琥珀色の戯言

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松本人志 仕事の流儀 ☆☆☆


松本人志 仕事の流儀(ヨシモトブックス)

松本人志 仕事の流儀(ヨシモトブックス)

内容紹介
松本人志に異例の密着取材を敢行した
NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』。

だが番組で放送されたのは、ごく一部だった。

半年の間に積み重ねられた
膨大な言葉の数々が
ここに明かされる。


「世界で一番面白くない人は、実は一番面白い」

「日本の笑いは世界一のレベルと証明したい」

「僕が丸くなったのではなく世の中が変わっただけ」


 NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』での密着取材中に記録された松本人志さんの言葉を集めた本。

 この本で紹介されている松本さんの「ナマの言葉」は、かなり魅力的です。
 映画のこと、笑いのこと、子どもの頃のこと、娘さんのこと……
 以前、島田紳介さんと「笑い」に関する本を出していた松本さんなのですが、そういう「ちゃんと推敲した言葉」ではないだけに、すごく伝わってくるものがあるのです。

 ただ、この本そのものは、大きめの字に135ページで1000円と、けっこう割高ではあります。
 松本人志の大ファンにとっては、珠玉のお言葉集なのでしょうが、30分くらいで読み終わってしまうボリュームでこの値段というのは、あまり良心的とは言えません。
 ある意味、「短時間で、松本人志の今がわかる本」でもあるのですけど。

 この本の最初、「ものを見られない日本人の性」という項で、『大日本人』『しんぼる』というこれまでの作品への世間の評価に、松本さんはこんな苦言を呈しています。

 正直に言うと、僕には「映画を撮ってる」という意識はまったくないんです。基本的に「すでにあるものとは違うものを作りたい」、そして「自分の表現したいことをぶつけたい」と思って撮ってるだけなんで、ふだんから「映画、映画」って騒いでいる映画好きの人たちには、逆にあんまりピンと来なかったのかもしれません。
 でも、僕が最も情けなく思ったのは、ほとんどの人が、自分で映画館に足を運んでわざわざお金を払って観ようとした映画を、結局は「自分の目」では観なかったということなんですよね。「マスコミでこれこれこう紹介されてた」とか、「ネットのレビューで誰かがこう書いてた」とか、実際に観る前から「他人の意見」を頭に詰め込みすぎていて、結局「他人の目」で観てきただけなんですよ。
 今の僕が顔を知られすぎていて、必要以上に期待値が上がりすぎているからそうなってしまうのか。それとも、そうやって他人の批評をチラチラ気にするのが、現代日本人の悲しい性なのか……どういう理由なのかは僕にはわかりません。だけど、せめて、お金を払って観にいった映画くらい、ちゃんと「自分の目」で観てほしいもんですよね。

 松本さんの最新作『さや侍』でも、「松本人志がつくった映画なのに笑えない。面白くない」なんていうレビューをよく目にします。
 こういう先入観を植え付けられて見に行ったら、やっぱり素直な気持ちでは楽しめないよなあ、と思うのです。
 とはいえ、観客としては、「ハズレ」を観るのは嫌だから、ついついこれまで観た人のレビューを読み、影響されてしまう。
 ただ、その一方で、「松本人志という『お笑い芸人』の知名度」がなければ、こうして松本さんが映画を撮ることはできなかったでしょう。

 僕は最近こんなことをよく考えます。
「自分の目」って、何だろう?
 先日、『情熱大陸』で、伊集院静さんが、「人間、自分のことって、本当はいちばんよくわからないんだ。一度、全然自分のタイプじゃない女性と付き合ってみるといいよ」というようなことを仰っていて、僕はその言葉、すごく腑に落ちたんですよね。
 「自分の目で観る」というのは、言葉にするのは簡単だけど、実際にやるのは本当に難しい。
 人間って、ふつうに生活しているだけで、他者からの影響は避けられないものだからなあ。
 もちろん、松本さんは、そんなことは百も承知で、こうして「挑発」しているのではないのかな、と僕は思うのですけど。

 「仕事」についての話では、松本さんの「人間観察力」に驚かされます。

 世間では、「場を仕切るのがうまい人」というと、気配りができて、あっちこっちの場所で起こっていることをいっぺんに見渡せるくらい視野が広くて、みんなの「司令塔」みたいな役割ができる人……。そういうイメージが一般的じゃないですか。
 でも、僕は、それって大きな間違いだと思うんですよ。むしろ、その逆で、どんな状況でもテキパキと場を仕切れる人間というのは、実は、ものすごく気が利かなくて、視野が狭い人間なんじゃないでしょうか。
 僕が思う「仕切りのうまい人」の条件と言えば、「踏ん切りの強い人」であうね。もっとわかりやすく表現するなら、無駄だと思ったことをすっぱり切り捨てられる人間ということです。

 松本さんは、「この「踏ん切りの強い人」の代表として、相方の浜田さんを挙げています。「自分が面白くないと思ったゲストに対しては容赦なく、平気でバッサバッサと切ってしまう」と。
 松本さんは、そういう状況では、「全体のバランスを考えてしまい、みんなに見せ場をつくろうと考えてしまう」そうです。
 でも、結局のところ、「オンエアされる時間が限られている以上、みんなに100%満足してもらうのは不可能」なんですよね。

 アナウンサーの人にしても、司会が得意で、ほんまに能力の長けたアナウンサーさんっていうのは、どこかちょっとわがままなところがあるんですよね。面白いもんで、ベテランのうまいアナウンサーほど、意外に周りのゲストを見てなかったりするんですよ。
 企画会議やなんかの場で、自分は仕切りがヘタだと思って悩んでいる人って、あっちこっちの参加者に「中途半端に」気を遣いすぎて、かえって自滅してるパターンがほとんどだと思います。そういう人は、思い切って逆に「視野を狭く」してみると、意外にうまくいったりするんじゃないですかね。

 ああ、この「仕切りがヘタだと悩んでいる人」って、僕のことだよなあ……
 この「視野を狭くしてみる」というアドバイスにハッとさせられる人は、かなり多いのではないでしょうか。
 まあ、わかっていてもなかなかできないのが「性格」ってもので、だからこそ松本さんと浜田さんは良いコンビなのでしょうね。

 これは、すごく声を大にして言いたいことで、30年くらいやってきたなかで、ずっと訴え続けていることでもあるんですけど、僕はやっぱり、お笑いには「レベル」があると思うんですよ。
 世間には、「お笑いにレベルなんかない」とか、「そんなんは人それぞれや」みたいな反論をいろいろ言ってくる人もいますけど、でもね、そういうことを言ってるやつらは、必ずと言っていいほど、レベルの低いやつらなんですよ。レベルの高い人間は、レベルがあるってことをちゃんとわかってるんです。
 ただね、気をつけないといけないのは、お笑いって、あんまり突き詰めて考えていくと、なんかだんだん「アート」みたいなものになっていきがちなんですよね。でも、僕がめざしているのは、そういうことじゃないんでうよ。
 それから、一歩間違うと、今度は「狂気」にもなっていくから、そっちへも行きすぎないようにしないといけないですし。
 わかりやすく言うと、ちっちゃい子供に「ベロベロバァ」っていやったら笑いますけど、あんまり思いっ切り「ベロベロバァッ!」ってやりすぎると、子供は逆に泣きますからね。笑いと怖さっていうのは、やっぱり頃合いっていうのがあるもんなんですよ。

 この「レベル」の話、反発する人も多いと思うのですが、僕は「そういうものかもしれないなあ」と感じました。
 いや、僕にそのレベルがわかるのか?と言われたら、正直よくわかんないのですけどね。
 そして、「レベルが低いほど、『人それぞれ』ってことにしたがる」というのは、耳の痛い言葉だと思います。
 この「人それぞれ」で思考停止してしまうことの不毛さを、ネットでの争いでもよく感じますし。

 このほかに、娘さんの話などもあって、非常に興味深かったです。
「笑いの天才」にもかかわらず、「自分の娘を笑わせること」の難しさに困惑する松本さんの姿は、なんだかとても微笑ましいし、そういうところは、親ってみんな同じなのかな、って。

 この分量で1000円は、やっぱりちょっと高いと思います。
 それでも、機会があれば一度読んでいただきたい。
 松本人志さんのファンならもちろん、「仕切りの話」のように、「多くの人と一緒に仕事をして、まとめていかなければならない立場の人」にとっても、なかなか興味深い言葉の数々ですよ。

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