琥珀色の戯言

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【読書感想】ネット炎上の研究 ☆☆☆☆


ネット炎上の研究

ネット炎上の研究

内容(「BOOK」データベースより)
炎上参加者はネット利用者の0.5%だった。炎上はなぜ生じたのだろうか。炎上を防ぐ方法はあるのだろうか。炎上は甘受するしかないのだろうか。実証分析から見えてくる真実。


 ネットの「炎上」について、統計学的な調査に基づいて検討した結果をまとめたものです。
 かなり「学術書的」(というか、学術書)なので、興味本位で読むには値段も高く、硬めの言い回しも多いのですが、読んでみると、いままで僕が思いこんでいた「炎上のときは、世の中の大部分が敵にまわっている感じ」とは全く違った様相がみえてくるのです。
 アンケート調査に基づいているので、炎上参加者が正直に「燃やしてます」と言わないんじゃないか、とも思うのですが、それにしても、「炎上参加者はネット利用者の0.5%」というのは、そんなに少ないのか、というのが実感です。


 「炎上」についてのさまざまなデータが紹介されているのですが、2004年創業のエルテス社のサービスeltes Cloudの炎上事例集に基づくと、炎上事例は2010年の98件から2011年に333件と急激に増加しており、その後は379件、449件とさらに増えています。ただし、増加のスピードはゆるやかで、2014年には415件と、やや減少傾向を示しました。
 もちろん、今後も減り続けるかどうかはわからないのですが、「炎上」することのリスクが社会に周知されることにより、個人・著名人・法人がそれぞれ対策をとるようになったのではないか、と著者たちは推測しています。
 最近は「炎上」に対するリスクマネジメントも進歩してきているのです。
 また、TwitterFacebook、その他の炎上件数の推移の統計では、2008年以降Twitterの割合が急速に伸び、2011年からほぼ横ばいとなっています(全体の50%程度)。
 TwitterFacebookのアクティブユーザー数は、2010年頃はTwitterが圧倒的に多かったのですが、2012年はほぼ同数程度。
 しかしながら、Facebookが「火元」の炎上は、全体の数%程度で、Twitterの「拡散力」が炎上に寄与していることがわかります。
 ちなみに、ユーザー数を急速に増やしているLINEは、基本的に仲間うちでしか閲覧できないため、火元にはほとんどなっていません。


 著者は、炎上がもたらす問題点として、「サイバーカスケード」を指摘しています。
 炎上を嫌って、ネット上からの意見表明から撤退する人が少なからずいます。

 現実には炎上を嫌って撤退する人は、意見分布の中庸な人に偏ると考えられる。なぜなら、炎上があっても撤退しない人とは誹謗中傷に負けない”強い”人で、そのような人は極端な意見の持ち主に多いと考えられるからである。意見分布の両極の人は自己の正しさを強く確信しており、何を言われてもくじけない。少々の攻撃にはくじけず、むしろ発奮して反撃する。これに対し、中庸の人は相手の意見にも一理あるとして耳を傾けるので、相手が非常に攻撃的であると傷つき、あるいは嫌気がさしてしまう。炎上が続く状況下では、「自分の非を認めない、硬直した人間ほど議論に強い、という倒錯した嫌な話になってくるのである。したがって、炎上に嫌気がさしてネット上の議論から撤退するのは中庸な人が多くなると考えられる。


(中略)


 このように意見が両極端に分かれると、意見交換が難しくなる。あまりに意見が異なる場合、前提条件が違いすぎて議論ができないためである。


(中略)


 このようにネット上で意見が極端に分かれてしまい、互いの間の対話や議論が行われない現象はサイバーカスケード(Sunstein 2001)と呼ばれる。サンスティーンは、ネット上では同じ意見の人ばかりが意見交換して、異なる立場の人の間の意見交流が乏しいことをサイバーカスケードと呼んだ。サンスティーンは、民主主義のためには人々が共通体験を持ち、他の人と思いがけない接触を持つ必要があるとし、サイバーカスケードはこれを阻害するをして警笛をならした。サイバーカスケードが起こると意見が過激化し、議論が劣化しやすい。


 著者たちは、その実例として2015年に話題になった安保法制に対するネット上の議論を挙げているのです。
 確かに、議論というより、「安倍(首相)の犬!」「あいつらは共産党の手先だ!」みたいな人格攻撃的な罵り合いを目にする機会が少なからずありました。
 僕もネットで書いていて思うのは、ネット上の意見って、意外と「ど真ん中」がガラ空きなんですよね。
 それじゃ目立たない(あるいは、書いている人がいても注目されない)だけなのかもしれないけれど。
 インターネットは、黎明期には、さまざまな意見がフラットに寄せられる「新しい民主主義」を生み出すのではないかと期待されていたのですが、それとは程遠い、というのが現状のようです。


 また、アンケートの分析から、著者たちは以下の知見を得ています。

 第1に、炎上を知っている人はインターネットユーザの90%以上いるものの、炎上参加者はわずか1.1%しかいない。また、炎上に1度書き込んだことのある人は、2度以上書き込んだ人の半分以下となっており、ごく少数の人が、複数回にわたり炎上に参加している。
 第2に、炎上参加者の属性として、「男性である」「若い」「子持ちである」「年収が多い」「ラジオ視聴時間が長い」「ソーシャルメディア利用時間が長い」「掲示板に書き込む」「インターネット上でいやな思いがしたことがある」「インターネット上では非難しあって良いと考えている」といったものが得られた。子持ちである、年収が多い等の属性は、一般的に言われる炎上参加者のプロフィールとは異なるように思われる。また、学歴やインターネット利用時間といった属性は、炎上参加行動に有意な影響を与えていなかった。


 この「炎上参加者のプロファイリング」は、正直、意外でした。
 というか、「若い」「インターネット上では非難しあって良いと考えている」を除けば、僕にけっこうあてはまるような……
 何も失うものがない、いわゆる「無敵の人」が、炎上を引き起こしている、というイメージは、どうも現実とは異なっているようです。
 でも、なぜこういう層の人たちが「炎上」を起こすのか、そこは、よくわかりませんでした。
 

 著者たちは、この「参加者は全体の1.1%にしかすぎない」ということを知ったうえでの「炎上対策」が重要であると繰り返し指摘し、炎上の予防法やサロン型のSNSという提案もしています。
 個人的には、わざわざ「サロン」に入ってまで議論をしたい人がそんなにいるのだろうか、という気がしますが、どうなんだろう?


 正直、この本に掲載されている「結果」は、僕の感覚とは解離している印象なのですが、2万人近くのインターネットモニターへのアンケート調査に基づくもので、統計学的な処理もきちんとなされており、これまで行われた調査のなかでも、信頼度はかなり高そうです。
 もしかしたら、ユーザーは「炎上」というものを「過大評価」しすぎているのかもしれません。
 とはいえ、「炎上」しないに越した事は無いのも事実なんですけどね。

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