http://www.nikkansports.com/race/p-rc-tp0-20060818-77064.html
16歳で逝去というのは、サラブレッドとしてはけっして「短命」ではないのですが、この馬を現役時代から見ていただけに、なんだかとても寂しい訃報でした。
僕はこの世代では、マックスビューティーの娘であるマックスジョリーを応援していて、桜花賞で3着、リアルシャダイ産駒だったため、距離が伸びて逆転!と思っていたらオークスでも3着で、ものすごく悔しかったのを覚えています。サクラユタカオー産駒のユキノビジンがオークスでも2着だったんだよなあ。あれを記憶していたら、ウメノファイバーのオークスだって獲れたはずなのに。
ベガのことを思い出そうとしても僕の心に浮かんでくるのは「ベガのライバル馬」たちのことばかりで、逆に言えば、ベガというのは「無難に強すぎて、なんだかあまり記憶に残らない馬」だったような気がします。せいぜい「脚が曲がっていて、競争馬生命を危ぶまれていたため、社台で「売り物」にならないと判断され吉田和子さんの個人所有になった」というエピソードが知られていたくらいで。鞍上武豊、社台、未勝利勝ちからチューリップ賞を制し、距離不足を不安視された桜花賞を快勝し、オークスも制覇。秋は海外遠征の予定だったものの、結局白紙になり、ぶっつけで臨んだエリザベス女王杯で3着。でも、負けはしたけれど、半年振りのレース、しかもG1での3着には、「本当に強い馬なんだなあ」とあらためてこの馬の強さに感心した記憶があります。それでも、実は僕にとっての「ベガ」の最大の記憶って、「ベガはベガでもホクトベガ!」の「ホクトベガの引き立て役」としての存在なんですよね。その後ホクトベガが伝説になってしまったので、むしろ「本家ベガ」のほうが「ホクトベガじゃないベガ」になってしまったような印象すらありました。エリザベス女王杯の後は牡馬相手のレースで全然良いところなしだったこともあり、なんだか尻すぼみな競争成績だったし。
しかし、ベガの凄いところは、その後の繁殖牝馬としての成績です。ダービー馬・アドマイヤベガ、砂の王者アドマイヤドンの2頭のG1馬のお母さんとして、繁殖牝馬としてもすごい活躍をみせました。ちなみに、母親が日本のG1馬で、2頭以上の産駒がG1を勝ったのは、ベガとアグネスフローラの2頭だけなのだそうです。
最高の競争馬であり、理想の母馬であった。まさに日本競馬史上に残る「名牝」。まだまだ逝ってしまうには早かったとは思うけれど、この馬の場合は、すべてを「成し遂げた」馬生であったような気がしてなりません。日本競馬にとって最高の良血馬であるアドマイヤベガの夭折は、本当に勿体ないのですけど、アドマイヤベガの子供たちやアドマイヤドンやファルブラヴ産駒の牝馬やキャプテンベガが、後世に血を残してくれるに違いありません。
よき娘、よき妻、そしてよき母だったベガ。競走馬として燃え尽き、母となることなく砂漠に散ったライバル「もう一頭のベガ」と、今頃、天国で何を話しているのでしょうか。