琥珀色の戯言

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【読書感想】教団X ☆☆


教団X

教団X


Kindle版もあります。

教団X (集英社文芸単行本)

教団X (集英社文芸単行本)

内容(「BOOK」データベースより)
謎のカルト教団と革命の予感。自分の元から去った女性は、公安から身を隠すオカルト教団の中へ消えた。絶対的な悪の教祖と4人の男女の運命が絡まり合い、やがて教団は暴走し、この国を根幹から揺さぶり始める。神とは何か。運命とは何か。絶対的な闇とは、光とは何か。著者最長にして圧倒的最高傑作。


 『アメトーク』の「読書芸人」で、「オードリーの若林さんが、知り合いの作家に『オススメの小説は?』と聞くとみんな決まってこの本を挙げる」と、この『教団X』を紹介したそうです。
 芥川賞候補作家のピース・又吉さんも「10年に1回あるかってくらいの作品」と大絶賛。
 『本屋大賞』にもノミネートされ、なんか、「小説がわかっている人が薦める本」というポジションを得ていたのですが、率直に言います。
 この『教団X』だけはわからん。
 これは秘宝館みたいな小説で、洒落として笑い飛ばすには面白いかもしれないけれど、真面目に読むような作品だとは思えないんですよ、僕にとっては。
 うふーん、とか、あはーん、とかいうのを500ページ以上も読まされて、しかも、内容が無いなんて、どんな自己満足小説なのか、と。
 こういうエロ描写がやたらと多くて、しかも一昔前のスポーツ新聞に載っていたエロ小説の超劣化コピーみたいな感じだし、ストーリーもなんか伏線があるのかと思わせておいて、意味不明の断片的なイメージが長々と繰り返されるだけ。
 何かの「象徴」だということなのかもしれませんし、「こういうのがわかる」と訳知り顔で絶賛するのが「読書人」だというのなら、僕はそんなのまっぴらごめんです。


 単行本のオビには、西加奈子さんと又吉直樹さんの推薦コメントがついているのですが、あの世代の作家たちの「仲良し感」が僕はあまり好きではない、というか苦手なんですよ。
 みんな本当にこれを読んで、「すごい作品だ」と思ったのだろうか……
 そもそも、最近の本屋大賞って、ちゃんと書店巡りをして「営業」をやっている、「書店員さんの好感度が高い作家」がノミネートされがち、にみえるのです。
 

 山田風太郎さんの荒唐無稽なエンターテインメントや、『ドグラ・マグラ』の狂気をめざした作品なのかもしれませんが、ひとことで言うと「真面目な人がつくった『秘宝館』」という感じです。
 山田さんのような「遊び」もなく、突き抜けた狂気もない。
 そして、長くてつまらない。


 この小説、だいぶ前に読んだのですが、感想を書く気分になれませんでした(こういうことしか書けないし)。
 みんなが「何これ?」って言っているならともなく、なんだかやたらと持ち上げているのも、薄気味悪い。
 それこそ「『教団X』の仕業か?」って。
 「友達が書いたわからないもの」=「すごい!」という変換はおかしいよ。
 でも、そういう小説が最近はけっこうあって、書店員さんが、埋もれていた作品を「発掘」するための企画だったはずの『本屋大賞』でも、幅を利かせている。
 いくらなんでもこれは、埋めたままにしておいてほしかった……
 読んだ人は、本当に「面白い!」って、思ったのかな……

 

【読書感想】羊と鋼の森 ☆☆☆☆

羊と鋼の森 (文春文庫)

羊と鋼の森 (文春文庫)


Kindle版もあります。

羊と鋼の森 (文春文庫)

羊と鋼の森 (文春文庫)

内容紹介
ゆるされている。世界と調和している。
それがどんなに素晴らしいことか。
言葉で伝えきれないなら、音で表せるようになればいい。


「才能があるから生きていくんじゃない。そんなもの、あったって、なくたって、生きていくんだ。あるのかないのかわからない、そんなものにふりまわされるのはごめんだ。もっと確かなものを、この手で探り当てていくしかない。(本文より)」


ピアノの調律に魅せられた一人の青年。
彼が調律師として、人として成長する姿を温かく静謐な筆致で綴った、祝福に満ちた長編小説。


 この本のタイトルとピアノの調律師の話だというのを聞いて、一色まことさんのマンガ『ピアノの森』を思い出してしまいました。
 『ピアノの森』のほうは、ピアニストの話なんですけどね。
 

 あるきっかけで、故郷の山を出て、ピアノの調律師として生きていくことになった青年の成長期であり、「調律師」というちょっと耳慣れない「職業モノ」でもあり。
 世界がひっくり返るようなドラマやどんでん返しはなく、本当に淡々と物語は進んでいきます。
 調律という仕事について、丁寧に語られながら。


 あらためて考えると、世界にはさまざまなピアノがある。
 一般家庭で趣味として弾かれているものがあれば、世界的なピアニストが演奏する、わずかな音のズレも許されないものもある。
 僕も昔ピアノを習っていたことがあったのですが、「調律」の現場というのは見たことがなくて。
 僕がいない間に、調律師が来て、やっていてくれたのか、それとも、両親も「調律」なんてことは考えたこともなかったのか。
 ドレミファソラシド、の音階くらいはわかるけれど、では、その「ド」は正しい「ド」なのか?と問われても、よくわからない。


 この作品の素晴らしさは「調律師が実際に体験している世界」を、ものすごく誠実に言葉にして読者に伝えようとしていること、それに尽きると思います。

 大屋根を開け、突上棒で支える。チューニングピンが整然と並んだところは、いつ見ても心を打たれる。まるで、森だ。一秒間に何千メートルも音が走るスプルースの響板。ここに、和音(登場人物名)の音をつくる。森に分け入る和音が歩きやすいように、下草を丁寧に整えるように。
 まずは、鍵盤の高さの調節からだ。鍵盤の奥につながるクッションが摩耗してしまっている。ここに、ごく薄い紙を敷いて高さを調節する。もともと鍵盤の可動範囲は10ミリしかない。0.5ミリでも違っていたら、弾きにくくてたまらないだろう。
 高さの次は、深さだ。ひとつずつ叩いて、ハンマーが弦に当たる位置を確かめる。
 そうやってやっと調律に入る。前に、柳さんと話したことがあった。目を瞑って音を決めろ、と。あれは比喩ではなかったのだと思う。目を瞑り、耳を澄ませ、音のイメージが湧いてきたのをしっかりつかまえて、チューニングピンをまわす。


 調律というのはまさに職人芸で、弾く人の技量や置かれている場所、演奏される状況で、求められている音は違ってくるのです。
 まさに「裏方」なのだけれど、調律師が決めた音が、ピアノを活かしたり、殺したりしてしまう。


 主人公は、あまり世渡りがうまそうなタイプじゃないんですよ。
 朴訥な田舎の青年、というイメージです。
 彼は、うわべの「コミュ力」を上げることではなくて、自分の仕事である「調律」と向き合い、技術を高めていくことによって、世の中を受け入れ、世の中に受け入れられていくのです。
 めんどくさそうで、遠回りのように見えることが、世界に馴染んでいくための、いちばんの「近道」なのかもしれない。
 そんな気持ちにさせてくれる小説でした。


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