- 作者: 梯久美子
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内容紹介
『夏の花』で知られる作家・詩人、原民喜(1905―51)。死の想念にとらわれた幼少年期。妻の愛情に包まれて暮らした青年期。被爆を経て孤独の中で作品を紡ぎ、年少の友人・遠藤周作が「何てきれいなんだ」と表した、その死――。生き難さを抱え、傷ついてもなお純粋さをつらぬいた稀有な生涯を、梯久美子が満を持して書き下ろす、傑作評伝。
「私の文学が今後どのやうに変貌してゆくにしろ、私の自我像に題する言葉は、
死と愛と孤独
恐らくこの三つの言葉になるだらう。」(原民喜「死と愛と孤独」1949年)
この新書、主人公であるはずの原民喜さんの鉄道自殺からはじまります。
人間、どんな人、どんな状況であっても、生きていたほうがいい、自殺なんてとんでもない……と思うべきなのだろうけれど、原民喜さんの死と、それまでの生きざまをみていくと、世の中には自ら死を選ぶことによって完結する人生というのが存在するのかもしれないな、という気がしてくるのです。正直、「これだけ生きづらそうな人が、よくこれだけ持ちこたえてきたなあ」とも思いました。
あと、なんのかんの言っても、原民喜さんを生かしてきたのは、人の縁と実家の経済力だな、という、身も蓋もない感慨もあったんですよね。
原民喜さんは、1905年の生まれです。
現在よりも、ずっと若くして人が死ぬが多かった時代とはいえ、小学校時代に弟、父親、次姉が亡くなり、なかでも、父親と次姉の死は、原さんのその後の人生に大きな影響を与えたのです。
原さんの若い頃のさまざまなエピソードを読んでいると、その人見知りっぷりに圧倒されます。
幼少期からずっと、原は他人と接するのが極端に苦手で、世間との回路をなかなか持つことができなかった。
広島での中学校時代に同人誌を一緒に始め、以後生涯の友となった詩人の長光太(本名・末田信夫)が、原と同級生だっった熊平武二から聞いた話によれば、入学してからの四年間、学校で原が声を発するのを聞いたものはひとりもいなかったという。
原民喜は口が利けないのか、利きたくないのか、利きようを知らないのか、それは判らないが、手足もうまく動かせないのである。障害が機能にあるのではなが、たとえば回れ右とか歩調とれとかの動作、教練・体操のことごとくができない、という。だからその時間は教師・生徒たちのなぶり者にされ、嘲(あざわら)いとからかいと罵りのなかで、できない動作をくりかえさせる号令に、まちがいだらけの動作をくりかえし、無言できりきり舞いをつづけ、笑い声に包まれるのだ、という。
(長光太「三十年・折り折りのこと」より)
長じてからも原は不器用なままであり、生きることのなまなましさに怯えた。原にとって世界とは、いたるところに裂け目が口をあけている場所であり、足もとの大地が崩れたり、天が堕ちてくる幻想にしばしばおそわれた。死と厄災の予感に絶えずつきまとわれ、慶應大学の予科時代に始めた俳句では、「杞憂」という俳号を名乗っている。
何故だかわからないが、僕はこの世のすべてから突離された存在だつた。僕にとつては、すべてが堪へがたい強迫だつた。低く垂れさがる死の予感が僕を襲ふと、僕は今にも粉砕されさうな気持だつた。
(「魔のひととき」より)
轢死という死に方は、そんな原がもっとも恐怖していたものだった。長光太によれば、原は若い頃から何度も轢死の幻想を口にしていたという。
原さんが「轢かれて死ぬ」というのを怖がっていたのは、そこに引き寄せられる自分を感じていたからなのかもしれません。
衝動的なものではなく、友人・知人たちへの遺書や形見分けをきちんと準備し、少しお酒を飲んで、原さんは旅立っていったのです。
死ぬことを美化するべきではないし、これはこれで、列車の関係者とか警察にとっては、やっぱり「迷惑」だったとは思うんですよ。
それでも、この新書を読んでいくと、原民喜という人の自死には、「この世界で、できること、やるべきことはやった」というか、むしろ、「よくここまで耐えてきた」と思わずにはいられなくなるのです。
文学が友人や社会に対する、ほぼ唯一の窓だった原さんは、文学仲間との関係で、社会主義者であると疑われたこともあったのです。
そうしたなか、実家から縁談をすすめられ、27歳のときに、21歳だった貞恵さんと結婚します。
この結婚生活は、原さんにとって、とても幸せな時代だったようです。
貞恵は夫の才能を信じ、作家として立つという原の夢を自分の夢とした。貞恵を追想した連作「美しき死の岸に」の中の「苦しく美しき夏」には、「こんな小説はどう思う」と言って夫が構想を話すと、妻が悦びにあふれた顔で「お書きなさい。それはそれはきつといいものが書けます」と言う場面がある。
彼の妻は結婚の最初のその日から、やがて彼のうちに発展するだらうものを信じていた。それまで彼の書いたものを二つ三つ読んだだけで、もう彼女は彼の文学を疑はなかつた。それから熱狂がはじまつた。さりげない会話や日常の振舞の一つ一つにも彼をその方向へ振向け、そこへ駆り立てようとするのが窺はれた。彼は若い女の心に点じられた夢の素直さに驚き、それからその親切に甘えた。
(「苦しく美しき夏」より)
千葉に住んでいた頃の原と貞恵は、年に四、五回ほど上京して、映画や芝居を見たり、知り合いの文学者を訪ねたりした。東京では貞恵の弟である佐々木基一の家に泊ったが、佐々木が当時を回想した「死と夢」によれば、貞恵は来るたびにまず広島弁で「今日もまたもどしちゃったんよ」と言うのが常だったという。神経質な原は、上京の緊張から、家を出る前にその朝食べたものを吐いてしまっていたのだ。
東京を離れたことで、原は神経に障るさまざまな世事から逃れることができたが、それは世間からのゆるやかな孤立であり、貞恵と二人だけのあたたかな繭の中にいるようなものだった。
佐々木の「死と夢」にはこんなエピソードもある。当時の作家は温泉地などに滞在して小説を書くことがあった。執筆に難渋する原を見て、あるとき貞恵は静岡県の伊東温泉に行くことを勧めた。一か月ほどの予定で滞在費を持たせて送り出したが、原は何も書かずにすぐ帰ってきてしまった。佐々木が千葉の家を訪ねると、「何でそんなに家がいいんかしら……」と言う貞恵の横で、原は母親にからかわれる子供のように安心した顔で笑っていたという。
ひとりで外出することを好まなかった原は、近くの町医者に行くにも貞恵に付き添ってもらった。先輩作家の佐藤春夫を訪ねたときは、直接ものが言えず、いちいち貞恵に取り次いでもらった。
繊細な人だったんだなあ、と思うのと同時に、正直、「もうちょっとしっかりしろよ!」と、自分の身近な人だったら言いたくなりそうです。
現代なら、こういう繊細さもある程度好ましく感じる人も多そうですが、日本が日中戦争から太平洋戦争の時代だと、ものすごく生きづらかっただろうなあ。
「裕福ではなかったけれど、原さんは実家から最低限の仕送りは受けていた」というのは、けっこう大きかったように思います。本当に生活に困窮しきっていたら、貞恵さんだって、おおらかさを維持するのは難しかったのではなかろうか。
そんな貞恵さんも、肺結核を患い、若くして亡くなってしまいます。
原さんの作品には、幼少時に亡くなった父親や次姉のこと、貞恵さんのこと、そして広島での被爆の体験と、大事なものの喪失を描いたものが多いのです。
それを作品にするしかないのが作家の宿命なのかもしれませんが、原さん自身は、書けない人生のほうが幸せだったのではなかろうか。
貞恵の死を描いた「死のなかの風景」で、原は「彼にとつて、一つの生涯は既に終つたといつてよかつた。妻の臨終を見た彼には自分の臨終をも同時に見とどけたやうなものだった。たとへこれからさき、長生したとしても、地上の時間がいくばくのことがあらう」と書いている。だが、被爆したことによって、「コノ有様」を伝えないうちには死ぬわけにいかなくなった。生きのびて「仕事」をしなくてはならなくなったのだ。
この場面のあとにも、原は多くの遺体や、死にゆく人たちに遭遇する。原爆投下後の地獄のような広島で隣人となった死者たちが、原を生きさせることになったのである。
メモのこの部分に対応する文章が、「夏の花」にある。
長い間脅かされていたものが、遂にきたるべきものが、来たのだつた。さばさばした気持で、私は自分が生きながらへていることを顧みた。かねて、二つに一つは助からないかもしれないと思つていたのだが、今、ふと己れが生きていることと、その意味が、はつと私を弾いた。
このことを書きのこさねばならない、と、私は心に呟いた。
(「夏の花」より)
長いあいだ原は厄災の予感に怯えてきた。それが現実になったとき、まず生きのびられまいと思っていた自分が、なぜか無傷で生きのびた。幼い頃から怖れ、怯え、忌避してきた現実世界。それが崩壊したとき、生きる意味が、まさに天から降ってきたのだ。
この本のなかでは、年が離れた「親友」であった遠藤周作さんとの交流についても触れられています。
社交的で、ユーモアにあふれた遠藤さんと、きわめて内向的だった原さんは、なぜか、お互いに居心地の良い存在だったのです。
もしかしたら、内向的とか社交的というのは、孤独を他者に見せないようにするための方法の違いだけで、ふたりの内面には、共通するものがあったのかもしれません。
読み終えて、久しぶりに、原民喜さんの作品を読みたくなりました。
子供の頃の僕にはわからないところが多かったけれど、今なら、原さんの作品が、少しはわかるようになったのではなかろうか。
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