琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

営業ものがたり

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相変わらずのサイバラ節、という感じで、安心して読めます。
というか、安心して読める西原理恵子というのもどうかと思わなくはないけれど。

「うつくしい のはら」を読んで、僕はずっと考えていたのだけれども、この作品というのは、果たして、何を読み手にもたらすものなのだろうか?「少しずつでも前に進もうとすることの美しさ」なのか「学ぶことの大切さ」なのか「無限ループを繰り返す世界への諦め」なのか「希望」なのか「絶望」なのか。
いやたぶん、これはそういうひとつの結論だけを書こうとしているのではなくて、そこにあるのは、「現実というものの、どうしようもなさ」なのではないかなあ、と思わなくもない。そういう「向上心」の積み重ねが、世界を変えていってもらいたいという祈りの一方で、現実というのは、かくもどうしようもないものなのだ。
僕はこの作品に、むしろ「絶望」を感じる面が大きくて、それはまた、西原さんがこういう「絶望の原型」みたいなものを見てきたからなのではないかと想像してしまうのだが、言ってみればマンガ家としての成功なんて、同じようなスタート地点にいた人が、次々と脱落していくのを見ながら生き残るためにしがみついていく行為の繰り返しなわけで、そういう点では、この「うつくしい のはら」って、あまりに美しくて、透明な話になりすぎているんではないか、という反感も僕にはあるし、それは、「成功してしまった」西原さんのひとつの懺悔みたいなものなのかな、と思わなくもない。まあ、それはさすがに、悪意の解釈にすぎるのかもしれないが。
少なくとも、僕には「純粋な希望」の物語であるとは思えないし、その一方で、「完全なる絶望」の物語ではないとも感じている。ひょっとしたら、「希望のかけら」があるだけ、かえって「絶望的」なのだろうか。
それにしても西原理恵子の本は、「下流社会」よりも、よりクリアカットに、水平な目線で「下流社会の現実」を描いているなあ。
しかし、僕にとっては、「晴れた日には学校をやすんで」のほうが、傑作だったのだけれど。
あの学校の壁の落書きのシーンには、ものすごく心が揺れた。

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