琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

死ぬ死ぬ詐欺

http://d.hatena.ne.jp/partygirl/20061006

非常にデリケートな問題でもあり、いずれ僕の思うところをキチンと書こうとは思うのですが。
「お前金持ちなんだから、子供の治療費は自分で出せよ」というような意見に対して僕が感じるのは、「想像力の貧しさ」なんですよね。いや、「ブランド物を買い漁りすぎてお金がないので募金してください」とかいうのであれば、それはもう「知るか!」とバッシングされて当然だと思うのだけれども、「子供の病気」というのは、「ある一定の確率で、誰かの元に確実にやってくる不運」なのです。そして、自分の愛する子供が移植をしなければ助からないような難病になってしまった親の心境というのはとても辛いものだろうし、ああいうふうに他人に「募金」を呼びかけるというのは、お願いする側からすれば、けっこうキツイことだと思うんですよね。みんなが優しく接してくれるばかりじゃないだろうし。
死ぬ死ぬ詐欺」なんて言うけど、「狂言自殺」とかじゃなくて、あの子供たちは本当に死んでしまうんだよ、このままでは。
別にイヤなら自分が募金しなけりゃいいだけなのに。

もちろん、会計を透明にする必要性はあると思いますが、「金持ちなんだから、カネは自分で出せ!」「家も売って、全財産投げ出せ!」とかいうのって、なんかおかしくないかなあ。病院というところで仕事をしていて感じるのは、「病人の周りの人たちだって、それぞれ自分の人生や生活がある」ってことなのです。「すべてを犠牲にしろ!」って他人に言うのは簡単かもしれないけれど(誰かがそれを「ブラックジャック症候群」と書いていたのには、ちょっとウケてしまいました)、もし自分がそう言われたらどう思う?

というか、「難病の子供を抱えている、そこそこの財産を持っているNHK職員」って、そんなに「社会的強者」なのかね。
本当の「強者」は、募金活動なんかせずに、すぐにアメリカに行って最高の施設で手術受けてるよ、みんなが知らないうちに。
「社会的強者を糾している」つもりなのかもしれないけどさ、本当は「自分より弱い人たちを叩いている」だけなんだよね結局。
いや、本当にやるべきことって、「各人の負担が増えるとしても、こういう不運な子供の手術費用を公的にまかなえるような制度の導入を考えること」とか、「日本国内で移植が可能になるような制度の導入を推進すること」じゃないかと思うんですけどね。

ただ、僕は正直なところ「海外に行って、現地の子供たちを押しのけてまで移植手術を受けて子供の命を救おうとすること」が正しいのかどうかについては、なんとも言えないんですよね。もちろん、自分の子供の命を救いたいという親の気持ちは、よくわかるのだけれども。

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