琥珀色の戯言

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【読書感想】物語 ベルギーの歴史 ☆☆☆☆


内容(「BOOK」データベースより)
ビールやチョコレートなどで知られるベルギー。ヨーロッパの十字路に位置したため、古代から多くの戦乱の舞台となり、建国後もドイツやフランスなどの強国に翻弄されてきた。本書は、19世紀の建国時における混乱、植民地獲得、二つの世界大戦、フランス語とオランダ語という公用語をめぐる紛争、そして分裂危機までの道のりを描く。EU本部を首都に抱え、欧州の中心となったベルギーは、欧州の問題の縮図でもある。


 チョコレートとビールと小便小僧。
 あと、サッカーでときどき日本代表と試合をする国。
 僕のベルギーに対する知識は、こんなものでした。
 ヨーロッパにある、平和でのどかな小国、そんなイメージだったのです。

 ベルギー王国について、日本人はどのようなイメージをもっているだろうか。チョコレートの国としての印象があるかもしれないし、無数の地ビールがある国だと知っている人も多いはずだ。また国際政治に詳しい人は、EU(ヨーロッパ連合)やNATO北大西洋条約機構)の本部を抱える「ヨーロッパの首都」ブリュッセルを首都とする国として思い浮かべることだろう。
 こうしたイメージは、それぞれベルギーを言い表している。ベルギーは、面積が約三万平方キロメートル。日本の関東地方とほぼ同じ広さで、人口は約1100万人強。つまり東京都の人口と同じくらいの小国である。都市部の人口密度は東京並みに高いが、農村部はそれほどでもない。電車や車から眺めていると、都市境を出てからはのどかな田園風景が続く。

 関東地方と同じくらいの広さに、東京都と同じくらいの人口。
 コンパクトで、のどかな国、のような気がします。
 しかしながら、この新書を読み、この国の歴史を辿ってみると、「小さな国」=「平和で、ひとつにまとまっている」というのは、こちら側の勝手な思い込みなのだなあ、と思い知らされます。

 この一見のんびりしたようにも見えるベルギーが、独立以来もっとも悩まされてきたのは「言語問題」である。この国の北方は、オランダ語を話す人々が暮らすフランデレン(フランス語では「フランドル」。英語では「フランダース」)地方、また南方はフランス語を話す人々が暮らすワロン地方と呼ばれている。さらに人口の0.5%はドイツ語を話す、他言語国家である。多言語国家はヨーロッパでもスイスやスペイン、アメリカ大陸でもカナダなど数多く、それぞれに問題を抱えているが、それはベルギーでも同様である。
 現在、言語の観点から見たフランデレン民族とワロン民族の人口比は、六対四と言われている。独立時にはフランス語だけが公用語であったが、その後オランダ語公用語化をめざすフランデレン運動が起こり、今はそれぞれの地域ごとに公用語が定められている。近年、フランデレンとワロンの対立は激しさを増し、この国に影を落としている。

 ベルギーは、なんとか独立を果たしたものの、地政的にもフランスとドイツの間の要衝にあたり、両大国から、ちょっかいを出され続けていたのです。
 そして、他国からの干渉が比較的少ない時期には、内紛が起こってしまいます。
 オランダ語公用語とする、経済的には豊かなフランデレン地方と、ワロン地方の長年の軋轢を知ると、なんだか「喧嘩ばかりしているのに、なかなか離婚しない夫婦」をみているような気分になってくるのです。
 そんなにお互いのことが嫌いなら、別れちゃったほうが、良いんじゃない?
 この新書のなかにも、「サッカーのベルギー代表を応援するときが、数少ないベルギー国民が心をひとつにするとき」なんて書かれていますし。


 ところが、歴代の国王の尽力などもあり、ベルギーは、「分裂しそうで、なかなか分裂しない」のです。
 それは、世界の、ヨーロッパの中で、ある程度のイニシアチブを維持していくには、それなりの「国としてのスケール」が必要だから、という判断なのか、それとも、「なんのかんの言っても、ずっと一緒にやってきたんだから、いまさらバラバラになるのも寂しい」というような感情なのか。


 また、ベルギーの国王・レオポルド二世は、「個人所有の国」として、「コンゴ自由国」の元首となりました。「自由国」とはいうものの、実質的には植民地。
 そして、レオポルド二世は、そこで恐るべき搾取をしたのです。

 彼もしくは植民地企業によるコンゴ支配は残虐なものだった。レオポルド二世は、「有色人種は怠惰で、暴力で支配する必要がある」と考えていた。当時の状況を記した歴史書によると、働けない人々の手首を切断し、多い日には一日1308もの手首が行政官に渡されたとか、働かない現地の人々に対する見せしめとして、一日で100人の頭部を切断したなどの記録が残されている。このような植民地統治によって、彼は、当時世界でも有数の大富豪となった。

 こんなことをしたからといって、レオポルド二世に「天罰」がくだった、ということもなく……
 歴史的事実というのは、残酷なものですよね。
 小国の王だからといって、穏やかな人とも限らない。

 少し先のことになるが、世界大恐慌の際には、大規模なリストラを行い、人件費を削り、さらには強制労働によって植民地企業は収益を維持することができた。本来、小国で国内市場の規模が小さいベルギーが、大恐慌のなかでもその当初比較的経済が順調だったのは、コンゴによる収益がベルギー経済を支えていたからである。

 第一次世界大戦後にドイツから獲得したルワンダでも、人口の8割を占めるフツ族と、2割のツチ族を「ツチ族が優秀」というレッテルを貼って統治し(著者によると、もともとこの両族には、言語、宗教、居住地の違いはなかったそうです)、両族の対立が深まっていった結果、1994年のわずか3か月のあいだに、80万〜100万人もの市民が犠牲になった「ルワンダ虐殺」が起こったのです。


 ベルギーは、第一次世界大戦の際には、中立を表明していたものの、ドイツの侵攻を受けて、大きなダメージを受けています。
 そんな国でも、「植民地」では、こんな酷いことをしていても「罪の意識」を感じることはありませんでした。

 ベルギーは、歴史において、特別に「ひどい国」ではありません。
 むしろ、国内の分裂しようという力に、為政者たちが必死になって逆らって、なんとか生き延びてきた国なんですよね。
 でも、そんな国にも、「暗黒面」はあったのです。
 他のヨーロッパの国々、そして、アメリカや日本とも同じように。
 

 著者は「ベルギーは、欧州の問題の縮図である」と述べています。
 違う言語、経済的な格差を抱えながらも、「同じ国家・連邦の一員」として協力しあっていくというのは、まさにEUの概念なんですよね。

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