琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

【読書感想】世界史を変えた薬 ☆☆☆☆



Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
「あの薬」がなかったら、世界の運命は変わっていた!もし、コロンブスがビタミンCを知っていたら。もし、チャーチル感染症で急死していたら。もし、モルヒネの構造が原子ひとつ違っていたら。世界の歴史は、全く違っていたかもしれない!?


 『JIN-仁-』という漫画(あるいは、テレビドラマ)を覚えている人は多いはず。
 あの作品のなかで、西暦2000年の現代から幕末の日本にタイムスリップした脳外科医・南方仁が、その時代に「現代医療」を持ち込んでいきます。
 いまの時代からすれば、存在するのが当たり前の「抗生物質」も、それができる前までは、感染症により、多くの人がなす術もなく命を落としていたのです。
 この新書を読んでいると、生きていたら歴史を大きく変えたかもしれない人でも、はかなく病で命を落としてしまった、ということが、人類の歴史にはたくさんあったのだろうな、と想像してしまいます。


 それにしても、昔の医療っていうのは、今から考えると「何それ……」と言いたくなるようなものがほとんどです。

 たとえば古代メソポタミアでは、紀元前4000年から3000年ごろの粘土版に、550種もの医薬が記載されている。驚いたことにその主力は、動物の糞、腐った肉や脂、焼いた羊毛、豚の耳垢などの汚物であった。
 この時代、病気は悪魔が体内に侵入したために起こるものと考えられていた。これを追い出すためには、悪魔が嫌う悪臭を放つ汚物を使えばよい、という発想であったらしい。古代エジプトにも「汚物薬」は存在し、動物の血や糞尿、パンや木材に生えたカビなど、胸の悪くなるようなものが投与されたと記録にはある。
 なお悪魔祓いには、外科手術も援用された。古代エジプトやインカの遺跡に残されているミイラには、頭蓋骨に穴が開いているものが散見される。これは、頭骨に入り込んだ悪魔を追い出すため、外科手術によって穴を開けたものと見られている。穴の周りの骨に治癒した痕跡が見られることから、少なくともしばらくはこの状態のまま生きていたことになる。ちょっと想像もつかないが、果たしてこれで悪魔は去ってくれたのだろうか。


 それで治るわけないだろ……と今の時代を生きている僕としてはあきれ果ててしまうのですが、医療というのが急速に発展してきたのはこの100年くらいのもので、抗生物質が無い、あるいは不足していた二度の世界大戦では、感染症で多くの兵士が命を落としているのです。
 日本と連合国側では、兵器の生産能力に大きな差があったのだけれど、医療水準や薬の生産能力にも、埋め難い差がありました。
 

 この新書のなかに「壊血病」の治療法の確立についての、こんなエピソードが紹介されています。

 1747年にリンド(英国海軍の軍医)は、どの治療法が本当に有効であるのか調べるために、次のような試験を行った。12人の壊血病患者を同じ場所に集め、毎日同じ食事を与えた。そして患者を2人ずつ6組に分け、それぞれにリンゴ果汁、硫酸塩溶液、酢、海水、ニンニクなどからつくったペースト、オレンジ2個とレモン1個を与えたのだ。また、症状を発したものの、通常の食事を続けた者もいたので、これも並行して観察を行った。
 結果は、わずか6日で出た。オレンジとレモンを与えられた兵士はほぼ完治。リンゴ果汁を飲んだものはわずかに回復が見られたが、他の者は全く症状の改善が見られなかった。ここに、「柑橘類が壊血病の特効薬になる」という事実が、見事に証明されたのだ。
 この実験は、現代の目からは当たり前にも映る。だが、他の条件をなるべく一定に揃え、比較対照群と共に実験を行なって、何が有効なのかをはっきりさせたリンドの手法は、全く画期的なものであった。現代の臨床試験はこの考え方を基礎としており、あらゆる医薬や医療器具などは、この試験をくぐったものだけが広く認められることになっている。


 今となっては「あたりまえのこと」なのですが、それを最初に思いつき、実行した人はすごかった。
 比較対象する群が、それぞれ2人ずつというのは統計学的には少なすぎる、とかちょっと思ってしまったのですが、このリンドさんの着想があったからこそ、治療の効果を定量化できるようになったのです。


 中国史に残る名君として名高い、清の康煕帝についてのこんな話も紹介されていました。

 康煕帝の在位は61年にも及び、これは中国歴代皇帝の最長記録だ。王者が長く健康を保てなければ、長期安定政権などは望めない。単に政治能力や人心掌握術に秀でるだけではなく、肉体的に頑健であることも、名君の重要な条件なのだろう。
 しかし、その康煕帝にも、ピンチはやはり訪れている。そのひとつは、40歳のころに遠征の途上でマラリアを発病したことだった。康煕帝は一時危篤状態にまで陥るが、この時イエズス会の宣教師から特効薬が献上され、彼は一命をとりとめた。戦争の最中に、国家の大黒柱たる皇帝が倒れていれば、清帝国の運命はどう変わっていたかわからない。
 また、この時に見舞いに訪れた皇太子は父の体を案ずるどころか、これで皇帝位が転がり込んでくると、思わず喜色を浮かべてしまった。これがきっかけで皇太子は父からの信頼を失い、やがて廃嫡に追い込まれた。代わって次期皇帝の座に就いた雍正帝、その子の乾隆帝により、清帝国は全盛時代を迎えることとなる。いろいろな意味で、康煕帝マラリアは歴史のターニングポイントとなったのだ。
 この時康煕帝の命を瀬戸際で救った特効薬こそ、本章の主役であるキニーネだ。これをきっかけに康煕帝は西洋の学問に傾倒し、キニーネを献上した宣教師たちには、褒美として北京初の壮麗なカトリック教会の建設が許されている。キニーネの素晴らしい効能に、康煕帝がいかに心を動かされたかが伝わってくるようだ。


 このとき、キニーネがなかったら、そして、ちょうど西洋文明(イエズス会)との邂逅がなかったら……
 歴史のifは、いくらでも考えようがあるのかもしれませんが、こういうこともあったのです。
 長生きすることは権力を維持し、歴史に名前を残すための大事な要素で、終生健康に気をつけていた徳川家康は、最終的に天下をとりました。
 豊臣秀吉と死ぬ順番が逆だったら、歴史はまったく違ったものになっていたことでしょう。


 いまの世の中は、薬が開発し尽くされているようにさえみえます。
 臨床試験の厳しさもあり、新薬も少なくなってきました。
 この新書、Kindle版にだけ、紙の新書には無い【特別編:寄生虫ノーベル賞「人類vs寄生虫」宿命の闘い】が加筆されています。
 大村智北里大学特別栄誉教授が熱帯の寄生虫に対する治療薬「イベルメクチン」開発の功績に対して、2015年のノーベル生理学・医学賞を受賞したのを受けて書かれたものです。
 著者は、この授賞に対して、こんな考えを述べています。

 世界保健機構(WHO)は、アフリカ睡眠病、デング熱など17の「顧みられない熱帯病」を指定し、その制圧を目指している。これら17種類の病気のうち、実に11種類までが寄生生物によって引き起こされる病気であり、オンコセルカ症もそのひとつだ。これらは149の国に住む15億人に感染し、毎年50万人の命を奪っている。しかし21世紀の今も、これら熱帯病に対する薬の開発は十分に進んでいない。
 抗寄生虫薬の開発は、他の薬に比べて必ずしも難しいわけではない。たとえば日本では、マクリまたは海人草と呼ばれる海藻が1000年以上前から駆虫薬として用いられ、効果を上げてきていた。平清盛の命を救ったのも、あるいはこの薬かもしれない。
 にもかかわらず、寄生虫がいまだ熱帯に蔓延しているのはなぜか。端的に言えば、これらの治療薬が、製薬会社にとって儲からない薬であるためだ。膨大な資本の投下を必要とする製薬産業にとって、購買力の低い層を相手にする医薬は、手を出しにくいのは事実だ。
 製薬企業が現在力を入れているのは、遺伝子技術を駆使して作る「バイオ医療」と呼ばれるものだ。これらは薬価が高く、企業にとってはうまみが多い。バイオ医療はがんやリウマチなどの難病に著効を示し、その治療を大きく変えつつある。筆者も、もし医薬にノーベル賞が出るとしたら、この分野かと考えていた。
 しかし、ノーベル賞委員会は、あえて最先端のバイオ医薬でなく、泥臭い、古いタイプの研究によって生まれたイベルメクチンと、やはり熱帯病であるマラリア治療薬の開発を顕彰することを選んだ。これは、先進国の疾患ばかりではなく、遥かに多くの患者が新薬を待つ熱帯病にもっと目を向け、医療格差を解消すべきという、委員会からの強いメッセージだろう。

 大村教授の業績が素晴らしいものであることは誰もが認めるところです。
 でも、なぜ、このバイオ医療全盛の時代になっての授賞だったのか?
 たしかに、こんなメッセージを読み取ることは可能ですよね。
 バイオ医療の薬のなかには、驚くほど薬価が高いものもあります。
 白血病の薬が、月400万、というニュースを最近みました。もちろん、患者さんはそんなに払えないので、国が医療費を援助し、患者さんの負担は月5万円くらいになるそうなのですが。
 薬品メーカーも「企業」ですから、そういう薬価が高く、治療費を払える経済力を持つ人や国を対象とした薬にばかり、目が向いてしまいがち。
 それに対して、ノーベル賞委員会は、「それで良いのか?」と注意を喚起したのです。
 人の命の重さを数だけではかってはいけないのかもしれないけれど、「顧みられない熱帯病」の治療薬のほうが、はるかに多くの人の命を救える可能性があるのに、と。
 

 技術的な問題だけではなく、経済的・倫理的な問題が、新薬の開発に影響してくる時代には、また違ったジレンマがあるのです。


世にも奇妙な人体実験の歴史

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