整えて整理整頓したことで、どうやら母は暑い日本の夏を迎える準備をすることができた。


 それでも、著者には妹さんがいたので、なんとかなった、という面もあるのかもしれません。
 親の下着とか、排泄なんて、考えたこともない、考えたくもない、というのが、介護をはじめるまでの子供側の本音だと思うんですよ。
 なるべく自宅で介護するように、という方向に、日本は進みつつあるのです。これだけ人が長生きするようになれば、人生の後半は親の介護をし、それが終われば、すぐに自分が介護される側になるのが「あたりまえ」になってくるのです。


 著者は「後書きにかえて」で、こう述べています。

 母の介護を担当して、私は実感した。
 高齢者の介護は事業だ。
 感情とは切り離して、高度に社会的な事業として考えなくては、完遂は覚束ない。


 地域包括支援センター、ケアマネージャー、ヘルパーの皆さん、デイサービス、ショートステイなどの様々な施設、介護用品のレンタル事業者、そして特別養護老人ホームグループホームなどの入居型施設--そしてそれらを支える公的介護の制度。これらなくして、高齢者介護はあり得ない。「子供が、家族が、がんばればできる」というものでは絶対にない。
「昔は家族が看取ったではないか」と言う方は、条件の変化に目が行っていないのだと思う。かつてよりはつかに平均寿命は伸びた。高齢者人口は増えたし、核家族化も進んだ。核家族どころか、私のような単身者のまま老いを迎える者も少なくない。家族を巡る諸条件がこれだけ変わったのだから、かつてのように「高齢者の面倒は家族が最後までみる」ということは、誰にでもできることではなくなった。


 いま、介護に悩んでいる人だけではなくて、現時点では、介護のことなんて考えなくて済んでいる若者にこそ、読んでみてもらいたい本です。
 「親孝行したかったら、認知症になる前にやっておくべきだ」
 自分が親より長生きするのであれば、いつかは「その日」が来るのだから。

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