- 作者: ラリー遠田
- 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
- 発売日: 2019/03/14
- メディア: 新書
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Kindle版もあります。
- 作者: ラリー遠田
- 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
- 発売日: 2019/03/15
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内容紹介
明石家さんまからピコ太郎まで
時代を映した14組の芸人で平成を振り返る。
教養としてのお笑い史。価値観が多様化している現代においても、お笑いや芸人に関することだけは幅広い世代に共通の話題となりうる。
平成を生きた私たちは何らかの機会にそれらに触れていて、少なからず影響を受けているからだ。
そういう意味で、平成のお笑い史は一種の「教養」として振り返っておく価値がある。
(「はじめに」より)1章 1992年(平成4年) 明石家さんま離婚
2章 1994年(平成6年) ビートたけしバイク事故
3章 1995年(平成7年) 山田邦子、不倫報道で人気凋落
4章 1997年(平成9年) 松本人志『ごっつええ感じ』降板
5章 1998年(平成10年) 萩本欽一、長野五輪閉会式の司会
6章 2000年(平成12年) 上岡龍太郎、引退
7章 2003年(平成15年) 笑福亭鶴瓶、深夜の生放送で局部露出
8章 2007年(平成19年) 有吉弘行、品川祐に「おしゃべりクソ野郎」発言
9章 2007年(平成19年) サンドウィッチマン『M-1』で敗者復活から優勝
10章 2010年(平成22年) スリムクラブ『M-1』で放射能ネタ
11章 2011年(平成23年) 島田紳助、引退
12章 2014年(平成26年) タモリ『笑っていいとも!』終了
13章 2015年(平成27年) 又吉直樹、芥川賞受賞
14章 2016年(平成28年) ピコ太郎『PPAP』が世界中で大ヒット
「平成」の時代に起こった、お笑い界の14の出来事を振り返りながら、「平成のお笑い」の概要を浮き彫りにしていく、という新書です。
この本の最初、平成元年の出来事、というのをみて、僕はちょっと驚いてしまったのです。
平成元年には『おれたちひょうきん族』が終了し、『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』がはじまっています。
また、北野武(ビートたけし)さんが、『その男、凶暴につき』で、監督デビューしているんですね。
そうか、『ひょうきん族』って、僕には自分の子供時代、昭和の怪物番組であった、ドリフの『全員集合』を追い詰めていった頃の記憶しかないけれど、平成のはじめまで、番組は続いていたのか。
記憶というのは、自分で思っている以上に書き換えられてしまいやすいもので、山田邦子さんがあんなに売れていた時期があったというのも、まるで夢のようです。
「お笑い史上最も売れた芸人は誰か?」というのは難しい質問である。だが、「お笑い史上最も売れた女芸人は誰か?」と問われたら、1人の名前が真っ先に思い浮かぶ。
ピーク時には週14本のレギュラー番組を抱え、8社のCMに出演。映画、ドラマの出演も多数、CDや小説を出せば軒並みベストセラーに。NHKの「好きなタレント」調査では8年連続で女性部門1位を獲得。本人の話によれば、当時の月収は約1億円。
女芸人の質・量ともにかつてないほど充実している現在でも、全盛期の彼女の実績を超えられそうな人材は見当たらない。女芸人史上最強のモンスター、それが山田邦子である。
思い返してみれば、『やまだかつてないテレビ』からは、『愛は勝つ』『それが大事』と、大ヒット曲が生まれ、やることなすことうまくいっているように見えていたんですよ。
それが、週刊誌でテレビプロデューサーとの不倫が報じられたのをきっかけに、人気が落ちていき、あっという間に「あの人は今」という存在になってしまいました。
それは、飽きられてしまった、ということなのか、「女性の場合は、不倫によるイメージダウンが、男性よりも大きい」からなのか。
1999年の著書で、山田は自分を含む女芸人についてこう書いている。
お笑いの女は超美人ではないがドブスではなく、案外可愛い。そして明るく元気なので、割とみんないいお母さんになる。だが、若いうちはいいけれど、先様の家族、子供の事などでしだいに仲間から”どこか不幸じゃないとダメ”という型にはめられて窮屈になって、途中で家族か仕事のどちらかをやめてしまいがちだ。こんな何でもありの自由な時代に信じられないが「お笑いの世界でやっていく女はいろいろ難しい」なんてバカな事をわざと言って、出る杭を打つ男性が、まだまだ本当に大勢いるのだ。
(山田邦子著『こんなはずじゃなかった』毎日新聞社)
この風潮は今もそれほど変わらないだろう。男性社会の中で、女性は女性であるというだけで重宝される。だが、真の意味での仲間には入れてもらえず、一定のところで出る杭は打たれてしまい、そこから先へは進めない。
女性芸人がそれ以上出世できない「ガラスの天井」にぶつかり、山田は撤退を余儀なくされた。そういう時代だったのだ。
これに関しては、頷けるところがあるのと同時に、「不倫」というトリガーがなければ、どうなっていたのだろう?とも思うのです。
今でも、不倫に関しては、女性芸能人のほうがダメージが大きいという感じはありますが、不倫というのは、男女に関わらず、褒められることではないから。
1997年の松本人志さんが『ごっつええ感じ』を降板した事件についての章もあります。
『ごっつええ感じ』が、ヤクルトの優勝をかけた試合を中継するために放送中止となったことに端を発しての事件だったのですが、著者はこれを「ゴールデンの冠番組をタレント側の意思で降りた前代未聞のケース」だとしています。
これにより、お笑い界でのダウンタウンの天下にも陰りがみえたかと思いきや、そうはならなかったのです。
では、松本はどうなったのか。2001年、『ダウンタウンのものごっつええ感じスペシャル』(フジテレビ系)が放送された。『ごっつええ感じ』の復活特番である。
松本はその内容に自信を持っていたのだが、視聴率はわずか9.0%であった。この数字を見て彼は、テレビでは自分の理想とする笑いができないと思い、ゴールデンでコント番組を作るのをあきらめてしまった。
その後の彼は、あらゆる形で笑いの新たな可能性を追求していった。1998年から1999年には『HITOSHI MATSUMOTO VISUALBUM』というビデオ作品をリリース。テレビではない場所でじっくりと手間をかけたコント映像を制作した。
2007年には初の監督作品『大日本人』が公開された。2019年現在までに4作の監督を務めた。
また、お題に合わせてフリップに答えを書いて出す「大喜利(フリップ大喜利)」、お題の写真に言葉を添える「写真で一言」、笑うと尻を叩かれるという状況で次々に笑いの刺客が襲いかかる「笑ってはいけないシリーズ」、芸人がとっておきの笑えるエピソードを披露する「すべらない話」など、笑いを生み出すためのフォーマットを次々に開発して、世の中に広めていった。
松本は有能なパフォーマーであると同時に、優秀なプロデューサーでもあった。『人志松本のすべらない話』『IPPONグランプリ』などの番組で、芸人たちは松本の用意したフォーマットに沿って笑いを作ろうとする。ある意味では、それは松本という釈迦の手のひらの上で踊っているようなものだった。
松本は若手芸人の登竜門である『M-1グランプリ』『キングオブコント』でも審査員を務めている。松本を笑わせる芸人こそが面白い芸人である、という時代が来たのだ。
確かに『ごっつええ感じ』が終わった瞬間には、ダウンタウンの覇権には陰りが見えた。だが、それは、支配の構造が変わっただけだった。松本は自らが動いて先頭に立つのではなく、フォーマット開発して権威となることで、間接的にお笑い界を支配する構造を作ったのだ。
ダウンタウン、とくに松本人志さんは、ひとりのパフォーマーから、プロデューサー的な役割となり、自らつくりだした「笑いのフォーマット」に芸人たちをあてはめていくことにより、より大きな存在となっているのです。
Appleが、パソコンのハードをつくるメーカーから、iPhoneの成功により、人々の日常を支配するプラットフォーマーとして君臨しているように。
松本さんがつくった「枠組み」から、飛び出すことができる芸人が、これから出てくることがあるのだろうか……
「平成」という時代の終わりに、「日本のお笑い」というフォーマットそのものにも大きな変化が生まれていることを、著者はピコ太郎(=古坂大魔王)さんの項で指摘しています。
古坂のネタや芸風はいわゆる漫才やコントといった伝統的なお笑いネタの枠には収まりきらないものだったため、そこではなかなか認められなかった。
芸人は、ネタ番組では「ネタ」が求められ、バラエティ番組では「キャラ」が求められる。ネタの面白さが認められて世に出た芸人のうち、愛されるキャラを持っている人だけがテレビタレントとして次のステージに進むことができる。
古坂はマルチな才能を持った天才的な人間だったが、その才能はここ20年ほどのテレビバラエティの文脈には乗らないものだった。
芸人はテレビで売れなければ「売れた」と認めてはもらえない。そのため、古坂は雌伏の時を過ごしていた。
だが、ここ数年、状況がガラッと変わった。インターネット環境が激変して、動画サイトが乱立。若い世代を中心に動画サイトの支持者が増え、そこから新たなスターやブームが生まれる土壌ができてきた。
ネット上でウケるネタには、構成も伏線もフリ・オチも要らない。その場のノリが重視され、短い時間で気軽に楽しめることが重要だ。ノリの良さを売りにして、短い時間で伝わるネタを追求してきた古坂は、ここへ来てようやく時代の波に乗ることができた。
そして、ピコ太郎の『PPAP』は、「言葉の壁」や「お笑い文化の違い」の影響も少なかったため、世界中に浸透していくことができた、とも指摘しているのです。
テクノロジーの進化にともなう、視聴環境の変化で、「ウケやすいネタ」も変わってきています。
前置きが長かったり、予備知識を求められたりするような「笑い」は、評価されにくくなってきているのです。
「平成」の30年間の「お笑い史」だけではなく、お笑いを通じて、人々の考え方やテレビというメディアの価値の変遷も見えてくる本だと思います。
とんねるずと『めちゃイケ』の終わり 〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論 (イースト新書)
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