- 作者: 野村克也
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2014/11/14
- メディア: 新書
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Kindle版もあります。
- 作者: 野村克也
- 出版社/メーカー: 集英社
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内容(「BOOK」データベースより)
南海、ヤクルト、阪神、楽天など数々の球団で実績を築き、田中将大をはじめ数々の名選手を育ててきた著者。勝負と人間の機微を熟知した智将だけが知る、正しい努力とまちがった努力の違いとは?野球のみならず様々な分野において、がんばっているつもりなのに結果を出せず悩みを抱える人々に、結果を出すための極意を語る。“監督”野村の人材育成、勝負論の集大成的一冊。
野村克也監督(現在は「監督」ではないのですが、ついこう呼びたくなってしまいます)の著書。
僕はこれまで野村監督が書いたものをかなりたくさん読んできたので、正直、この『なぜか結果を出す人の理由』については、「どこかで読んだことがあるような話だな」というのが少なからずありました。
もしかして、これ、どこかで一回読んだことがあったっけ?などと、発行年月日を確認してみたり。
結局、既読ではなかったのですが、内容としては、これまでの野村監督の著書を読んできた人にとっては、そんなに目新しいものではないと思います。
まあ、野村監督も、最近は現場から離れておられるので、新しい「体験」はそんなに増えてはいかないでしょうし。
ある意味「集大成」というか、ベスト盤的な内容になっており、ボリュームもそんなに多くはないので、「野村監督の著書を一冊読んでみたい」という人には、ちょうど良いかもしれません。
野村監督は、田中将大投手が「負けない」理由について、こんなふうに考察しています。
ラッキーが重なる選手もいればアンラッキーが続く選手もいる。ピッチャーでいえば、マー君のように「彼が投げると、みんなよく打つ」というケースと、その反対に「彼が投げると、さっぱり打てない」というケースもある。
果たしてそれは運のなせる業か、それとも何か理由があってのことなのか。私は「運のせいだ」とは思っていない。運のせいにしても何の解決にもならないからだ。「運が悪くて勝てないからお祓いに行こう」という選手もいるが、それは解決方法とはいえない。
ただ、アンラッキーなことが続いたとき、よく「日ごろの行ないが悪いからだ」という言葉を耳にするが、これは、あながちウソではないと思う。それは「行いが良いと神様が運を与えてくれて、行ないが悪いと罰を当てる」というような話ではなく、その人の日ごろの行ないを周りの人たちはちゃんと見ているという話だ。いい行ないをしている人は周りに評価され、信頼される。それがやがてはその人の援軍となったり協力者を増やしたりして、その人に大きな力を与えてくれるようになるのだ。
田中将大という選手は、その点、チームメイトからの信頼が非常に厚い。それが「負けない最大の理由」だといってもいい。
マー君は野球選手として高い意識を持っているだけでなく、「人として、こうありたい」という高い理想を持っている。そこが並みの選手で終わるか一流選手になるかという最初の分かれ目だ。
「一流選手とは、ただ野球が上手いというだけではなく、人間として尊敬できる存在でなければいけない」というのが私の持論だ。
ああ、確かに、「運」だけではなく、周囲が「コイツのために打ってやろう、点を取ってやろう」と思うような「人柄」って、長い目でみれば、けっこう重要なのかもしれません。
組織のリーダーには、その人自身の能力だけではなくて、「周りが応援したくなるような、人間的魅力の有無」って大きいよなあ、と。
プロ野球選手たちは「イヤなヤツが投げているから、今日は三振しよう」なんて思ってはいないはずなんですよ。みんなそれぞれの生活もかかっているし。
でも、その「モチベーション」には、やはり差がつくのではないかと。
まあ、これを読みながら、(渡米前の)カープやヤンキース時代の黒田は、みんなに信頼されていなかったわけじゃないんだろうけどねえ……とか、カープファン、黒田ファンとして、少しやさぐれてしまったのも事実なんですけど。
野村監督は、この本のなかで、「努力すること、それも正しい努力をすることの大切さ」を説いています。
自分では努力しているつもりでも、その方向性が間違っている人は、なんと多いことか、と。
野村監督は、引退した稲葉篤紀選手を例にあげて、こんな話をされています。
野球の守備練習と言えば、基本はノックだ。千本ノックという言葉があるように、稲葉も無数のノックを浴びた。しかし、そういう普通の努力で終わらないのが「努力の天才」稲葉の努力である。バッティング練習の時間も稲葉にかかれば大事な守備練習の時間に変わってしまう。
他の選手がフリーバッティングをしているとき、稲葉は外野を守ってその打球を一生懸命追いかける。他の選手もやることはやるのだが、ある程度の数をこなしたら終わらせてしまう。しかし稲葉は味方のフリーバッティングが終わるまで、打球を追い続けるのだ。
バッティング練習においてはプロのバッターの打球がどんどん外野に飛んでくるのだから、これほど外野手のいい練習場所はない。コーチがノックするボールに比べて圧倒的に「生きたボール」なのだ。それをただ転がしておく手はない。稲葉はそれを逃さなかった。
打球を追って補給して素早く正確に送球する。その練習を繰り返すのは当然として、稲葉は観察眼を磨くための練習もそこで重ねた。バッターがどういうスイングをして、どの方向に打ってくるか、どういうふうにバットとボールが当たったら、どこにどういう打球が飛んでくるか。それを見極める練習をその中で続けたのだ。そうすれば、打球に対するスタートが早くできるし、守備範囲も格段に広くなる。稲葉はそうやってムダなく効果的な練習方法を見つけてそれを何度も反復し、日に日に守備力を高めていった。
ノックを数多く受けるのも立派な努力である。しかし、それだけでは身に付けられないこともある。他の選手のバッティング練習を絶好の守備練習の場にして、より実戦に役立つ努力をすること。これこそ、同じ努力でも「正しい努力」である。
野村監督によると、稲葉選手は、「肩が強くなかった」そうです。
並みいる強肩外野手に才能では劣っていても、「観察する」ことによって、打球の行方を正確に予測し、早く動き出すこと、そして、捕球してから送球するまでの時間を短くする練習を重ねることによって、「名手」になったのです。
練習は大事だけれども、「練習のための練習」には意味がない。あるいは、費用対効果が乏しい。
自分が「努力している」と思い込んでいるときほど、「それが正しい努力なのかどうか」を考えてみるのは、すごく大事なことなのです。
私は監督を務めている間、キャンプでは毎晩のようにミーティングを重ね、選手にいろいろな話をしたり、問いかけをしたりしてきたが、ミーティングを始める前に、かならず言っていたセリフがある。
「知らないより知っていたほうがいい。考えないよりは考えたほうがいい。さあ、今日も始めよう」
これがミーティングの「プレイボール」の合図だった。
「考えること」は、一時的なものでは、意味がないのです。
「今日も考え続けること」が、結果を出せる可能性を上げていく。
「正しい努力」が、できていますか?