- 作者: 坂口幸弘
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2019/06/18
- メディア: 新書
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Kindle版もあります。
- 作者: 坂口幸弘
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2019/06/28
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内容紹介
親・子ども・配偶者・ペットとの死別、病、老化…
私たちは「心の穴」とともに歩んで行く
死生学、グリーフケアの実践が示す道しるべ家族、友人、ペット、健康、時間、夢や希望、そして自分の命――私たちは様々なものを失う。できれば避けて通りたい出来事ではあるが、喪失は人生と切り離せず、また何も失わない人生が幸せとは言えない。では、命ある限り生じる「心の穴」といかに向き合っていくべきか? 死生学や心理学の理論、当事者の声、死別後の悲嘆に対処するグリーフケアの実践で得られた知見を学び、来るべき喪失に備え、「その後」の日々に生かす。巻末では過去の喪失体験を振り返り、自分自身を理解するためのワークを行う。
たしかに、人間というのは、日々何かを失いながら生きている。
「さよならだけが人生だ」なんて言葉もありますしね。
この新書は、「喪失」への向き合いかた、あるいはやり過ごしかたなどを考える「喪失学」について書かれたものです。
これを読むことによって、いま、自分が向き合っている「喪失」が軽減されるという内容ではなくて、「喪失学」というのはどういう学問なのかを概説した教科書、という印象なんですよ。
だから、いま、自分の喪失を客観的にみる余裕がない人には、あまり効かないのではないかと思います。
「あなたのことはわかっていますよ」みたいなスタンスで、にじり寄ってこられても、かえって嫌悪感を抱いてしまうことがあるのが「ロス後」なので、あえて、具体的なエピソードなどは少なめにしているのかもしれません。
「喪失」に対する反応や回復過程は個人差が大きいし、どのような形での喪失かによっても、異なってくるのです。
著者は、米国の家族療法家、ポーリン・ボスが提唱している「あいまいな喪失(ambiguous loss)という概念についても説明しています。
この「あいまいな喪失」には二つのタイプがあって、ひとつは、山での遭難や自然災害などでの行方不明者が経験する、生存は絶望的だが、遺体が発見されない場合、あるいは、長期間の行方不明者の家族が経験する「身体的には不在だけれど、心理的には存在していると認識してしまう(あるいは、不在を認めきれない)喪失」で、もうひとつは、認知症の患者や慢性の精神障碍者の家族が経験する「身体的には存在しているものの、心理的には(人格が変わってしまって)、その人の存在を感じられない喪失」なのだそうです。
この「あいまいな喪失」は、不安定な状況が長期間続き、先が見えないため、家族にとっては大きなストレスになるのです。
この本を読んでいると、「喪失」には、さまざまな形があるということと、他者の「喪失」を理解することの難しさを思い知らされるのです。
実際には、重大な喪失にともなうつらさは、時間だけで解決できるようなものではない。むしろ時間が経つにつれ、つらさが増してくるように感じられることさえある。とはいえ、時間が経過していくなかで、気持ちはゆれ動きながら、少しずつ変化していくことも事実である。
過去に友人が夫を亡くしたときに、「日にち薬だから、頑張って」と励ましたことがあるという60代の女性は、夫を失ったみずからの体験を振り返り、次のように話す。
「自分が同じ立場になってみて、まわりの人から『日にち薬』だと言われて、すごく嫌だった。『日にち薬』なんて絶対にないと思った。でも、1年以上が経って、当時に比べるとずいぶん気持ちが落ち着いてきた。今になって、これが『日にち薬』なんだと思うようになった」
喪失の種類やおかれた状況などによって、悲嘆の大きさや期間の個人差が大きいため、「いつまでに立ち直らなければならない」というような基準を設けることは困難である。喪失による苦痛が軽減されるのに要する時間は人によって異なり、本人や周囲の人が考えるよりも短いこともあれば、ずっと長いこともある。たとえば配偶者との死別に関する研究では、うつ症状を示す人の割合が、死別から4~7ヵ月後では42%であったのが、24ヵ月までに27%に低下し、30ヵ月後には18%(Stroebe & Stroebe, 1993; Futterman et al., 1990)。このように時間の経過とともにうつ症状を示す人の割合はたしかに低くなるが、優配偶者の場合には10%であることを踏まえると、2年後や2年半後においてもその割合はまだまだ高いといえる。
たしかに、時間によって悲嘆は薄れることが多いけれど、何年も引きずる人もかなりの割合存在しているのです。
「日にち薬」なんていうのも、自分自身で、そういえば……と感じるようなものであって、他人にアドバイスするのは適切とは言い難いのです。
ちなみに、悲しみが薄れてきた人でも、故人の誕生日や命日が近づくと気分が落ち込むことがあり、「記念日反応」とよばれているそうです。悲しみというのは、一筋縄ではいかない。
では、身近な人が重大な喪失に直面したときに、周囲の人はどのように力になることができるだろうか? まずは、『くまとやまねこ』(河出書房新社、2008年)という絵本の一部を紹介したい。
なかよしのことりが死んでしまったあと、くまは、小さな箱を作り、花びらをしきつめ、ことりをいれました。
いつも、どこへいくにも、くまはことりをいれたその箱を、もってあるくようになりました。
森のどうぶつたちが、たずねます。
「おや、くまくん、すてきな箱をもってるじゃないか。いったいなにが、はいってるの?」
けれど、くまが箱をあけると、みんなこまった顔をしてだまってしまいます。
それから、きまっていうのでした。
「くまくん、ことりはもうかえってこないんだ。つらいだろうけど、わすれなくちゃ」
くまは、じぶんの家のとびらに、なかから、かぎをかけました。
(中略)
やがて出会ったやまねこは、箱のなかのことりをみて、いいます。
「きみは、このことりと、ほんとうになかがよかったんだね。ことりがしんで、ずいぶんさびしい思いをしてるんだろうね」
このあと、「くま」は、かつて一緒によくひなたぼっこをした日の当たる場所に「ことり」を埋め、「やまねこ」とともに石を置き、花で飾り、そして二人で一緒に新たな旅に出発するのである。
グリーフケアで最も基本的となることは、相手の思いを尊重し、その思いにそっと寄り添う姿勢である。重大な喪失を経験した人の思いはさまざまであり、その人の思いはそのまま尊重する必要。絵本のなかで「くま」が出会った「やまねこ」のように、そのままの自分を受けとめてくれる人の存在はとても心強く、一歩ずつ前に進む勇気につながるであろう。
悲しんでいる人をサポートしようとしても、空回りしてしまうことは多いのです。
何かを失って、悲嘆にくれている人というのは傷つきやすくなっている。
だからこそ、当事者であれば、周りの「おせっかいな善意」に関しては、とりあえず聞き流すようにしたほうがいいし、周りも、「やまねこ」のような寄り添いかたもあるのだ、と知っておいたほうが良いと思います。
「喪失に向き合うこと」というのは、当事者になってみると、本当に難しい。
いや、難しいとか簡単とかじゃなくて、ただ、流されていくしかない。
- 作者: 湯本香樹実,酒井駒子
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
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- 作者: 荒木陽子,荒木経惟
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