琥珀色の戯言

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【読書感想】ネコがメディアを支配する ネットニュースに未来はあるのか ☆☆☆


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
今や「スマホでどこでもメディア」が当たり前に。しかしページビュー数とお金儲けを追求した結果、「劣化」した情報があふれた惨状に、著者は「ネットメディアの進化は終わった」と指摘する。輪郭を失った「ニュース」にどんな未来が待つのか?「ネコ動画」にメディアは飲み込まれてしまうのか?新時代のメディア論登場!


 元読売新聞の記者で、ヤフーのウェブメディア「THEPAGE」の編集長として活躍されている、奥村倫弘さんの著書です。
 奥村さんが成城大学で講義をした内容に基づいて書かれているため、やや堅いというか、講義っぽいところはあるのですが、活字メディアで手書きの原稿を書いた経験から、FAX、ワープロ、インターネットと、さまざまなデバイスを使って、大手新聞からウェブメディアまで体験してきた人ならでは、という真摯な内容になっています。

 ネットメディアにまつわる画期的な発明は「広告」だけではありません。新聞社や出版社、テレビ局だけではなく、誰もが情報を発信できるようにしたテクノロジーの数々、たとえば「ブログ」の登場は、既存メディアへ大きなインパクトを与えました。誰もが意見を交わせることへの期待を込め、かつては「ブログ論壇」という言葉まで飛び交いました。
 また、大手メディア発の情報でなく、誰もが発信できる情報の中でも、高い価値を持つコンテンツが見出されるようになっていきました。そのうちの一つが「ネコ」です。
 これは単に私が格別のネコ好きであるとか、ネコがもたらす癒しが現代人に必要とか、そういうことから言っているわけではありません。「ネコ動画」は身近にネコがいれば、誰でも発信できるうえ、しかも現実としてPVがたくさん稼げる驚異のコンテンツなのです。
 そうしたコンテンツが勢力を増す一方、手に入れるために多くの労力や費用がかかり、発信に万全のケアが必要、かつ社会に伝える意義のあるコンテンツである「ニュース」、そしてそれを支えるジャーナリズムの価値が揺らいでいる印象が見受けられるようにもなりました。その状況を言い表したのが本書のメインタイトル、『ネコがメディアを支配する』です。


 ネットでさまざまなニュースが配信されるようになって、世界中の出来事がほぼリアルタイムでわかるようになりました。
 しかしながら、実際に多くの人に見られ、PV(ページビュー)を稼いでいるのは、「ネコ」のほうなのです。
 ヤフーニュースでは、ネットメディアのトップランナーとしての社会的な役割を踏まえて、PV稼ぎだけに偏らないように、重要と思われる海外情勢などもトップページに掲載しているそうなのですが、ユーザーの反応は芸能ゴシップや「ネコ」に比べるといまひとつみたいです。
「ヤフーニュースでは、コソボは独立しなかった」という言葉もあるのだとか。
 僕自身も、海外情勢のニュースをそんなに好んで観ているわけではないんですよね。面白ゴシップ記事はさておき。
 「海外ニュースがリアルタイムで伝えられる時代」というのは、「それを知ることができても、結局自分の生活は何も変わらないことを実感せざるをえない時代」でもあるのかもしれません。

 時代はさかのぼりますが、ニュースアプリが取り扱うニュースの様相がかつてと大きく変わっている、という印象を強く感じるようになったのは、スマートフォンが普及する前後の時期でした。
 記憶によると、2008年にタレントの辻希美さんがつくり、ネットに上げたお弁当について、「辻希美が作ったタモリ顔弁当」という13文字の見出しをつけ、ヤフー・ニュース トピックスに上げたことで、「この情報をニュースと呼べるのか」と社内外から疑義が生じました。そこから何年か経ちましたが、その間、インパクトの強い、時に過激な見出しがネットメディア上で躍るようになりました。
 スマホのニュースアプリを開けば目に飛び込む「ウミガメの口の中が超グロかった!」「どんな男もダメ男にしちゃう女性の……」といった、確かにクリックしたくなるような煽り見出しとその記事、果たしてこれらも簡単に「ニュース」と呼んでよいのでしょうか。
 2015年春、とある新聞社の方と話していて、こんな衝撃的な言葉を耳にしました。
「ネットには、なんてことのない記事を配信しておけばいいんですよ」
 劣化を起こしていたのは、新興ネットメディアやソーシャル上のコンテンツだけかと思っていましたが、「いよいよ伝統メディアまでそうなったのだろうか」と、どこかで裏切られたような、取り残されたような、なんとも言えない寂しい気持ちになったのを覚えています。
 もっとも、パクリ記事や中身の薄い「ジャンクフード・コンテンツ」、さらに性的な内容を打ち出した記事自体はスマートフォンが市民権を獲得する前より存在していました。しかし、パソコン版のヤフー・ニュースがネットニュースの配信元として圧倒的なシェアを誇っていたうちは、今ほどは目立たなかっただと思います。
 手前味噌はあまり好きではありませんが、ヤフー・ニュースは、社会的な関心が高い話題を扱うけれども、品性を保ち、あくまで人の目を介し、価値ある記事を選ぶことを編集方針としてきました。公共性の高いニュースは確かにあまり読まれないかもしれない。それでもニュースを提供するという立場に自負と責任を持ち、きちんと扱っていくべきと考えていました。


 丁寧に取材した記事よりも、どこかから見つけてきたネコ動画の紹介や芸能人どうしの揉め事のほうが稼げるのなら、よりラクなほうに流れていくメディアがあるのも、致し方ないような気がします。
 「多くのユーザーはそれを求めているんだから」という言われると、否定できないですよね。
 そういう意味では、ヤフーニュースは、まだ「ネットのなかで、既存の大手メディアのようにプライドを保とうとしている」とも言えるのです。


 著者は、PVを追い求めるネットメディアが繁栄していく一方で、そういうネットメディアが歯牙にかけないようなローカルニュースに、今後の報道が果たすべき役割や可能性があるのではないか、と仰っています。

 私が新潮社にいたとき「人口が1万人にも満たない町の汚職事件の記事など誰が読むのか」とぼやいていた先輩がいました。
 でも、本当はそうした記事こそ重要なのではないでしょうか。自分の住んでいる町で、何が起きているのかを報道されない世の中や、小さな町の事件報道が社内的に評価されないことのほうが問題です。
 スクープで一面を飾るだけが、ネットを大いに騒がせるだけが、報道の仕事ではありません。今大事なのは、行政や議会をきちんと騒がせるだけが、報道の仕事ではありません。今大事なのは、行政や議会をきちんとウォッチする機能を伝統メディア、ネットメディア問わず、あらためて私たちが手にすることのような気がします。


 これだけネットが普及してしまえば、もう「ネットは特別なもの」だと意識すること自体がおかしいのかもしれません。
 僕のように、「物心ついたときには、まだネットがなかった人間」のほうが、ネットを特別視しがちなところもあるんですよね。
 

 私が教えている大学の授業で、学生の一人がこんな質問を投げかけてきました。
「ネットメディアの経営者の多くは、素晴らしい学歴や経歴を持っていて頭がいいはずなのに、どうして役に立たないような、害を与えるようなコンテンツをつくってしまうのでしょう」
 昨今の混乱したネットメディアの状況を見る限り、そうした疑問を持つことは至極まっとうだと私は感じました。しかし、その質問に答えるのであれば、大変に皮肉な話ですが、「彼らの頭がよすぎるからそうなった」という回答にたどり着く気がします。
 企業である以上、経営者に与えられた究極的な使命とは「お金を儲けること」です。優れた経営者ほど、その目的を達成するために要領のよい、最短ルートをつくることに勤しみ、その明晰な頭脳を駆使するでしょう。


 社会的な役割やメディアとしてのプライドと、お金をよりたくさん稼ぐという「使命」と。
 これから、ネットがあるのが当たり前の世代の割合が増えていくにつれ、「ネットだから仕方がない」とは思われない時代になっていくはずです。
 ただ、「海外の難民のニュースとネコ動画だったら、多くの人は後者を見たがる」というのは、ネットの責任というより、人間の性質であり、それが可能な時代になっただけなんですよね、たぶん。


ヤフー・トピックスの作り方 (光文社新書)

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