- 作者: 木村元彦
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2014/05/20
- メディア: 文庫
- この商品を含むブログ (4件) を見る
内容紹介
『オシムの言葉』の著者による渾身のノンフィクション。
独裁者、民主化革命、亡命、内戦、移民。現代史に散りばめられたこれらの言葉に、我が身を晒しながらも、抗い、誇りを持って闘うフットボーラーたちの姿を描く!
文庫化にあたりボスニア・ヘルツェゴビナ代表選手・ジェコの章を追加。(解説/高野秀行)
ワールドカップ・ブラジル大会が、ドイツの優勝で幕を閉じました。
このノンフィクション、単行本が出たのは2007年だったのですが、2014年5月にようやく文庫になりました。
この本には、著者の木村元彦さん(『オシムの言葉』の著者として知られています)による、「政治や社会情勢に翻弄されたサッカー選手、あるいは関係者の物語」が、綿密な取材をもとに収められています。
木村さんは、当たり障りのないインタビューをするだけではなくて、ときには戦争に巻き込まれる可能性がある場所まで彼らを訪ね、あえて政治的な質問や、その選手にとっては思い出したくないようなこともぶつけているのです。
まさに「体当たり」の取材。
にもかかわらず、その言葉には、彼らが置かれている状況への静かな怒りや権力の反発とともに、ユーモアも溢れています。
苦境に置かれながらも勝利を信じて戦うフットボーラーたちに、心を惹かれる。自分たちには及びもつかない力によって窮状に追いやられ、それでも彼らは希望をつなぎ続ける。EURO2000出場を勝ち取ったユーゴスラビア(現セルビア)がそうだった。
東西冷戦が終結し、世界が一つの巨大な価値観に支配されようとしている。”あの大国”に抗うには、スポーツ選手はあまりに無力だ。けれど、メジャースポーツで唯一、米国スタンダードでないこのサッカーという競技の選手たちは、自らのプレーで愛する祖国の存在感を見せつけることができる。
著者は「マイノリティへの思い入れ」が強く、この本のなかに出てくる取材相手には、スペイン、イングランド、ドイツ、イタリアなどの「サッカー大国の現在のスター選手」はいません。
むしろ、「サッカーエリートではない、ストリート育ちのフットボーラーたちが、内戦や紛争、独裁者の圧力に、どう向き合ってきたのか」が静かに語られていくのです。
そして、この本を読んでいると、日本の(そしておそらく世界のあちこちの)メディアが、「自分たちの目や耳で確かめないまま、受け売りの記事を書いてきたか」について、考えさせられます。
この本の最初に出てくる、イラク代表チームへの同行取材(2004年)より。
彼らのメンタリティーは不屈の魂で固められている。他力本願であろうが、先制点をとられようが、終了のホイッスルが鳴るまでは、常に戦って勝つことしか考えない。
取材をすればするほど、突きつけられた印象がある。神との対話を繰りかえすイラク人フットボーラーは、絶対にあきらめない。
語り継がれるドーハの悲劇の同点弾の時と同じだ。W杯に行けなくても最後までがんばったのは負けるとウダイに鞭打ちをされるから、との言説が流れたが、彼らは一笑に付す。
「確かに協会のアメと鞭はあったけどね。拷問されたら、選手生命すら終わってしまうよ」
何の大義もないイラクへの侵略戦争を肯定したいがための流言を吐いた連中は、人間は鞭打ちがないとがんばれないと考える、淋しい輩なのだ。
ああ、確かにそうだな、と。
でも、あの時、そういう報道を信じて、「ああ、そういう国なんだな」と思ってしまった僕もいて。
ちなみに、このときのイラク代表チームでは、スンニ派も、シーア派も、クルド人の選手も、みんな一致団結して、仲良く闘っていたそうです。
国際社会から「問題がある」と見られている国ならば、話に尾ひれをつけても構わない。
そんなことは、ないはずなのに。
そういう国だからこそ、その実態や、そこで暮らしている人のことが、伝えられるべきなのに。
著者がこういう取材をやれるのも、「サッカーに関することだから」という面もあるのですけどね。
その一方で、こんな話も紹介されています。
ルーマニアのヨアン・アンドネ選手の項から。
1980年代半ばから、<ディナモ・ブカレスト>は常に<ステアナウア>の後塵を拝していた。ステファン・ヨヴァンやブンベスク、ダン・ペトレスクを擁した<ステナウア>は、84-85シーズンを皮切りに、ルーマニアリーグ5連覇を達成する。86年にはヨーロッパチャンピオンズカップ決勝で<バルセロナ>を下し、軍用機に乗ってトヨタカップにやってきたのを記憶する日本のファンも多いだろう。人民軍を母体とする<ステナウア>の強さは、ヨーロッパ最後の独裁者ニコラエ・チャウシェスク大統領の長男、ヴァレンティンが会長に就任していたことと無関係ではない。国内の優秀な選手は<ステナウア>への移籍を強制され、また審判へのプレッシャーも凄まじかった。
有名な話がある。
87年に北部のクラブ<オラデア>との試合で、<ステナウア>は90分を経過した段階で1-2で負けていた。しかし、この日はヴァレンティンの御前試合だった。それゆえに審判は終了の笛が吹けない。ロスタイムが7分を経過したころ、PKを取ってようやく2-2、それでも試合は続行。11分が過ぎると、線審は<オラデア>の監督に泣きついた。
「わかってるだろう? 早く負けてくれ! 予算、食べ物、バス、すべてお上から来ているんだ。アレが観ているんだぞ、そっちが負けないと終われない。何とかしてくれ!」
3-2の逆転劇が成立するまで、それから数分だった。
周知のように、チャウシェスク政権は倒れ、大統領は処刑されるのですが、いまから27年前には、こんなサッカーの試合もあったのです。
もちろん、この試合だけが「特別」ではなかったはず。
ユーゴスラビアでは、代表に選ばれる選手の人種や地域の「割り当て」で、監督に圧力がかかったこともありました。
オシム監督は、家族を戦火のサラエボに残しながら、監督として指揮をとっていた時期もあったのです。
サッカーが、純粋にスポーツとして見られていて、試合の内容や結果についてみんなが語っても、政治的な問題につながることのない日本は、本当に平和なサッカー大国なんだな、と思い知らされます。
この本に出てくる、来日経験がある外国人選手たちはみんな、日本のことを好意的に語ってくれていますし。
(もちろん、日本大嫌いな人がいたら、日本人の取材者を拒否するかもしれないので、バイアスがかかっている可能性もありますけど)
東北で、手弁当で「塩竈FC」をつくりあげた小幡忠義さん。
彼がつくったクラブは、多くの名プレイヤーを育て上げ、震災のときにも人々の心のよりどころになりました。
現在、宮城県サッカー協会の会長をつとめている小幡さんはこう仰っています。
70歳を超えても精悍な身体つき。格式や権威を嫌い、ときに熱い東北弁が混ざるその口調は変わらない。
「今ね、例えば総合型スポーツクラブもプロチームも活動の中でやたら地域、地域って言ってるじゃないですか。地域が大事だと。で、そういう人たちが地域って言う時にそれはゾーンのこと、あるいはただ商圏エリアのことを言っているんじゃないか?って思うんです。違うでしょう。そこに住んでいる人たちの繋がり、コミュニケーションなんですよ。それこそが地域なんです。それがわかってねーんじゃないですかね。支援の拠点? いろいろ皆さん言ってくれますけど、俺、自分がおもしろいからやってるだけの話です。それで金儲けしようとか一切なかったしね。若い頃は実家の肉屋が嫌で、空手道場も嫌で、仕事が嫌でやっていたようなもんだよ。自分の楽しいことをやって生きてるだけです。だから今、子供らにもちゃんと言うんですよ。楽しくサッカーやれよ。
今年も30人ぐらい入ってきたんだけど、誰も落とさない。条件はただひとつ、大きい声で喋ろう、と。あと親には、任せた以上口出しするなと。ただし、いじめられたら、それだけは連絡してくださいと。で、子供同士のチクリなしでお互いに育てましょうと。ええ。協力しながら育てることが一番だからね」
――入団のセレクションは無いんですね。
「親子の面接だけ(笑)。だから、木村さんね、うちはチーム作りでなく、人作りなんですよ。選手作りなんだけっども、人作りしなければ、選手も作れねえんです。そういう方針でやって来なかったら、今回(の震災に)、皆が支援に集まってくれたり、こういう対応はできなかったろうね」
こういう「クラブ」もあるのだな、と。
これぞまさに「地域密着」ですよね。
「地域って、商圏エリアのことを言っているんじゃないのか?」
たしかに、スポーツに対しても、そういう「ビジネス脳」の人って、多いですよね。
でも、こんなふうに、泥臭く「地元で、人を育てること」を続けている人もサッカー界にはいるのです。
ワールドカップで、世界のサッカーにあらためて興味を持つ人も増えると思います。
だからこそ、ぜひ、この4年に一度のお祭りをきっかけに、「フィールドの外にある、それぞれの世界」について、考えてみてほしいのです。
著者は、こう書いています。
サッカーで世界を変えることは難しいかもしれない。しかし、サッカーを観ることで世界を知ることができる。それは私にとっての確信となっている。