琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

仰木監督逝去

http://www.nikkansports.com/ns/baseball/f-bb-tp0-051215-0045.html

なんというか、僕はオリックスのファンでもなんでもないけれど、仰木さんという人は、とにかくカッコいいオッサンだったと思います。ダンディという言葉がこんなに似合う人は、僕の知る限りそんなにいない。けっして人気やお金があるわけでもない近鉄オリックスというチームを率いて何度も優勝に導いた手腕と、そのわりにはリラックスしているように見えるたたずまい。
仰木さんの死はものすごく残念だし、70歳という年齢は、まだまだいろんな可能性が残されていたはず。でも、こうして死の間際まで監督業を続け、合併チームをとりあえず軌道に乗せたあとすぐに舞台から降りてしまうなんて、なんて最後までカッコいい人だったんだろう、と同じ人間として、男子として、羨ましくてしかたがないです。
転移もみられる癌の末期だったそうで、「そんな体でよく監督を」とも思うけれど、たぶん、仰木監督は、監督として好きな野球にかかわっていたからこそ、今まで生きてこられたのじゃないかと僕はなんとなく感じているのです。
もちろん辛いことだってあっただろうけど、きっと、ものすごく幸せな人生だったのではないかなあ。

http://d.hatena.ne.jp/h_watanabe/20051216/p1
↑ざっと見たなかで、もっとも僕の心に響いた仰木監督へのメッセージ。

僕は仰木監督に、お悔やみのことばではなく、スタンディングオベーションを捧げます。

世界クラブ選手権

http://www.nikkansports.com/ns/soccer/f-sc-tp0-051215-0040.html

この選手権のテレビやメディアでの取り上げられかたを見ていると、所詮「決勝は欧州代表と南米代表でやることに決まっているんだけど、とりあえず直接対決までの試合を増やしてもったいぶってみました」という感じがものすごくするんですけど。例えば、パリーグプレーオフ制度みたいに「3位チームでも勝てるようなシステム」のわりには、本当に下位チームが勝ったら、それはそれで「ペナントレースの意味がなくなる」とみんなが不満に思うというような。
まあ、先に1試合くらいやっておいたほうが、欧州王者も南米王者も体が温まって、「本当の試合」でのコンディションは良くなるかもしれないけどねえ。

WEB日記を書き続けられる幸運

http://www.geocities.jp/jun_sougen/dialy/2005/2005_12.htm#12-14

いまや世間には星の数ほどWEB日記が溢れているわけなのですが、正直、「書き続ける」ということは、やっぱりものすごく難しいことだと思うのです。↑の文章にあるような、「終わりのなさ」というのは、逆に、「どんなに書いても完璧な達成感は得られない」ということでもありますしね。
ところで、サイトに文章を書き続けるのには、内的因子と外的因子のバランスがうまくとれている必要があると僕は考えています。「書き続けられる理由」なんていうのは、ひとりひとり違うし、その人の置かれた状況・環境によっても異なってくるものなのですけど。

<内的要因>
(1)自由に使えるパソコンを持っていて、ネットができる環境にあること。
(2)文章を書くという作業が好きであること、最低限、苦痛ではないこと。
(3)自分の文章を他人に読まれたいという欲求があること。
(4)多少の理不尽な誹謗中傷に耐えられること。
(5)逆に、あるていどの「無反応」に耐えられること。
(6)ネット上のコミュニケーションに「違和感」をあまり感じないこと。
(7)ネット上のコミュニケーションにばかり依存しないこと。

<外的要因>
[1]読んでいる人や他のサイトからの反応があること。
[2]アクセスの数が適正であること。
[3]悪質な誹謗中傷や荒らしの標的にならないこと。
[4]身内バレなどで、リアルにおいて困った状況にならないこと。

まあこんなところでしょうか。そして、一番大事なのは、この<内的要因>と<外的要因>のバランスがとれている、ということなんですよね。結局のところ、どんなに書くことが好きでも、全くノーリアクションなサイトを1年間続けるなんていうのは至難のワザで、逆に、どんなに大きな反応があるサイトでも、書き手が書くこと自体に苦痛を感じるような状況では、けっして長続きはしないわけです。
多くの場合、サイトが長続きしない理由は、<内的要因>に求められます。実際にサイトをやっている人は分かっていただけると思うのですが、公開初日からすごいアクセス数でメールやトラバがたくさん来るようなサイトというのは、ほとんど存在しません(企業サイトや有名人サイトならともかく)。これを書いていて思い出したのが、
http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20051028
↑の話で、結局、サイトを作成している側というのは、いままでさんざん苦労してアイディアをひねり出し、ようやく書き上げるまでの苦労のプロセスを知っていますから、どうしても自分が書いたものに甘くなりがちです。こんなに苦労して書いたのだから、反響があるだろう、と。
しかしながら、読み手のほうは、クリックひとつでそこにたどり着いているだけですから、そういう「送り手の苦労」なんて、ほとんど意識することはないのです。僕たちが料理店で出てきた料理を食べるときに、作る人の苦労をいちいち考えないように、大方の場合、「美味しいか美味しくないか」だけが、受け手の評価の対象になってしまいます。素人料理では、「自分が作ると美味しく感じる」とか「知り合い、とくに親しい人が作ると、美味しく感じる」というのも似ているかもしれません。「美味しい料理を作る」ことは非常に難しいことですが、「有名料理人」になったり、「誰かの知り合い」になってしまえば、それなりの味でも、みんな店に来てくれたりもします。「馴れ合い」というのは、要するに「とりあえずお互いの料理を美味しいと言って食べるという人間関係」にあたります。

そして、争いが絶えないように思われる閉鎖サイトのうち「叩かれたから」という理由で終了を余儀なくされたものは、実はごく少数派であり、大多数は「誰も存在すら知らないまま消えていく」のです。

それにしても、サイト管理人にとって「適度なやる気と適正な反応」というのは、ものすごく微妙なバランスの上に成り立っているんですよね。長年個人サイトを観ていると、まるでボンベイの火山灰に埋もれた人々のように、「傍からみればうまくいっていたようなのに、前触れもなく突然更新が止まってしまって、そのままになってしまっているサイト」というのがたくさんあることに気付きます。閲覧者としては、「なぜ?」と、いろいろ想像するばかりなのですが、一見すると順調にみえるサイトも、実は、ものすごく微妙な内的要因と外的要因のバランスの上に立っているのでしょう。その書き手たちがみんな急病になったり、逝去されているということはないでしょうから、更新を止めるきっかけなんて、ほんのささいなことでもいいのです。そして、誰かのサイトが閉鎖されたからといって、変わらない日常は続いていきます。僕たちは、下が奈落の底であることに気付かないまま、綱渡りをしているようなものなのかもしれません。
だから、こうして書き続けられるというのは、ものすごく「幸運」なのではないかなあ、と僕は今、考えているのです。うちくらいの小さなサイトでも、自分の力だけではどうしようもない、いろんな幸運に支えられて、ここまで続いているのではないかと。いやそれこそ、サイトを更新するよりは資格を取る勉強をせざるをえない時期が来るかもしれないし、子供をお風呂に入れるほうが大事だと思うときだって、来ないとは限らないのだしね。

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