- メディア:
- この商品を含むブログを見る
Kindle版もあります。
- 作者: 伊集院静
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2019/10/02
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る
内容紹介
一人で生きることを自覚せよ、と言っても、そう簡単にできるものではない。泣く雨の夕暮れも、一人で膝をかかえて星を見上げる夜半もあるであろう。孤独というものには、やるせなさがどこかに隠れている。なのに一人で生きようとしている人には、家族、兄弟姉妹、仲間、同僚、友と日々、逢ったり、連絡を取り合って、普通に生きている人たちには、ないものがある。あの潔さに似たものは何なのだろうか? ひとりで生きることは、一見淋しいものに思えるが、実は美しい人間の姿であるのかもしれない。――伊集院静
シリーズ累計195万部超の大ベストセラー第9弾。
「孤独死」を恐れる高齢者が積極的に婚活をする本を最近読みました。
僕自身は、ひとりでいることにそんなに退屈しないのです。
ゆっくり本やゲームに没頭できるな、と思いますし、出張先でビジネスホテルの部屋にひとりきり、なんて状況になると、うれしくなってしまうくらいです。
孤独死、というのも、あまり腐敗して片付ける人に嫌がられたくないな、という気持ちはあるのですが、いざ死ぬときって、寂しいとか、それどころじゃなかろう、と考えているのです。
でも、それは僕自身が、まだ40代後半で、「本物の、先の見えない孤独」を知らないからだ、という気もするんですよね。
シニア婚活をしている人たちのなかにも、まさか自分がこの年齢になって婚活をするなんて、という人が多いみたいですし。
高齢化社会で、孤独な人が増えてきている一方で、近頃、「孤独に生きることを、ネガティブに考えるのはやめよう」という高齢者からのメッセージをこめた本を書店でよく見かけるようになりました。
このエッセイ集のタイトルでもある「ひとりで生きる」ということについて。
(若者が「一人で生きる」と決心することは、「孤独を学ぶ」とか「己を見つめる時間を持つ」という意義もあり、良いことだろう、と述べた後で)
しかし世の中は若い人だけではない。いろんな人が生きている。
そんな人の中には、一人で生きざるを得ない状況、立場の人は、私たちが想像するより多勢いる。
家族、伴侶を失った人もいれば、置かれた立場が一人で生きざるを得ない人もいる。
そういう人たちが、何かの折に、一人でいることに戸惑い、不安になり、どうしたらよいのか途方に暮れることがある。
私の周囲にも、そういう人たちがいて、その切ない気持ち、揺れ動く感情を耳にすることもある。
「何やら寂しくて、どうしようもないんです」
「一人でいると不安でしかたありません」
中には開き直ってしまったのか、
「伊集院さん、所詮、人間は一人で生まれ、一人で死んでいくのよね」
と言う人もいる。私はそう言われると、
「人は一人では生まれないし、一人で死んで行くことはないと思います」
とはっきり言う。
両親が存在していたから生まれたとか、孤独死は、その死の状況を見るから、そう思えるのだとか、屁理屈でそれを否定しているわけではない。
極端な言い方をすると、人は生まれた時から一人ではないし、この世を去る時も一人ではない、と私は思っている。
人間という生きものは一人で生きるようにできていない。
こういう言葉って、「そんなの綺麗ごとだよ」って言い返したくなるのだけれど、伊集院静さんという人の口から発せられると、「そういうものかもしれないな……」と、妙に納得してしまうところがあるのです。
いやまあ、かなりこわいイメージがある伊集院さんに面と向かって反論する勇気のある人は、なかなかいないとも思いますが。
弟の死から十五年後、私は前妻の死に直面した。これはコタエタ。何とかもち堪えたのは、半分以上が、七年後に私を家族にしてくれた家人のお陰である。
今年の春先、大阪でサイン会をした折、近しい人を亡くした人が来て下さっているのに半ば驚いたと書いた週がある。
弟を、前妻を亡くした時、同じような立場の人が世間に数多くいるのを知った。
それでもこの頃、私の拙いエッセイを読んでラクになったと言われる。そういうつもりで書いた文章はひとつもないのだが、もしかして私の文章のそこかしこに、別離への思いが見え隠れしているのかもしれない。
「近しい人の死の意味は、残った人がしあわせに生きること以外、何もない」
二十数年かけて、私が出した結論である。
──そうでなければ、亡くなったことがあまりにも哀れではないか。
一人の人間の死は、残されたものに何事かをしてくれている。親の他界はその代表であろう。家人と彼女の両親の在り方を見ているとそれがよくよくわかる。
僕も、伊集院さんのエッセイを読むと、自分が少しだけ大人になったような気がする、あるいは、大人として生きることのカッコよさと辛さを思い知らされるのです。
基本的に、短時間でそういう「大人モード」からは抜けてしまうのだけれど。
他の週刊誌で、冗談が半分の悩み相談を引き受けているのだが、去年、そこで若い父親からの相談で、どうも子供の顔付きや、風貌が自分とはあまりにも違うので、DNA鑑定をしたところ、自分の子供ではないことが判明した。
自分はどうしたらいいのか? 子供にそのことをいずれ伝えなくてはならないと思うが、その時期の云々ということだった。
私の答えは、こうだった。
「冗談を言いなさんナ。そんなことが子供に何の責任がある。それを知るまできちんと育てて来た気持ちが、たかがそのくらいのことで変わるんなら、親というものが何なのかとまったくわかっちゃいないじゃないか。たかが血が違うくらいで、親と子がおかしくなる道理があるはずはない。
赤児を最初見た時の、あなたの喜び、誰かに感謝したいという正直な気持ちは何だったのか?
大人の男として恥かしいと思わないのか。
第一、そんな鑑定をしようとする気持ちが卑しい。
赤児は目を開いて、最初に見た人を、その人が、よく生まれて来たネ、という目で見てくれている表情ですべてを理解するものだと私は信じているし、それは何千年も変わることのない親子の絆だ”と答えた。
ちなみに、この質問者からは、後日、お礼のメールが来たそうです。
僕はこの伊集院さんの回答を読みながら、うんうん、と頷き、涙が目に浮かんできたのです。
しかし、親としてあらためて考えてみると、「たかがそのくらいのこと」と言えるような話じゃないですよね、これ。
むしろ、悩む相談者のほうが、「ふつう」であるように思われます。
今の世の中って、こういう「悩み」に対して、いろんな角度から分析して、質問者に寄り添って答えようとしてくれるじゃないですか。
それが、現代のスタイルではある。
でも、この伊集院さんの回答の力強さに、僕はとても魅かれてしまうのです。
いろんな角度から物事をみようとして、あなたの気持ちもわかる、それも間違っていない……と、結論が出なくなってしまうよりは、「たかがそのくらいのことで、親と子がおかしくなる道理があるはずはない」と断言してくれる人を、僕は(そして、世の中のたくさんの人は)求めているのかもしれません。
いろいろあった人へ 大人の流儀 Best Selection
- 作者: 伊集院静
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2018/03/13
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る
- 作者: 伊集院静
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2017/11/02
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る
人生なんてわからぬことだらけで死んでしまう、それでいい。 (文春文庫)
- 作者: 伊集院 静
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2017/04/14
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る