琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

独白するユニバーサル横メルカトル ☆☆☆☆

独白するユニバーサル横メルカトル

独白するユニバーサル横メルカトル

「このミステリーがすごい!2007年版」で、見事第1位に輝いた作品。僕は基本的にホラーやグロテスクな作品は苦手なのですが、なんだかとても気になってしょうがなかったので読んでみました。
 この作品、平山さんが『異形コレクション』などに書かれたものを集めた短編集なのですが、冒頭の『C10H14N2(ニコチン)と少年』から、もうたまらない居心地の悪さ全開です。『Ω(オメガ)の聖餐』なんて、「こ、これを読むのはツライ…でもなんだか止められない……」としか言いようがありません。正直、読んでいてすごく気持ち悪いのですが、それこそまさに著者の「思惑通り」なわけで、非常に意地悪で良質な作品集だと言えるでしょう。ただ、題材が題材なので、やっぱり受け入れられない人も多いと思うし、僕も自分が読むのはOKだけど(こんな小説も「良質の作品として」中立的に評価できる自分という優越感に酔いつつ)、恋人とか自分の子供が読んでたら、ちょっと引くに違いありません。
 でも、単なる「残酷さ」「気持ち悪さ」だけではなくて、「シニカルなユーモアのセンス」にも満ちている作品ではあるんですよね。こんな場面で笑っていいんだろうか、と軽い自責の念にかられつつ、思わずニヤリ。まあ、僕自身は正直この1冊でもうお腹いっぱいという感じで、この人の作品は、これで打ち止めでいいかな、という気もしたんですけど。

図書館の「もうひとつの役割」

http://d.hatena.ne.jp/usataro/20070107#p1
↑のエントリとリンク先を読んで思ったことなど。

 正直、僕は図書館の「経済的なメリット」について言及できるほど経済学的な知識を持ち合わせていないのですが、個人的には、「経済性」だけで物事を判断することの危険性、みたいなものをつい感じてしまうのです。たとえば、国鉄がJRになって「民営化」されたおかげで「サービスが良くなった」というのが「成功例」としてよく語られることなのですが、これって、結局のところ「交通手段に不自由していない都会の人の意見」でしかないわけです。民営化に伴う赤字路線の撤廃で交通手段そのものを失ってしまった田舎の人は少なくないにもかかわらず、彼らの声は、その路線が無くなってしまうと、もう、誰も伝えようとはしません。彼らがみんなマイカーに乗れるようになったわけでもないでしょうに。いままで赤字だったものが黒字になるというのは、どこかでコストをカットしていかなければならないわけですから、どこかにその影響が出てくるのは必然なわけで。

 ところで、「図書館の役割」なのですが、図書館というのは、必ずしも「直接的な利用者のためだけの組織」ではないと僕は考えているのです。僕は専門職の人が書いた本を読むのが好きで、けっこういろんな職種の人の本を濫読しているのですが、

「旭山動物園」革命―夢を実現した復活プロジェクト (角川oneテーマ21)

「旭山動物園」革命―夢を実現した復活プロジェクト (角川oneテーマ21)

↑の本のなかで、著者は、「動物園の役割」に関して、次のように書かれています。

 私にとって「理想の動物園」とは、野生動物の素晴らしさを伝えることができ、人々を楽しくさせ、なおかつ野生動物の保護・繁殖を通して、北海道の動物に責任を持つ、という条件が整った施設である。最近はそれに加え、「教育機関が充実した動物園」を心ひそかに思い描いている。
 たとえば、医大生や大学院生が旭山動物園に来て研究できるレベルの環境を整えたい。繁殖でもいい、タヌキの冬眠実験でもいい。さまざまなテーマを決めて、動物園と学生とで共同実験をするのも面白いだろう。旭山にいる動物を使えば、多くの研究ができるはずだ。こうした活動を通じて、野生動物の研究センターとしての役割を果たすことができればと思う。

↑の本にも、水族館というのは、単に魚を「展示する」場所ではなくて、繁殖に関する実験をしたり、生態を研究したりする場であるという記述があります。

 一般利用者の立場からすれば、動物園や水族館というのは「動物や魚を飼って、それを利用者に見せるためだけの施設」だと考えがちなのですが、実際は、これらの施設は「研究所」としての顔を持っており、飼育係は「研究者」でもあるんですよね。
 もちろん、生き物と「本」とは違うだろうし、動物園や水族館に比べれば、図書館というのはそんなに希少なものではありません。司書の人たちだって全員が「研究者」ではないでしょう。ただ、「本がたくさんあれば図書館になる」ってわけではないというのは知っておくべきことだと思うのです。本は放っておいても死ぬわけではありませんが、必要なときに必要な人が手にとれるような状況になければ、その本は「死んでいるのと同じ」なのです。
http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20061027#p2
↑は、まさに「民間側」の代表格ともいえる、ジュンク堂書店の田口さんという方の本の一部なのですが、「本」というのは本当にたくさんの種類があって、多種多様なニーズがあるので、「それをいかに分類して、検索しやすくするのか?」というのは、かなり大変な仕事なのです。まったく未整理の本の山のなかから、必要な1冊を探しやすいように整理・分類するというのは、すごく大変なことなんですよね。だからこそ「司書」という仕事には資格がいるわけで。
 まあ、「そんならamazonで探せばいいだろ」と言われてしまうかもしれないな、という気もするのですが、研究目的の専門書の一部だけが必要な場合などに、全部の本を購入するというのは、やっぱりかなり厳しいです。そういう専門書がごく普通の街の図書館に揃っているのかと言われれば、そんなこともないのですけど。
 実際は、「どんな図書館も、一律に研究機関としての役割を持っている」ということはないのだと思います。小さな街の図書館レベルでは、それこそ「ベストセラーを読みたい人にタダで貸す」ことのほうが大事な場合も多いでしょうし、国会図書館のように、「本という文化的資料を整理・保存して後世に伝える」という役割を持つ図書館もあります。ただ、いずれにしても、大なり小なり、「本という文化の浸透・保存のための機関」としての図書館の役割というのを忘れてはならないと思うんですよね。「必要なことはネットで調べたら十分」って人が最近多いみたいだけど、最近の芸能ニュースくらいならともかく、「体系的なお金を払う価値がある、信頼性の高い資料」を真剣に求めたことがある人ならば、「ネットでものを『調べる』のは難しい」ということは理解していただけると思うのです。少なくとも、ネットの情報というのは発信者の思い込みだけで「発信」できるけれど、書籍というのはリアルタイム性には欠けるけれども、著者、編集者、そして歴史を経た本であれば、読者の目にさらされ、ブラッシュアップされてきているものだから(それでも、「トンデモ本」があることは否定できないのですが)。
 ベストセラーを借りて読んで愉しむことができるというのも図書館の「メリット」ですし、1人の天才が図書館の文献を利用して人類の多くに貢献するような仕事をしれば、それも図書館の「意義」だと思うのです。極論かもしれませんが、僕は誰も本を借りに来ない図書館があったとしても、そこに本が「体系的にいつでも読める状態で保管されていること」によって、後世の人が何か役立ててくれる可能性があるならば、存在意義は十分にあると感じます。「民営化」されて黒字が義務付けられれば、「どこかの誰かにとって、ものすごく必要な入手困難な本」はどんどん書架から淘汰されて、図書館はブックオフ化していくことでしょう。本当は、本という文化を繋げていくために、「もっとみんな本買おうよ!普通に本屋で買える本くらいは」と言いたいところなのですが。
 まあ、図書館の「公共性」の維持のために税金が倍になるとかいうのならば、肯定しかねるかもしれませんけど、僕は図書館には、もっと超然としていてもらいたいという気持ちなのです。
 何十年後かには、子供たちが社会見学で図書館にやってきて、「これが『本』か!はじめて見た!!」なんていう時代が来るかもしれないしねえ。

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