琥珀色の戯言

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【読書感想】新薬に挑んだ日本人科学者たち ☆☆☆☆


新薬に挑んだ日本人科学者たち (ブルーバックス)

新薬に挑んだ日本人科学者たち (ブルーバックス)

内容(「BOOK」データベースより)
新しい薬を創る「創薬」。日本人は世界に誇れる薬をいくつも送り出しているが、その事実や、開発までの舞台裏は、あまり知られていない。スタチン、エイズ治療薬、アルツハイマー病治療薬、がんの薬、免疫抑制薬、抗体医薬など、日本人研究者による、画期的な創薬は数多い。その開発までの苦闘と、創意工夫の物語。

いまはどうなっているのかよくわからないのですが、僕が学生だった20年前くらいは、医学部の講義に「創薬」の話が出てきた記憶がないんですよね。
「薬理学」の講義はあったのですが、「実際に臨床現場で使われている薬は、どうやってつくられたのか?」という話は出てきませんでした。
医学教育や現場で得た知識というよりも、高野和明さんの小説『ジェノサイド』や、マンガ『JIN-仁-』でのペニシリンをつくった話のほうが、印象に残っているくらいです(『JIN』はフィクションですからね、念のため)。


この新書では、コレステロールを下げる薬「スタチン」や、数々のエイズ治療薬、アルツハイマー治療薬の「アリセプト」などの開発秘話が、開発に従事した人たちへの取材で明かされています。
「創薬」というのは、本当に大変な仕事で、うまく製品になって多くの人に使われれば何千億円もの利益をもたらすこともあるのですが、多くの開発担当者は、「自分の薬」を世に出すことができないままキャリアを終えていく、という厳しい世界でもあります。


この新書を読んでいると、本当にいろいろな世界から、「新しい薬になるもの」が探し出されてきているのがわかります。
キノコを研究していた人がいれば、漢方薬を研究していた人もいる。
そして、免疫抑制剤「タクロリムス」の開発の章には、こんな話が紹介されています。

 世界で実用化されている薬剤のうちで、天然物由来の成分を原料とする物はかなりの数に上る。新しい天然の原料を求めて、土壌にひっそりと潜む微生物をハンティングしている「狩人」たちがいる。タクロリムスは、そんな地道な土中の宝探しの成果から生まれた。
 木野亨(タクロリムスの開発担当者)も「狩人」の一人で、藤沢薬品で新薬の候補となる物質の探索研究を長年手掛けてきた。


(中略)


 土壌を採取して、微生物を培養して検体を調剤し、病気のメカニズムを手掛かりにした評価系にかける。そのスクリーニングを繰り返して候補物質を見つけ出す。これは創薬の王道である。土壌採取から初期のスクリーニングのための動物実験までを、藤沢薬品では探索の研究者がみずから手掛けていた。


(中略)


 木野が研究を行ったのは、1983年に茨城県筑波研究学園都市に新たに開設された藤沢薬品の探索研究所である。所内は新入社員が半数を占め、若さとやる気にあふれていた。開設直後から探索が開始され、社員がハイキングや旅行に出かけたときはスプーン1杯の土を持ち帰るようにと呼びかけがなされた。

 こういう身近なところからの、地味な作業の積み重ねから、新しい薬は生まれてきていたのです。
 木野さんたちは、のちに近郊の筑波山の土壌中から、新しい放線菌の代謝生成物を発見し、その有効成分が「FK506」(のちのタクロリムス)になりました。

 微生物との偶然の邂逅は、例がないわけではない。たとえば、セファロスポリンが最初に単離されたのは、イタリア・サルデーニャの下水道。また、シクロスポリンの元となった真菌は、ノルウェー南部の高原からサンド社社員が持ち帰った土中から見つかった。探索研究者には、自宅の庭をはじめとして片っ端から土を掘り返して、微生物と出会った者も少なからずいた。
 自宅の庭なら問題にはならないが、まだ手つかずの人里離れた地へ、企業が探索のフィールドを拡大する傾向には議論がある。


 この本を読んでいると、創薬を成し遂げた人々の熱意と、その仕事ぶりには圧倒されてしまいます。
 アルツハイマー病の治療薬「アリセプト」の開発リーダーだった杉本八郎さんが振り返る、開発当時の話。

エーザイ不夜城”と揶揄される中、杉本は「9時前に帰るな」「土曜も出勤せよ」、そして「週に5体以上合成せよ」と、うとまれながらも若手に檄を飛ばした。午後9時過ぎに研究所を回ってくる内藤の差し入れは、カツサンドが定番だった。当時エーザイが提携していたサンド(現・ノバルティス)社を追い越そうという気概がこもる。

まあ、いまの感覚でいえば「ブラック企業的」ですよねこれ……
しかしながら、こうして競争をしてきて、ようやく結果を残せたというのも事実なわけで。


その一方で、ちょっとした思いつきや、「寄り道」が、創薬のきっかけになったこともあるのです。
難しいですよね、本当に。


著者は、

 創薬は異部門の多くの人がかかわる共同事業であり、候補物質の探索から世に出るまでには15年以上もの長いプロセスがある。このすべてを複数回経験することは難しい。

と述べています。
「新しい薬をつくること」と同時に「次の世代の開発者を育成すること」も必要なわけで、創薬というプロジェクトの大きさ、かかる時間の長さは、気が遠くなるなるほどです。
開発費も莫大なものとなってきています。


インターロイキン6(IL-6)の発見者である岸本忠三さんへのインタビューより。

――日本の創薬が海外に立ち後れた背景は。


岸本:2010年前後に大型医薬品の特許がいっせいに切れる「2010年問題」で、製薬会社が守りの姿勢に入り、次のものにチャレンジするという精神が少なかった。
 また、欧米の製薬会社では、一般にトップを含めた上層部が医師であり、疾患から発想する。日本の製薬会社は薬の販売から始まっていて医師はおらず、世界の流れを読み切れなかった。医師がいないのならば大学と共同して研究すればよいが、密接な連携関係がない。大学側も、難しい学問さえしていればよいと考え、どこからスピンアウトしてベンチャーをつくろうという動きも少なかった。
 反動で、今は「役に立つことをしろ。そうすれば金を出す」と揺り戻しが起こっている。役に立つことをと思ったら、ろくな成果が生まれることはない。我々の場合も、1970年代からの地道な基礎研究が薬につなかっている。抗体医薬のように原理原則を突けば、ステップを追って必ず薬や病気の診断になる。「役立つ」ことをまったく無視してもいけないが、追いかけすぎてもいけない。

ある意味、「薬になるそうなものは、もう調べ尽くされた」ような気もするのですが、これからもまだまだ、新しい薬は出てくるのでしょうね。
それにしても、岸本さんがおっしゃっているように、日本の大学というのは、研究機関としては、あまりにも「極端から極端へ」振れているように見えます。
どこが「バランスのとれたところ」なのかは、なかなか難しいのでしょうけど……


「創薬」という仕事に関しては、もっとクローズアップされても良いのではないかと思っていたのですが、その入門編として、まさに「適切な一冊」だと思います。

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