琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

ゲームは、10年周期で変化する

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20060806/107582/

非常に興味深い記事です。
さすがに「ポン」の頃からとは言いませんが、「スペースインベーダー」「カセットビジョン」の頃からゲームを見届けてきたのですけど、確かに、そういう「10年くらいを節目とした潮流の変化」はありそうです。

最初の10年が「アーケードゲームの時代」
次の10年が「家庭用ゲームの時代」
ここ10年が、「高性能家庭用ゲームと携帯ゲームの時代」

そして、ゲームで遊ぶ人の性別・年齢層に関しても、

最初の10年は「不良とマニア」
次の10年が「男の子」
最近10年が「子供から中年層まで(性別問わず)」

というような「潮流の変化」がみられています。
現在は、「脳を鍛えるDSトレーニング」の影響などで、さらにゲームをする人の年齢層は広がってきています。
僕が幼稚園、小学校低学年の頃までは「ゲームをするヤツは不良」だというレッテルを貼られており、
僕が小中学生の頃まで(20年前くらい)までは、「テレビゲームをする女の子」というのはけっこう珍しい存在だったのです。
当時は、大部分の女子の見解は、「ゲームなんて、何が面白いの?」でした。
今では「ドラクエ」「FF」を知らない女子のほうが珍しいくらいなのに。

こういう「ゲーム文化の変遷」というのは、「車文化の変遷」に、ちょっと似ているかもしれません。
車も、世に出た初期は好事家のものだったのが、だんだん「一般化」するという過程を経てきています。
そして、初期の車は「便利」であると同時に(あるいはそれ以上に)「ロマン」であり「ステータス」であったのが、今となっては「道具」であり「生活必需品」です(もちろん、今でも車に「ロマン」を持っている人は、かなり存在しているのですが)。
そう考えると、今後のゲーム文化というのは、「一般化」「個々のニーズに合わせる形での多様化」という方向に進むことが予想されますし、個々のゲームに関しては、「ひと目見ただけで驚かされるようなゲームや、何百万本も売れるようなゲームを出すのは、どんどん難しくなっていく」のだと思います。
「ゲームの進化とともに生きてきた」僕にとっては、ちょっと寂しい未来予想図ではあるんですけどね。

「名牝」ベガ、くも膜下出血で逝去

http://www.nikkansports.com/race/p-rc-tp0-20060818-77064.html

 16歳で逝去というのは、サラブレッドとしてはけっして「短命」ではないのですが、この馬を現役時代から見ていただけに、なんだかとても寂しい訃報でした。
 僕はこの世代では、マックスビューティーの娘であるマックスジョリーを応援していて、桜花賞で3着、リアルシャダイ産駒だったため、距離が伸びて逆転!と思っていたらオークスでも3着で、ものすごく悔しかったのを覚えています。サクラユタカオー産駒のユキノビジンオークスでも2着だったんだよなあ。あれを記憶していたら、ウメノファイバーオークスだって獲れたはずなのに。

 ベガのことを思い出そうとしても僕の心に浮かんでくるのは「ベガのライバル馬」たちのことばかりで、逆に言えば、ベガというのは「無難に強すぎて、なんだかあまり記憶に残らない馬」だったような気がします。せいぜい「脚が曲がっていて、競争馬生命を危ぶまれていたため、社台で「売り物」にならないと判断され吉田和子さんの個人所有になった」というエピソードが知られていたくらいで。鞍上武豊、社台、未勝利勝ちからチューリップ賞を制し、距離不足を不安視された桜花賞を快勝し、オークスも制覇。秋は海外遠征の予定だったものの、結局白紙になり、ぶっつけで臨んだエリザベス女王杯で3着。でも、負けはしたけれど、半年振りのレース、しかもG1での3着には、「本当に強い馬なんだなあ」とあらためてこの馬の強さに感心した記憶があります。それでも、実は僕にとっての「ベガ」の最大の記憶って、「ベガはベガでもホクトベガ!」の「ホクトベガの引き立て役」としての存在なんですよね。その後ホクトベガが伝説になってしまったので、むしろ「本家ベガ」のほうが「ホクトベガじゃないベガ」になってしまったような印象すらありました。エリザベス女王杯の後は牡馬相手のレースで全然良いところなしだったこともあり、なんだか尻すぼみな競争成績だったし。

 しかし、ベガの凄いところは、その後の繁殖牝馬としての成績です。ダービー馬・アドマイヤベガ、砂の王者アドマイヤドンの2頭のG1馬のお母さんとして、繁殖牝馬としてもすごい活躍をみせました。ちなみに、母親が日本のG1馬で、2頭以上の産駒がG1を勝ったのは、ベガとアグネスフローラの2頭だけなのだそうです。

 最高の競争馬であり、理想の母馬であった。まさに日本競馬史上に残る「名牝」。まだまだ逝ってしまうには早かったとは思うけれど、この馬の場合は、すべてを「成し遂げた」馬生であったような気がしてなりません。日本競馬にとって最高の良血馬であるアドマイヤベガの夭折は、本当に勿体ないのですけど、アドマイヤベガの子供たちやアドマイヤドンファルブラヴ産駒の牝馬キャプテンベガが、後世に血を残してくれるに違いありません。
 よき娘、よき妻、そしてよき母だったベガ。競走馬として燃え尽き、母となることなく砂漠に散ったライバル「もう一頭のベガ」と、今頃、天国で何を話しているのでしょうか。

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