- 作者: 加藤陽子
- 出版社/メーカー: 朝日出版社
- 発売日: 2016/08/09
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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Kindle版もあります。
- 作者: 加藤陽子
- 出版社/メーカー: 朝日出版社
- 発売日: 2017/08/10
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内容紹介
かつて日本は、世界から「どちらを選ぶか」と三度、問われた。
より良き道を選べなかったのはなぜか。日本近現代史の最前線。
この講義の目的は、みなさんの現在の日々の生活においても、将来的に大人になって社会人になった後においても、
交渉事にぶちあたったとき、なにか、よりよき選択ができるように、相手方の主張、それに対する自らの主張を、
掛け値なしにやりとりできるように、究極の問題例を挙げつつ、シミュレーションしようとしたことにあります。(「講義の終わり」により)
日本はなぜ、アメリカとの勝ち目のない戦争に突入したのか?
僕もそれを疑問に感じてはいたのです。
しかしながら、歴史を学んでいくうちに、明治維新以来、戦争に勝つことが当然だと思い込んでしまい、妥協を忘れてしまった日本は、連合国に包囲され、資源の供給を止められてしまった状況で、もう戦うしかなくなってしまったのだろうな、と思えてきたんですよね。
結局のところ、どこかで負けないと、あるいは、ベトナム戦争のアメリカのように手痛い経験をしないと、どんどん膨張し続けようとしていくのではないか。
当時の日本の政治家や軍部はみんな「精神力でアメリカに勝てる」という幻想を抱いていたのではないか。
歴史というのは、必然なのか偶然なのか?
ドラえもんの第1話で、のび太がジャイアンの妹と結婚するという未来を変えようとするドラえもんに、のび太が尋ねます。
そんなことをしたら、歴史が変わって、のび太の子孫だったはずの人は生まれてこなくなるのでは?と。
ドラえもんは、「そんなことはない。東京から大阪に行くのに、新幹線で行っても飛行機で行っても、ルートは違えど目的地に着くのと同じように」って言うんですよね。
もちろん、それは「SFの領域」であり、本当にそうなのかは検証しようがないのですけど。
「いま」を生きている僕にとっては、日本が太平洋戦争をやらなかった歴史、というのは、ちょっと想像しがたいものがあります。
あの戦争で負けたから、いまのちょっと弱腰ではあるけれど平和な日本ができたのだ、とも思っていますし。
この本では、歴史学者である著者が、さまざまな一次史料をもとに、「1941年の日本に、アメリカと戦争をしない未来は存在していたのか」を検証しています。
リットン調査団の勧告を受け入れて、国際連盟を脱退しない日本はありえたのか?
あの時期に日独伊三国同盟を結ばない、という選択肢は存在したのか?
ハル・ノートに対して、アメリカと交渉を継続し、妥協できる可能性はあったのか?
では、国家が歴史を書く、歴史を語ろうと思うのは、いかなる場合なのか、また、一人の人間あるいは国民が歴史を書く、歴史を語ろうと思うのは、いかなる瞬間なのか。過去の歴史を正確に描きながら、そうすることで未来をつくるお手伝いをするのが歴史家の本文と心得て、1章では、国家と国民の関係が大きく動くとき、国家と国民の間でやりとりされた問題がなんだったのかを、遺された史料や演説の言葉から跡づけ、最新の研究の成果を取り入れて、論じておきました。
続く、2章から4章にかけての三つの章は、本書の中核部分にあたります。選択という行為が真空状態でなされるのではなく、さまざまな精度の制約を受け、国際環境や国内政治情勢の影響下でなされることは、先にも述べました。そうであれば、国や個人が選択を求められる場面に重要なのは、問題の本質が正しいかたちで選択肢に反映されているのか、という点です。当時の為政者やジャーナリズムが誘導した見せかけの選択肢ではなく、世界が日本に示した本当の選択肢のかたちと内容を明らかにしつつ、日本側が対置した選択肢のかたちと内容についても正確に再現しながら、世界と日本が切り結ぶ瞬間を捉えようと務めました。
問題の本質が正しいかたちで選択肢に反映されているか。この点に思いが至れば、恐怖や好悪という人間の根源的な感情に訴えかけられたり、「もし、こうすれば、確実に〜できる」といった偽の確実性に訴えかけられても、冷静な判断が下せそうです。「歴史を学ぶ」際の作法を、過去の三つの歴史的事例から、みなさんと考えたかった理由は、ここにあります。
ハル・ノートで、受け入れがたい「最後通牒」を突きつけられ、石油などの資源も禁輸措置をとられてしまった日本が「座して死を待つよりも、打って出たのは、仕方が無かったのではないか」と思っていたんですよ、最初は。
しかしながら、これを読んでいくと、日本を「包囲」していたはずの連合国側も、アメリカの国内も、必ずしも一枚岩ではなかったし、日独伊三国同盟について、「アメリカを敵にまわすべきではない」という意見を述べた人が当時も少なからずいたのです。
アメリカの国力を理解していて、「戦っても勝つのは難しい」と。
日独伊三国同盟というのは、連合国に対抗するためというより、ドイツが世界大戦を制したあとの東南アジアでの日本の勢力図を決めておきたい、というのが狙いだったという推論もなされています。
後世を生きている人たちは、あの戦争の結果をよく知っているけれど、当時はドイツの電撃戦の前にヨーロッパではイギリスだけがなんとか抵抗しており(のちにドイツの侵攻に対して、ソ連も反撃することになりますが)、ドイツの世界征服はけっして「夢物語」だとはみられていなかったのです。
歴史的事実でも、リアルタイムで体験した人と、そうでない人とでは、受ける印象は異なります。
たとえば、オウム事件を最近知った若者たちは、「恐怖」しか感じないと思うのですが、リアルタイムで経過を追っていた僕たちは、「ショーコー、ショーコー」と踊っている信者たちをコントのネタのように観ているところもあったのです。
歴史年表には「トランプ氏が予想外の勝利」と書かれるであろう2016年のアメリカ大統領選挙も、後世の人には、僕がリアルタイムで感じた「驚き」は伝わらないはずです。
だって、彼らは「それに基づく未来」から、昔の出来事として眺めているのだから。
すべての「歴史的事実」は、その時代を生きた人にとっては「いま、起こっていること」だった。
そして、そこには、いくつかの「選択肢」が存在していたのです。
歴史に対する「先入観」というか「教えられていること」というのは、常に正しいとは限らない。というか、のちに新しい情報に更新されていても、ずっと高校時代の日本史・世界史の知識のまま、という大人がほとんどです(もちろん僕もそうです)。
この本のなかで、著者は、エイモス・トヴェルスキーというイスラエル生まれの経済学者がスタンフォード大学で行った実験結果を紹介しています。
3つの問いが順番に示されます(選択肢のあとの%は、それを選んだ被験者の割合です)。
<第1問>次の選択肢から、好むほうを選んでください。
A.確実に30ドルを手に入れる 78%
B.80%の確率で45ドルを手に入れる 22%
<第2問>2つのステージからなるゲームがあります。第1ステージでは75%の確率で何も得られずにゲームは終了しますが、25%の確率で第2ステージに進めます。その第2ステージでは次の選択肢があります。ゲームが始まる前に好むほうを選ばなければなりません。
C.確実に30ドルを手に入れる 74%
D. 80%の確率で45ドルを手に入れる 26%
<第3問>次の選択肢から、好むほうを選んでください。
E. 25%の確率で30ドルを手に入れる。 42%
F. 20%の確率で45ドルを手に入れる。 58%
さて、皆様はどちらを選ばれたでしょうか?
僕はA、C、Fと、まさに「多数派の選択」をしてしまったのですが、「期待値」を計算すると、「正解」は違うのです。
第3問で初めて「確実に」という言葉が設問の文章からなくなっています。Eの場合、何度も実験を繰り返したとすれば、手に入ると期待できる金額は、30ドル×0.25で7.5ドルになります。Fの場合は、45ドル×0.2で9ドルになる。Eの7.5ドルとFの9ドルをくらべて、これはFを選んだほうが得だと考える。だから、Fを選ぶ人は58%にも上ります。
ですが、そろそろおわかりでしょうか。第2問は「第2ステージまで進めるのが25%」という前提条件が、最初に入っていました。文が違うだけで、第2問と第3問は、数学的に全く同じことをいっているのです。Cに進めるまでの確率は25%ですから、Cの設問を素直に描き直せば、「25%の確率で30ドルを手に入れる」となり、これは、設問のEと全く同じになります。ただ、Cを選択した人は74%にも上るのに、Eを選択した人は42%にしかならない。
正直に、第3問のような聞き方で設問をつくって問いかければ、獲得金額の可能性が高いほうを選ぶ人が多くなる。
第2問のCの「確実に30ドルを手に入れる」の場合、もともと75%の確率でゲームオーバーとなるので、ここには本当は、確実さというものはなかったのです。人は、この「確実に」という言い方、見せかけの100%に、本当に騙されやすい。
トヴェルスキーさんは、これを「偽の確実性効果」と呼びます。本当は偶然に左右されているのに、「確実」という言葉に惑わされて誘導される。それを明らかにした実験です。
こういう聞き方でこれだけ差が出るということは、新聞の見出し、政府の情報の流し方という点で加工すれば、いくらでも国民を誘導できるということになりそうです。
設問のフレームの設定の仕方一つで、その時々の為政者にとって好ましい方向を選択させることができる。逆に言えば、私たちが、EとFのような正直な選択肢に設問のかたちを変えて、国民の目の前に示すことができれば、合理的な選択が可能となり、より良い選択肢を手にすることができそうです。
人は「見出し」に引きずられてしまうもので、「絶対」とか「100%」に弱い。というか、僕も弱いです。
著者によると、イスラエルの軍人だったトヴェルスキーさんは、もともとこんな例を考えていたそうです。
敵に囲まれた民主国家において、現在まだ占領中の国外領土を返還するかどうかについて政治議論があるとする。戦争において、これらの領土はまちがなく勝利に寄与する切り札である。他面で、この領土を返還すれば戦争の可能性は減少するだろうが、ただしそれは根底では不確実なことがらである。この場合、政治的議論において占領維持派が優勢となることは賭けてもよい。
この「敵に囲まれた民主国家」というのは、イスラエルを想定しているのではないか、ということなんですね。
この問いは、どこかで起こった話とそっくりだと思いませんか。「戦争になったときは間違いなく勝利に寄与する場所」という偶発的な確実さが、端的な確率「占領地を返還すれば、戦争に至る可能性は減る」より優位に見えてしまう。
「なるほどなあ」と頷かずにはいられません。
領土を返還しよう、という人には、「イギリスのチェンバレンはヒトラーに対して宥和政策を行ったけれど、結局、戦争は起こったではないか」という反論も可能です。
逆に、譲って争いを回避できた例を挙げれば(それがすぐにはなかなか思いつかないのですが)、戦争を避けるためにここは返還しよう、という人の割合が増えるはず。
一度得たものを失うのは、最初から得られないよりもダメージが大きい、とも言われているんですよね。
選択肢はあるはずなのに、誰かの都合で覆い隠されたり、声が大きいほうに引きずられたりしてしまう。
著者は、日独伊三国同盟についての、こんな「背景」を紹介しています。
海軍としては、本当に悩ましかった。どうにか予算はとりたい。三国同盟を結べば、英米との対立は不可避のものとなる。しかし、結ばなければ、戦争相手国は中国だけになり、日中戦争を戦っている陸軍の言い分、比率のままで、将来の予算配分が決まってしまう。イギリスやアメリカとの対立が強まれば、香港や英領マレーやフィリピンの米軍基地まで飛んでいける飛行機をつくり、航空基地を整備しなければならない。そのようなアルミニウムの購入や割当において、実際に日本軍の戦っている場所が中国だけであるというのは、海軍にとって交渉しづらいのです。
軍事予算の陸海軍の比率を変えないといけない。となれば、どうにかして日中戦争の戦面を小さくして、ソビエトと仲良くしてもらわなければいけない。それが海軍の望みで、日独伊三国軍事同盟を、対英米戦争を覚悟しなければ、なんて言いながらも結ぼうとした理由は、ここにあります。陸軍がソ連や中国と和解してくれるのであれば、南方へ向けた軍事充実に振り向けられるのではないか。海軍がドイツを仲介とした対ソ関係改善を望み、三国同盟に賛成してゆく動機は、このような軍事予算をめぐる相克がありました。
「予算を確保したい」という動機が、あの悲惨な戦争に繋がってしまったなんて……
もちろん、それだけじゃなのでしょうし、そう思いたいのだけれど、歴史って、けっこう「そういうところ」で動いているのかな、とも考えさせられる話でもありますね。
この本のなかでは、一次史料から検証した「アメリカは日本の真珠湾攻撃を知っていて、参戦するためにあえて攻撃させた」という俗説の嘘や、開戦前に日米が真剣に和解交渉していたことについても紹介されています。
ヨーロッパの情勢をずっと睨んでいたアメリカもまだ準備不足で、少なくとも、あの時期に日本と開戦したくはなかったのです。
歴史に「必然」というのは無いのだ、ということを、あらためて考えさせられる好著だと思います。
けっこう厚い本なのですが、高校生に講義したものがもとになっているので、読みやすく、わかりやすいですよ。
- 作者: 加藤陽子
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