- 作者: 今泉ひーたむ
- 出版社/メーカー: ワニブックス
- 発売日: 2016/05/08
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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内容紹介
100万PV突破の大人気ブログ『リンゴ日和。』待望の書籍化! 5才と2才の姉妹を育てる生活をかわいいタッチのイラストとともに綴ったエッセイ。愛情たっぷり、ときにツッコミ役のママの視点、娘を溺愛するパパの奮闘ぶりも人気。大切な人と過ごすふつうの毎日がいちばんいとおしいと気づかせてくれる一冊です。描き下ろしの漫画&エッセイも8編収録。
僕は正直、あまり好きじゃなかったんですよ、この『リンゴ日和。』ってブログ。
なんだか、綺麗すぎる感じがして。
うちには7歳と1歳半の二人の男の子がいます。
僕の人生において、ささやかな心残りとして(まだ死んだわけじゃないですが)、「女の子を育ててみたかった」というのがあるのですが、それを口にすると、妻に「アンタが育児をしてるわけじゃないくせに!」と怒られるのが定番のやりとりです。
子どもがいてよかった、と思う、心の底から……というよりは、子どもがいるという世界線を生きているのだから、(僕に関しては)子どもがいるのが、今が幸せなのだ、と決めています。
夜泣きをして寝不足になるし、牛乳を床にぶちまけて、バシャバシャやって遊ぶし、宿題をやらずにずっとダラダラしているし、時間がなくて急いでいるときにかぎって、忘れ物をするし。
そもそも、24時間、誰かが傍にいないといけない存在、というのは、あまりにも重い。
あーかわいいね、子どもは素直だね、うちの家族は幸せだね、って、自信を持って、言えるだろうか?
夫婦で仕事をしていると、育児(というか、子どもを見守る時間)って、「スケジュールの奪い合い」みたいな感じになりますし。
『リンゴ日和。』に関しては、愛憎半ば、みたいな感じだったのですが、やっぱり気になってはいたので、この本を買って読んでみたのです。
まとめて読んでみると、なんて素っ気ない作品なんだろう、と思ったんですよ。
ここには、「理想の子育て論」が披瀝されているわけではないし、仕事ばかりで育児に協力してくれない夫への不満がぶちまけられてもいない。
子どもたちの不快な行動や、それに対する苛立ちもほとんど書かれていない。
なんというか、やっぱり「きれいごと」の世界に見える。
ただ、読んでいるうちに、なんとなくわかってきたのです。
著者は不妊治療の経験があり、待望の子どもを授かったそうです。
そこまでには、苦しい道のりがあった。
たぶん、5歳と2歳の女の子を育てるという日常には、つらいこともたくさんあると思うんですよ。
かわいい、と思う瞬間もあれば、「鬱陶しい」と感じるときだって、あるはずです。
だからこそ、著者は、子どもたちの「良い記憶」だけを切り取って、こうして留めておこうとしているのではなかろうか。
「笑えるところ」を見出そうとしているのではないだろうか。
ここには「子どもは自分の所有物ではないし、いつかは大きくなって、自分から離れていく存在なのだ」「だから、いま、この瞬間を楽しんでおきたい」という気持ちが込められている。
長女が、最近私とケンカをすると
「おかあさん、だいきらい。どっかいっちゃえ」と言います。
なかなかナマイキです。
でも5分もしないうちにすぐ「ぜんぶウソなの!ずっといっしょにいてほしいの」と前言撤回してきます。
当たり前のことなんですけど、子どもはすぐに大きくなって、親とは違う世界で生きていくようになる
。
そうじゃないと困るんだけど、それはやはり、寂しいことでもある。
子どもって、3歳までの可愛さで、その後の憎たらしさを相殺する、って話があるじゃないですか。
どんどん大きくなっていく長男をみながら、そのことをよく考えます。
この子は、いつまで、「パパ、一緒に遊ぼうよ」って、言ってくれるのだろう?
一緒にいられる時間が短いのはわかっているのだけれど、いま、こうしてトミカで遊んでいる時間はけっこう苦痛で、早く終わってくれないかな、って内心思っている。
「きれいな部分が描かれている」のは、そういうふうに日常の小さな発見を生きがいにしていかないと、キツいときもあるから、なのではなかろうか。
この『リンゴ日和。』が、「育児の美しい部分だけを純粋培養している」ようにみえるのは、僕が親失格なだけなのかもしれません。
でも、親というのをやっていくためには、そういう「きれいごと」に頼らなければならないところも、あるのだと思う。
ああ、うちの子にも、こういうこと、こういう時期、あったよなあ、って。
そして、子どもたちの姿をみていると、なんだか、子どもだった頃の自分のことを思い出さずにはいられなくなるのです。
うちの長女は、たいしたことじゃないことで泣いたりします。
そのたびに「そんなことで泣かなくていいよ」と私は言います。
でも本当は、自分も幼いときは長女と同じですぐに泣いていました。
たとえば小さいときは名前をちゃんと「ちゃん」づけで呼んでもらわないとだめで、呼び捨てで呼ばれるだけでしくしく泣いたりするような面倒くらい子でした。
だから長女にそんなことを言っていること自体、どうかなと正直思ってしまいます。自分もできなかったことを言っているからです。
それにもかかわらず、毎回「そんなことで泣かなくていいよ」と言ってしまうのです。
僕も息子に腹を立てながら、「古いおもちゃを捨てられるのって、僕もイヤだったものなあ……」なんて、内心共感してしまうことが多くて。
でも、際限なく古いものを残しておくわけにもいかなくて。
本当は僕も、できることなら息子が勉強した塾のプリントも全部保存しておきたいくらいなんですけど。
自分と共通している「弱点」みたいなところには、かえってこちらも意固地になってしまうこともあるのだよなあ。
『ダーリンは70歳』という西原理恵子さんの作品のなかに、こんな言葉が出てきます。
気づかなかった
子供といられる時間は
びっくりするほど短い
何であんなに仕事ばっかりしちゃったんだろう
もっと一緒に遊べば良かった
西原さんは、忙しい日々のなかで、子供たちと一緒に生活を楽しんでいたように僕にはみえていたのです。
それでも、「後悔」してしまうこともある。
人生って、短いよね、本当に。
どうせだったら、「いいところ探し」をしたいな、と僕も思います。
生きるのって、ラクじゃないんだ。今も、これからも。
だからこそ、「かわいかった子どもたちの記憶」は、ひそかに、親たちを温めてくれる、ずっとずっと。
- 作者: 西原理恵子
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2016/01/20
- メディア: 単行本
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