琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

私の男 ☆☆☆☆


私の男

私の男

■内容紹介■(文藝春秋のサイトより)
狂気にみちた愛のもとでは善と悪の境もない。暗い北の海から逃げてきた父と娘の過去を、美しく力強い筆致で抉りだす著者の真骨頂。

消費されて終わる恋ではなく、人生を搦めとり、心を縛り支配し、死ぬまで離れないと誓える相手がいる不幸と幸福。
優雅で惨めで色気のある淳悟は腐野花(くさりのはな)の養父。物語はアルバムを逆から捲るように、二人の過去へと遡る。震災孤児となった十歳の花を若い淳悟が引き取った。空洞を抱え愛に飢えた親子には、善悪の境も暗い紋別の水平線の彼方。そこで少女を大人に変化させる事件が起き……。黒い冬の海と親子の禁忌を、圧倒する恐さ美しさ、痛みで描ききる著者の真骨頂。お楽しみに!(SY)

こちらで内容の一部を「立ち読み」できます。


 「2008年ひとり本屋大賞」2作目。
 オビの「第138回直木賞受賞作」の金文字も眩しいこの作品、内容がかなりセンセーショナルなこともあってかなり話題にもなり、ものすごく売れているみたいです。直木賞を獲って以来、僕の近所の書店ではしばらく全く見かけなくなり、『スマブラX』レベルの品不足感でした。

 それで、この400ページ近い桜庭一樹渾身の作品を読み終えて僕が最初に感じたことは、「ああ、ようやく読み終えた……」という「解放感」だったのです。この小説、僕にとっていちばん面白かったのは、「第一章 花と、ふるいカメラ」で、読み進めていくうちにとにかくこの物語の「臭気」に気持ち悪くなってきたんですよね。
 いや、それはこの作品がつまらないというわけではなくて、これはまさに、その「臭い」を伝えるための文章なのだとは思うのですけど。
 あまりいろいろ書くとネタバレになりそうなので止めておきますが、正直、ミステリとしてはかなり「整合性」に欠けていて、よっぽど偶然の幸運に助けられないとこんなのムリだろ、と言いたいシーンもありますし、美郎には同性ながら「こういう女性に惹かれるのはわかるけど、『結婚しよう』とは思わないだろ……」と呆れてもしまいます。
 それでも、この小説を「人間が描けていない」と評した直木賞の選考委員たちの言葉に対して僕は、「あなたたちこそ、確実にこの世界に現在生きている、淳悟や花のような『人間』が見えていないのではないですか?」と言い返したくもなるのです。いや、僕にだって、普段は「見えていない」のですけど。

 ところで、僕がこれを読んでいちばん心に残ったのは、この言葉でした。

「世の中には、けして、してはならんことがある。子供にはわからんでも、大人が見本を見せんといかん。あの男も、あんたも、家族を知らんのだ。家族ってえのは、なにもあんなことをせんでも、いっしょにいられるもんなんだ。あれは、人間じゃない。わしは見た。ありゃあ、獣のすることだ。あんた自身は、悪い子じゃあない。だから、ほんとうに、忘れんといかんヨ。悪い夢だったと思って……紋別には、もう帰ってきたらいかんヨ。一度は孫の嫁にとまで思った子だ。可哀想な、子だ……。あんた、あんた……あんたヨォ……」

 この登場人物の「叫び」に共感した読者というのは、どのくらいいたのでしょうか?
 僕は正直、この人の「家族ってえのは、なにもあんなことをせんでも、いっしょにいられるもんなんだ」という盲目的な「家族信仰」が羨ましくもあったのと同時に、「いまの世の中では、家族って、そんな頑強な絆で結ばれているような関係じゃないだろ……」と、その「時代錯誤」っぷりに悲しくもなってしまったのです。僕にとっては、この人が信じている「家族」よりも、淳悟と花の「いびつな繋がり」のほうが、かえってリアリティがあるような気がしたんですよね……多くの場合、淳悟と花のような関係は、子供の側に大きなトラウマを残すだけの結果になるのでしょうが。

 「現実の自分には絶対できない疑似体験」ができる、とても素晴らしい小説であるとは思います。ただ、僕にとっては、やっぱりこのテーマはあまりに「重い」というか「『娯楽』にはなりえない話だし、読むことにあまり意義を感じられなかった」のも事実。
 あとひとつ気になったのは、淳悟の行動を「過去のトラウマが原因の性癖の歪み」だというふうに描かれているように思えたことです。僕はこの小説の「怖さ」の本質は、「すぐそばにいる人も、本当は淳悟や花のような関係を秘めているのではないか?」不安にさせることだと考えていたのですが、読み進めていくにつれて、「特殊な人間による、特殊な世界の話」に限定されていくような感じがしたんですよ。それはちょっと勿体無くない?

 しかし、最も怖いのは、あの真面目でおとなしい人に見える桜庭一樹という女性の頭のなかに、「フィクション」とはいえ、こんな世界が渦巻いている、ということかもしれませんね。

柳美里さんの「虐待」の話


「糞野郎ッ!」 小説家・柳美里、息子を虐待しblogで泣き顔を晒す…ネット上で批難の声

 柳美里さんの作品は、エッセイを何作かと『命』を読んだことがあるくらいです。ちなみに『命』の感想は、「うえっ……気色悪い……」でした。
 僕がこの件が話題になっているのを知って最初に考えたことは、「ああ、この人ならやりかねないな」ということと、「でも、この人に関わるとロクなことがなさそうだからな」ということなんですよね。

『本気で小説を書きたい人のためのガイドブック』(メディアファクトリー)という本のなかに、福田和也さんのこんな話がありました。

(作家という「職業」について)

 やっぱり僕の考え方としては、作家とはプロフェッショナルであるというのが前提にある。文章だけで生活し続けるというのは、大雑把に言うと他のことができない人しか生き残れないということ。あんまり例を出すと怒られちゃうけど、江國香織さんなんか1回だけレジ打ちのバイトをやったことがあって、そしたらレジ打つのが楽しくなっちゃって、誰も買物してないのにガチャガチャ打ち続けたと聞きました。柳美里さんなんか電車乗れない人ですからね。お書きになっているけど、乗ると必ず喧嘩になったりトラブルが起きて無事電車を降りたことがない。モノを書く意外でお金を稼いだことがない人でしょう。しかも物書きは終わりがないですからね。死ぬまでやらなきゃいけない。正宗白鳥が83歳で死んだとき、最後に言った言葉が「結局、才能以上のものを書くことはできない」。この言葉に小林秀雄が動揺したんです。努力すればなんとかなると言う人もいるけど、それはプロだから当然の話で、意地悪なことを言うけど9割9分の人はダメだと思う。

 一応、「福田さんと柳さんはものすごく仲が悪いらしい」という伝聞を付記しておきますが、柳さんというのは、その「作家としての才能」を除けば、「現実世界で生きていくのはとても大変な人」なのでしょう。僕はいままで、「小説を書けない(もちろん、舞台にも上がらない)柳美里」みたいな人に何度か接してきましたが、「人格障害」というレベルになると、「話せばわかる」「説得が通じる」っていう話じゃないんですよね。仕事などでどうしても「なんとかしなくてはならない」という場合でなければ、「危うきに近寄らず」というのが一番なのではないかと。そもそも、「病人」を叩いたってねえ……いや、「人格障害」っていうのは、「病気」じゃないのか……だからこそ性質が悪いというか、どうしようもないというか……こういう事件があったからといって、すぐに子供を行政に「保護」してもらうのが幸せなのかというのも、疑問ではありますし。こういう親って、自分がやっていることをブログに公開しないだけで、世の中にはけっこうたくさんいるんじゃないかなあ……
 ただ、僕はこの『痛いニュース』のコメント欄で、「母親っていうものは……」「子育てっていうものは……」と上から目線で語っている人たちの言葉も、正直ちょっと「気持ち悪い」んですよ。僕に子育て経験がないからなのかもしれませんけど。

 本当は、こういう人に関わる勇気があるのなら、「近所の虐待されていそうな子供」のことを児童相談所に通報するほうが、よっぽど有意義なのではないかと思います。
 柳さんの場合は、「話題になるからこういうことをブログに載せたくなる」のか、「ブログで観ている人たちが歯止めになって、このくらいですんでいる」のか、僕には全然わからないんですけどね。

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