琥珀色の戯言

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【読書感想】靖国神社 ☆☆☆☆


靖国神社 (幻冬舎新書)

靖国神社 (幻冬舎新書)


Kindle版もあります。

靖国神社

靖国神社

内容紹介
戦後、解体された軍部の手を離れ、国家の管理から民間の一宗教法人としての道を歩んだ靖国神社。国内でさまざまな議論を沸騰させ、また国家間の対立まで生む、このかなり特殊な、心ざわつかせる神社は、そもそも日本人にとってどんな存在なのか。また議論の中心となる、いわゆるA級戦犯ほか祭神を「合祀する」とはどういうことか。さらに天皇はなぜ参拝できなくなったのか――。さまざまに変遷した一四五年の歴史をたどった上で靖国問題を整理し、そのこれからまでを見据えた画期的な書。


 時事問題の「ざっくりとしたところ」を、とりあえず2時間くらいで理解できるという、まさに「新書らしい新書」だと思います。


 2013年12月26日に安倍晋三首相が靖国神社を参拝したのですが、中国・韓国からの反発は「想定内」だったものの、アメリカからも「失望」が表明されました。
 それって、事前にアメリカに言ってなかったのか?というのと、いや、そもそもこれって、アメリカにお伺いをたてるべきことなのだろうか?というのと。
 いずれにしても、「アメリカの機嫌を損ねると、こんなに日本は動揺してしまうのか……」と、あらためてその影響力の強さを思い知らされた気がします。
 中国との関係もあり、いろいろと物騒ですしね……

 共同通信社は、首相の靖国参拝を踏まえ、12月28日と29日に全国緊急電話世論調査を行った。それによれば、「よかった」が43.2%で、「よくなかった」が47.1%と、反対が若干上回った。外交関係に「配慮する必要がある」は69.8%にものぼり、「配慮する必要はない」の25.3%を大きく上回った。
 産経新聞とフジニュースネットワーク(FNN)が年明けの2014年1月4日と5日に行った電話調査では。「評価する」が38.1%で、「評価しない」が53.0%と、反対が賛成をかなり上回った。
 注目されるのは、若い年齢層で賛成が多くなる傾向が見られる点である。30代では「評価する」が50.6%で、「評価しない」が41.4%である。20代でも「評価する」が43.2%で、「評価しない」が41.6%である。
 ただここで考えなければならないことは、若年層になればなるほど、靖国神社についての知識が乏しくなる点である。朝日新聞が、首相の参拝前の平成25年11月上旬から12月中旬にかけて20代と30代以上に対して行った世論調査では、20代では首相の靖国参拝に賛成が60%で、反対の15%をはるかに上回った。30代以上でも59%と22%だった。
 ところが、「靖国神社には、第二次大戦中の日本の指導者だった東條英機元首相らの戦犯も祀られています。このことを知っていますか」という問いには、30代以上で知っているのが84%だったのに対して、20代では56%にとどまった。これでは、なぜ中国や韓国が反発するのか、その理由を理解できないことになる。

 
 この「若年層は靖国神社の知識に乏しい」ということに関しては、僕はやや懐疑的ではあるのです。
 古市憲寿さんの『誰も戦争を教えてくれなかった』という本のなかで、こんなデータが紹介されています。

 この本の冒頭で、若者たちの間で戦争体験が風化していると書いた。しかし若者に限らず日本人は、実はそもそも戦争についてあまり興味のない可能性がある。
 2000年にNHKが実施した嫌らしい世論調査がある。16歳以上の男女にアジア・太平洋戦争において「最も長く戦った相手国」「同盟関係にあった国」「真珠湾攻撃を行った日」「終戦を迎えた日」がいつかを答えてもらったのだ。
 結果、1959年生まれ以降の「戦無派」では69%が「最も長く戦った国」を知らず、53%が「同盟関係にあった国」を知らず、78%が「真珠湾攻撃を行った日」を知らず、「終戦を迎えた日」を知らない人も16%いた。全問正解した人はわずか10%だった。
 ここまではまあいいだろう。「戦争を知らない若者(と中年)ということで理解可能だ。しかし1939年から1958年に生まれた「戦後派」、それ以前に生まれた「戦中・戦前派」でも決して正答率は高くなかった。たとえば「最も長く戦った相手国」を知らない「戦中・戦前派」は57%、「真珠湾攻撃の日」を知らない「戦後派」は65%。
 実は序章で「広島に原爆が落とされた日を知っている若者はたった25%」と書いたが、全年齢平均でも数値は27%。長崎原爆の日にいたっては、若年層のほうが正解率が高く、60代以上は19%しか正解していない。
 若者だけじゃなくて、僕たちはみんな戦争に興味がなかったのである。


 靖国神社の知識に関しては、30代以上は、小林よしのりさんの『戦争論』の影響も受けているのかもしれませんね。
 

 「若者の戦争離れ」が事実かどうかはとりあえず置いておくとして、この新書では、靖国神社が成立した歴史から、太平洋戦争で、兵士たちが「靖国で会おう」と言葉を交わすような存在になっていくまで、そして、戦後に起こった、さまざまな靖国神社に関する政治的な問題が語られていきます。
 

 靖国神社が誕生したのは明治12年(1879)年のことである。ただし、それ以前、靖国神社が創建された場所は「東京招魂社」と呼ばれており、東京招魂社の創建は明治2年に遡る。一般に、東京招魂社創建の時点で靖国神社が生まれたと考えられている。


 靖国神社というのは、比較的新しい神社なのです。
 もともとは、戊辰戦争での官軍(維新政府側)の戦没者を祀るためにつくられ、その後のさまざまな戦争で、「国家に殉じた人々」を顕彰し、合祀してきました。
 戦死者でも、政府にとっての「反乱者」たちは、祀られることがなかったのです。
 ある意味、「政府にとって、日本にとっての敵と味方を区別するための存在」でもありました。
 初期は、「維新政府側の戦没者」を顕彰するためのものだったのですが、日本が対外戦争に踏み出していくとともに、「靖国神社に合祀される」ということは、「日本のために命を落とした人」と認定されることになっていったのです。


 この「合祀」の特殊性について、著者はこう解説しています。

 合祀とは、二柱以上の神を一つの神社、ないしは一つの社殿に合わせて祀ることをさし、それ自体は神社の歴史において珍しいことではない。明治末期の神社整理の際には、それが広く行われたわけである。また、近年では、地方の過疎化その他で維持できなくなった神社が毎年大量に生まれており、それを他の神社に合祀することも頻繁に行われている。
 その点では、靖国神社の合祀が特別ではないということにもなるが、今あげた合祀は、すでに神社に祀られていた神を一つの神社で合わせて祀るという意味での合祀であり、靖国神社の合祀とはやはり性格が異なっている。靖国神社では、それまで神として祀られていなかった戦没者の霊を招き、それを新たに祀ることが合祀とされる。
 こうした合祀の方法をとっているのは靖国神社護国神社に限られる。歴史を重ねるごとに、こうした合祀がくり返されてきた結果、靖国神社の祭神の数は際限なく増えてきた。一つの神社で幾柱かの祭神を祀っているところは珍しくないが、およそ246万6500柱という靖国神社の祭神の数は群を抜いていて、他に例を見ない。それに近い神社も存在しない。


 たしかに「これほど多くの神を祀っている神社」というのは、他には存在しないのです。
 太平洋戦争後、GHQの方針で、一時的に「新たな合祀は禁止」されたそうなのですが、靖国神社側はひそかに合祀を続け、米ソの冷戦とともにGHQも軟化したため、どんどん合祀者は増えていきました。


 さらに、多くの遺族が合祀を望んだ(あるいは合祀を受け入れた)のは、「名誉」とともに、こんな理由もあったそうです。

 戦後は、軍人恩給や遺族援護法の対象となる戦没者靖国神社に祀られるという形になったが、逆に言えば、靖国神社に祭神として祀られるべき人間だけが国の援助の対象になったとも言える。仮に援護と合祀がリンクしていなかったり、靖国神社が廃止されるなり、合祀が中止されたりしていれば、その辺りの事情は大きく変化していった可能性がある。その点では、ここでも靖国神社には国民を差別する機能が備わっていたことになる。

 靖国神社に合祀されるということは、「国のために亡くなった人」として、国家援助の対象者となることだったのです。
 イデオロギー云々はさておき、戦後の困窮の時代であればなおさら、その対象となるかどうかは、遺族にとっては重要なことだったはず。


 長年議論が続けられている「A級戦犯が合祀されていること」について、歴史を辿っていくと、意外なことがわかります。
 A級戦犯が合祀されたのは昭和53(1978)年だったのですが、当初は、神社側も秘密裏に行っていたため、ほとんど問題になっていませんでした。
 合祀の半年後、昭和54(1979)年に、その事実がメディアでスクープとして報じられたのですが、当時は「それほど大きな話題にならなかった」のだとか。
 むしろ、靖国神社について国内で問題となっていたのは、A級戦犯の合祀ではなく、「祭祀費用の国家負担の是非」だったのです。
 靖国神社の祭祀費用の国家負担は、憲法で定められた「政教分離」の原則に反するのではないか、という議論が、太平洋戦争後ずっと続いてきたのです。
 

 首相の靖国神社参拝が、中国などの抗議によって、大きな国際問題となったのは、昭和60年(1985)年のことでした。
 当時の中曽根康弘首相による「公式参拝」が、大きな反発を呼んだのです。
 A級戦犯の合祀が伝えられた後も、何人かの首相が「私的な参拝」はしていたのですが、その際は、大きな国際問題にはなっておらず、中曽根首相も、当時はむしろ「政教分離の原則に反するのではないか?」という国内の議論のほうに目を向けていたようです。
 中曽根首相にとって、当時の日本政府にとっては、「予想外の事態」だったのですね、ここまで強い反発を海外から受けるということは。
 それ以降ずっと、「首相の靖国参拝」は、「外交問題」となりつづけているのです。
 ちなみに、昭和天皇、そして今上天皇は、A級戦犯合祀後には、靖国神社を一度も参拝していません。


 著者は、「これからの靖国問題」について、ひとつの予想をしています。
 近い将来、A級戦犯の合祀問題が、「過去の話」になってしまうような現実が生じるのではないか、と。

 これ(集団的自衛権行使の容認)によって、具体的にどういったことが起こるか、未来のことは未知数だが、自衛隊が戦闘地域において武器の使用に踏み切る可能性が出てきた。そうなれば、戦闘に参加した自衛官のなかに死者が生まれることも予想される。つまり、戦後はじめて「戦死者」が生まれるわけである。 
 そのとき、戦死した自衛官靖国神社に祀るべきだという議論が出てくるはずである。まったくそうした主張が生まれないとは考えられないし、その主張に共感する人間も少なくないものと予想される。


 いまの日本で「靖国問題」がクローズアップされるのは、ある意味「日本があれ以来、直接的な戦死者が出るような戦争をしていないから」なんですよね。
 実際に交戦している状況下では、国家としては「戦死者」は顕彰せざるをえないでしょうし、そのひとつの形式として「靖国神社への新たな合祀」も起こりえるのです。
 そうなれば、首相だって、靖国神社に参拝しないわけにはいかないですよね。
 戦争をしている最中に「A級戦犯の合祀が云々」と言われても、「ゴチャゴチャ言うな!」くらいのものでしょう。
 「非常事態」になってしまえば、「なんでもあり」になってしまうのは、歴史が示しています。


 「靖国問題」というのは、もしかしたら、「日本にとって、束の間の平和な時代のあだ花」みたいなものなのかもしれません。