琥珀色の戯言

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【読書感想】ファスト・カレッジ: 大学全入時代の需要と供給 ☆☆


Kindle版もあります。

現役職員が明かすざんねんな大学のリアル

大学は教育機関ではなかったのか? 大学全入時代といわれる昨今、「就職しか興味がない学生」と「教える意欲がない教員」の思惑が一致した結果、早く手軽に卒業資格を提供するだけのファスト・サービスと化してしまった──。入試は外注、授業は手抜き、気にするのは就職率だけ……。優秀な人材を輩出するどころか、「3年で会社を辞める新入社員」を生み落とす今の大学につける薬はないのか? 教員や学生たちに日常的に接する現役大学職員が明かす「ざんねんな大学」のリアル。


 新書をそれなりの冊数読んでいると、ときどき、著者の独りよがりや恨みつらみを「社会正義」っぽくコーティングして、なんとか一冊の本の体裁にしているものを見かけます。

 まさに「そういう本」なんですよ。
 僕は大概の本に対しては、面白いところを見つけ出そうとするし、つまらない本もたくさん読んでいると、「ああ、こういう理由でつまらないんだな」という発見があります。
 でも、この本は目新しい知識や知見もなければ、建設的な意見もなく、どこかで聞いたような、大学の「センセイ」や学生たちへの悪口が並んでいるだけで、まさに「時間とお金のムダ」だとしか思えませんでした。

 編集者は、読者のためにも、著者のためにも、この本を世に出すのをためらわなかったのだろうか?
 
 自分が勤めている大学の教員や学生に問題があるからといって、すべての大学がそうとは限らないし、ここに書かれている「遊んでばかりの大学生」というのは、いわゆる「Fラン大学」だけの話なのでは……
(僕は「Fラン大学」という言葉は大嫌いなのですが、ここではあえて使っています)

 いやもう、そんなレベルの低い大学なんて要らないだろ、そもそも、こんなに大勢が大学にまで行く必要があるのか?
 という問題提起であるのなら、そんなのいまさら「衝撃の告発!」みたいに書かなくても、みんなそう思っているよ、という話です。

 僕自身は職業訓練校みたいな大学に通いつつも、部活や人間関係で得るものが多くありました。
 大学がすべてではないし、日本の大学に問題点があることも間違いはないけれど、日本の教育システムというのは、アメリカの名門大学に比べると、まだ、「誰でも能力と機会があれば、良い大学に入るチャンスがあって、高いレベルの教育を受けられる」と考えています。
 とはいえ、僕が大学を受験した35年前に比べれば、「スタート時点での格差」は、かなり大きくなっている印象はあるのですが。

 いまの学生たちは、在学中から企業へのインターンに行き、いい会社に就職するために、いい成績を取ろうと勉強し、在学中は学費を払うためにアルバイトに明け暮れ、卒業後も奨学金の支払いに追われているのです。

 大学の教員は研究メインで、「教育」に力を入れていない、大学もネームバリューのある教員を連れてくることばかり考えて、学生への指導力は評価されにくい、というのは、たしかに「問題点」ではあると思うのですが、僕自身の経験では、研究で世界的に名前が知られている教授は、ものすごく忙しいはずなのに、僕たちのような研究生が書いた拙い論文を「これが自分の一番大事な仕事だから」と最優先で目を通し、丁寧に指導してくれていました。

 もちろんそんな「神対応」の教授ばかりではないのはわかっていますが(というか、特定の人を贔屓したりとか、人間関係の問題を抱えている人もいます)、しょうもない人の悪口ばかりを書き並べて、「大学教員はこんなに酷い連中!」と言われても、「こんなFラン大学の内部情報をネタにするために潜入しているような人と一緒に働くのは嫌だな」と。

 特別扱いの要求もお坊ちゃんの特徴のひとつです。アポなしで事務職員の部屋にズカズカ入ってきて「今ちょっといい? 時間貰える?」といって1時間以上話し込んでくるなど可愛いもの。面接やイベントなどの業務が多いから自分だけ減らして欲しいと耳打ちしてきたり、「(本当はただの帰省だけど)出張費よろしく」「今回だけ訪問記録のデータ入力よろしく」など、自分だけ特例扱いしてほしいとメールしてきたりするなども日常茶飯事。
「あの先生とは仲が良くないから面接官はペアにしないでね」など大人気ないオーダーも数多くあります。かまってちゃんは困ったちゃんです。
「今日は家のクリスマスパーティでボクが帰らないと始まらなくて」「今日は子どもの晩ごはんを作らなきゃいけなくて」と言って、入試の責任者なのに入試当日に自分だけ早上がりするなんていう呑気な自由気ままもしばしば。
 先生だからなんでも通ると思っている。先生だからなんでも許されると思っている。マイペースの押しつけをなんとも思わないのは、まさにお坊ちゃんです。
 さらに、面接当日になんと無断欠席した面接官は、「集合時間などのメールはいつ送られましたか?」など開き直って事務方のせいにしたりもします。


 僕自身もX(Twitter)で「#医療事務の愚痴」とかをつい踏んでしまって、「ううっ……」と申し訳なく感じることも多いので、「エラいセンセイ」に振り回される事務方の苦労というのはあるのでしょうけど。

 どこの企業にでもいるような職場の問題児をことさらに大きく採り上げて、「大学のセンセイは、みんなこんなワガママでどうしようもない人たちなんですよ」ってアピールされても、「まあ、そういう人は、どこにでもいるからねえ」としか思えない。そもそも、今の世の中で、大学の教員というのは、すでにそんなに「偉い人」だとは認識されていない。

 病院の場合は、給料に差があるので、僕は基本的に「給料分の仕事はする」ように心がけてはいます。まあでも、そうやって雑用的なものを「いいですよ」と引き受けていくと、なんでもかんでも押し付けられて、やるべき仕事が疎かになってしまうのです。

 まあ、書き方っていうのも、ありますよね。
 著者は大学職員をやりながら、こんな本を書いているのですが(しかも、著者紹介には勤務先であろう大学名も記されています)、慶應大学を出てリクルートに入り、ベストセラー作家にもなった人が、こんな陰険な「ほとんど建設的な要素がない、身内の悪口本」とは……
 そんなに嫌なら、その仕事辞めればいいのに。この人なら別のもっと自分のやりがいを感じられる仕事があるんじゃない?

 著者が提示している「改革」も、各大学のシラバスのデータベース化という、「歴史的・資料的な意義はあるかもしれないが、それで大学教育が改善されるとは思えない」ようなもので、この人、シラバス好きなんだな、としか思えませんでした。
 入試問題の外注というのは、「それは各大学が『こういう生徒が欲しい』というのを対外的にも示す機会なのだから、もっとちゃんと作ってほしい」と僕も感じました。試験問題って、作ってみると、確かに「ちょうどいい難易度と個性」のバランスを取るのは難しいから、業者に任せたくなる気持ちはわかるけど。

 中国の歴史に、側近に「臣下を罰すると陛下が恨まれ、嫌われますから、陛下は褒めることに専念して、罰するのはお任せください」と言いくるめられ、実権を奪われた皇帝の話があるのです。
 僕は、嫌な、めんどくさい仕事、とくに書類作成を依頼されたときに、この話を思い出すようにしています。
 そのめんどくさいことが資格を持っている自分にしかやれないから、権限が保たれている、というのは少なくないのです。

(こういう、本の内容とはあまり関係なさそうな「雑学的な話」「過去の思い出」を文中に入れるときは、僕の場合、感想を書いている本への興味のなさを反映していることが多いのです)

「ファスト・カレッジ」を批判する、いや、批判のレベルではなく、ただ恨みつらみを書き連ねただけの「ファスト・新書」。


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