琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

「子育て」という小さな戦争

千葉県松戸市常盤平団地で6日、23歳の女性宅が全焼し、焼け跡から子ども3人の遺体が見つかった火災で、子どもを残して病院に出掛けていたと説明していた田之口さんがその後、松戸東署の調べに「パチンコに行っていた」と話していることが7日、分かった。病院で受診した形跡がなく同署が、あらためて話を聞いていた。田之口さんは「パチンコに行っていたと言いたくなかった」と話しているという。

このニュースへのさまざまなリアクションに対して。

遊んじゃダメなの? - 非国民通信

損得とか予防とかではなくて - サキュバスの晩餐

「鈍感すぎ」って指摘してくれてありがとう。「焼け死ぬ子」を減らすにはどうしたらいいでしょうね。 - どんなジレンマ


思いついたことをとりとめなく書いていく。
この女性に対して、僕はやっぱり憤りを感じるし、4歳・3歳・6ヶ月の3人の子供を残して遊び(しかも、パチンコ!)に行ったというのは、「あってはならないこと」だと思う。
その一方で、23歳で3人の子持ち、しかもひとりで子育てをしなければならなくなってしまったこの女性を全否定することも難しい。
「子供を生んだのだから、母親としての責任を果たせよ!」と言うけれど、23歳なんて、まだまだ遊びたい盛りじゃないか。18歳で最初の妊娠をして、あとはずっと子育てに追われる人生。
それなら最初から生むなよ!という意見もあるはずだ。それはそのとおり。しかしながら、こういう若い母親の多くは、「なんとなく生でセックスして、なんとなく妊娠して、なんとなく子供を産んでしまった」のではないかと思う。そして、そういう「なんとなく産んでしまう人」がいなければ、日本の人口は激減するだろう。
たぶん、こういう人生は、日本中にゴロゴロしている。
その多くは、家が火事にならないから、可視化されないだけだ。
23歳女性が子供を置き去りにしてまでやりたかったことがパチンコだというのは、情けないのと同時に、悲しくもなる。そして、パチンコというのはそういう怖さを抱えている娯楽なのだということをみんなもっと知るべきだ。

多くの親は、このニュースを聞いて、「火に焼かれ、苦しんで死んでいったわが子」の姿をイメージせずにはいられないはずだ。僕もそうだった。

いまのところ、息子はかわいい。すごくかわいい。人生がセーブできるのなら、寝ているときにセーブしてずっととっておきたいほどかわいい。
でも、僕はときどきどうしようもない気分になる。
息子は泣く、うわーんうわーん、と際限なく。
昨日は仕事で朝から夕方まで働きづめで、ようやく家に帰ってきたのだが、翌朝まではオンコール。自分の科の急患が来たら、問答無用で病院に行かなくてはならない。もちろんそれが、夜の3時であっても。
できれば、一秒でも長く寝ておきたい。
あるいは、本を読んだりテレビを観たりして、気分転換したい。

それでも、息子は泣く、泣きまくる。「寝かせてくれ」という親の心を見透かしたように泣く。
いやほんと、むちゃくちゃかわいいな、と思う一方で、「子育てってワリに合わないよな」という邪な考えが、チラリと心に浮かぶことがあるし、抱きかかえている子供を投げだしてしまいたい、と思うことがあるのだ。
妻はそういうとき、「あなたいま、イラッとしているでしょ!」と鋭く指摘して、ワンクッション置いてくれるのだけれども。

「子育て」というのを体験しながら、僕はこんなことを考える。
「子供の人生は、誰のもの?」
もちろんそれは、その子自身のものだ。親のものじゃない。
でも、この子はまだ、自分では何もできない。いや、泣くことしかできない。
だから、親は子供の泣き声を聞いて、それに答えてやらなくてはいけない。
いけないのだが、自分に余裕がないときは、やっぱりイライラしてしまうのだ。「黙れ!」とか「さっさと寝ろ」とか、心の中でつぶやいてしまう。

僕はまだこの生活になれていないので、読書の途中で泣かれたくらいで、苛立つこともある。これがまた、「集中して読みたいところ」で泣きだすのだ。

子供の人生は、子供自身のものだ。
でも、もしこの子が何か事故や病気で死んだら、その責任は、親としての僕たちにある。
あたりまえのことのようだけれど、なんだか割に合わないなあ、と感じる夜もあるのだ。
一度生まれたら、自分の足で立てるまで、親は生かし続けなければならない。
万が一のことがあれば、親は刑事罰や「社会的制裁」を受けることになる。
自殺しても罪には問われないが、子供を死に至らしめれば、罪を問われる。
子供は、ある意味「最も身近な他人」ではないかという気がする。

この子は、育っていく過程で、僕にたくさんの喜びを与えてくれるだろう。
その一方で、見返りを求めて育てるべきではない、というのも事実だ。
僕がそうだったように、「父親なんて、大嫌い」という日が来るのではないか、とも思う。

「安心して子育てできるような環境を」「託児所の充実を」
それはものすごく正論なのだけれどさ、いま育児をしている人たちの大部分は、「現在ここでそれを訴えても、自分たちが子育てで煮詰まっている時期に、その訴えが実を結ぶはずがない」ことを知っている。「どうしようもない」のだよね実際。
うちは義母がものすごくサポートしてくれて、嫁も仕事を休んで赤ん坊の面倒をみてくれているので、かなり恵まれているほうだと思う。
でも、嫁は日中ほとんど家から出られないし、毎日「子育てのつらさ」を訴えている。
そして僕は「こっちはいつ呼ばれるのかわかんないんだぞ!」と怒鳴りたい衝動に駆られる。
みんながんばっているのだ、本当に。もちろん、息子もがんばって生きている。

「子育て」について、みんなが過剰に反応するのは、たぶん、「子育て」というのが、人間にとってかなり異常な体験だから、ではないだろうか。これはたぶん、小さな戦争なのだ。
何時であろうとも問答無用で起こされ、命令に従わなければならず、ミッションの失敗に対して責任を負わされるというのは、精神的にも肉体的にもかなり厳しい。
そして、多くの「生き残った人々」は、自分の「戦争体験」を語らずにはいられない。
「子供を持ったこともないくせに!」って言う人の気持ち、いまはなんとなくわかるんだよね。
あれは、「戦争に行ったこともないくせに!」っていうのと同じような感じなのではないかなあ。
これが戦争であるかぎり、ある兵士が「小官はパチンコに行きたいので、戦場を離脱するのであります!」なんていうのは「軍律違反」として叩かれるのもしょうがないのかな、と。
「そういうことは許さない」と決めておかないと、タガが緩んでいくばかりだろうし。

最後に、最近聞いたこんな話を紹介しておこう。

ようやく這って歩けるようになった子供を父親に預けて、母親は病院に治療に出かけていった。
父親はずっと子供と一緒にいたのだけれど、オムツが切れていたのを思い出し、子供を部屋に残して、10分だけ留守にし、急いで買い物に行った。
帰ってきたとき、子供の姿が見えないので必死に探しまわったところ、その子はカギが開いていたベランダから落ちて、亡くなっていたそうだ。

それから、この夫婦がどうなったのかはわからない。
ネットの人たちは、「そんなの子育て失格!」と言うかもしれない。
でもさ、ちょっとお腹の調子が悪かったら、10分くらいトイレに入っていることだって珍しくはないだろ?

「こんな子育ては、言語道断!」って言いたくなる気持ちはわかる。そうやって、自分の子育てを正当化しないと、やってられない夜もある。
その一方で、結局は「運不運」なのかな、と考えてしまうこともある。

ひとつだけ言えることは、いままで子育てしてきた人たちは、みんな偉いなあ、ということだ。うちの親も偉かったんだなあ。
「子育て」って、「できてあたりまえ」じゃないんだな、自分で体験してみるまで、僕にはそんなこともわからなかったよ。

これを読んでいる、全世界の(ってのはオオゲサですね)子育て中の皆様、僕はあなたを手放しで称賛します。
ほんと、偉いよみんな! こんなの絶対に「あたりまえのこと」じゃないよ。

たぶん、急に託児所が増えたりすることはないとは思うし、失くしてしまったものばかりが思い出されて辛いこともあるけれど、僕たちもがんばります。
子供たちはきっと、未来を良い方向に変えてくれると僕は信じてる、いや、信じることにしてるから。

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