琥珀色の戯言

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【読書感想】コントに捧げた内村光良の怒り ☆☆☆☆☆


内容紹介
温厚に見える内村だが、いつもその奥底には「怒り」をも帯びたこだわりが渦巻いていた。(本文より)


 映画監督を志した青年時代、盟友・出川哲朗、戦友・松本人志との出会い、そして、「コントの求道者」へ−−。
 内村光良の「怒り」とは? 有吉弘行さまぁ〜ずバナナマンなどのブレイクを後押しした“プロデュース術”とは?
 デビュー30周年、「第三の全盛期」を迎えたウッチャンを、多くの証言や多岐に渡る資料を駆使し、
 てれびのスキマが「テレビっ子視点」で解き明かす。
 また、浅草キッド水道橋博士が編集長を務めるメールマガジン水道橋博士のメルマ旬報』の
 人気連載「芸人ミステリーズ」配信ぶんから8篇を厳選の上、大幅に加筆修正して収録。
有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか〜』に続くテレビっ子視点で描写するエンターテイナー評伝集第2弾


<目次>
序 章 内村光良「怒り。」(前編)
第一章 出川哲朗のリアルガチな成りあがり
第二章 笑福亭鶴瓶があこがれられない理由
第三章 タモリ少年期
第四章 中居正広SMAPの時計
第五章 早見あかりももクロの背中
第六章 博多華丸・大吉の“来世”
第七章 レイザーラモンの人生すごろく
第八章 キャイ〜ンが泣いた日
終 章 内村光良「怒り。」(後編)


 「てれびのスキマ」こと戸部田誠さんによる「芸人列伝」第2集。
 第1集の『有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか』もすごく面白かったのですが(オードリーの若林正恭さんが「ネガティブの穴の底」を覗き込みつづけた話なんて、あまりにも壮絶で圧倒されてしまいました)、今回もまた芸人さんたちの濃密な生きざまの一端をうかがい知ることができる内容になっています。


 僕も「内村光良直撃世代」なので、著者の内村さんへの「愛着」みたいなものには、ものすごく親近感がありましたし。
 映画を作りたくて、「横浜放送映画専門学校」に入学したものの、他の目立つ人たちに埋もれてしまっていた内村さん(南原清隆さんだけじゃなくて、出川哲朗さんも同級生だったんですね、堀越学園みたいだ……)。

 目立っていたのは南原や、のちに一緒に劇団SHA・LA・LAを立ち上げる入江雅人出川哲朗だった。内村を学生時代から「チェン」と呼ぶ出川も同様の印象を語っている。
「チェンは学校ではまったく目立たない、正直、華のない男で、芝居でも端役ばかりだった」と。だが、一方で「女のコにはなぜかすごくモテました。『ウッチャンウッチャン』って、女のコがよくお弁当作ってきたりして。華はないけど可愛らしいんですね」
 2駅分走って通学していた内村は、昼休みにもみんなが食事に誘うと、「オレ金ないからいい。走ってる」と言い残し、教室で走っていた。するとそれを見た女生徒が「ウッチャン、可哀想」と翌日お弁当を持ってくるのだ。
 のちに勝俣州和は「母性本能をくすぐるというのを常に頭の中で考えている」と内村を評したが、このころから既にそうだったのかもしれない。
 だから出川にとって学生時代の内村の印象は「目立たないけどモテる奴」だった。

 
 ああ、なんかわかるなあ、これ。
 僕は男ですけど、内村さんが「モテる」のって、わかるような気がする。
 意識的にやっているのかどうかは、僕にはわからないけれど。


 この新書のなかでは、思いがけず「お笑い」の才能を認められ、世に出ることになった内村さんが、「きっちりつくりこんだコント」という自分の領分へのこだわりと葛藤していく様子が描かれています。
 予期せぬ事故でレギュラー番組が終了し、仕事が減ってしまったとき、『夢で逢えたら』からの「盟友」であったダウンタウン松本人志さんが内村さんの楽屋をひとりで訪れて話し込んだ、というエピソードも紹介されています。
 性格的には、温厚で親しみやすい雰囲気の内村さんと、声をかけにくそうな感じがする松本さんなのですが、「コント」というか「つくりこんだ作品を世に出すことへのこだわり」には、相通じるものがあったんですね。


 この本を読んでいて、僕は「いままで自分がみてきたお笑い番組で、ちょっと引っかかっていた場面」のことをいくつも思い出しました。
 芸人さんたちのリアクションが「ちょっと普段と違う」と思ったのだけれど、その理由は僕にはよくわからない。気のせいだったのかな?
 あるいは、「この人は、なぜこの場面で、こんな態度をとったのだろう?」という、軽い疑問。

「僕はもう、スベってもいいですけど、やっぱりウッチャンには『出るんじゃなかった』って思われるのが一番嫌じゃないですか」
 2009年1月3日に放送された『ザ・ドリームマッチ2009』(TBS系)。ボケとツッコミに別れ、フィーリングカップル形式で即席コンビを組み、ネタを披露するこの番組で、内村光良松本人志は約20年ぶりにコンビを組んでコントを演じた。『ドリームマッチ』はダウンタウンがメインを務める番組。内村はいわばお客さんである。松本がそういう思いを抱くのは当然だろう。だが、それ以上に彼らには「戦友」意識のようなものがある。だからこそ、恥をかかせるわけにはいかない。その思いは内村も同じだったという。
「松ちゃんをすべらすわけにはいかない」と。


 あの「立てこもった犯人のもとに、「ローライズ刑事」「でんじろう刑事」「七転び八起き刑事」などが次々と突入して殉職する」というコントは、『ドリームマッチ』のなかでも、僕がもっとも笑ったネタでした。
 あの番組は「お祭り」みたいなものだと思っていたのだけれど、それまでのさまざまな因縁を辿っていくと、二人にとっては「負けられない戦い」だったのだなあ、と、これを読んでようやくわかったのです。

「ちゃんと作ったやつはちゃんとした尺で流してくれ!」
 内村はスタッフに激怒した。
ウッチャンナンチャンウリナリ!!』のとあるコーナーで華原朋美の「I'm proud」を千秋がモノマネし、PVのパロディを作り込んだものを完成させた。ところが、実際に放送されたのは半分以下にカットされたものだった。それに対し、内村は我慢できなかった。『笑う犬』誕生からさかのぼること2年前のことだ。
やるならやらねば!』が不幸な事故の影響で終了し、大好きなコントができない状況が続いていた。『ウリナリ!!』は「ウリナリ芸能人社交ダンス部」や「ドーバー海峡横断部」など出演者たちの挑戦をドキュメント形式で見せるのがメイン。作り込んだ企画をやりたい内村に、ストレスが溜まっていたのかもしれない。そんな中で怒りが爆発した。
 だから「5分でいいからどうしてもやらせてくれ」と内村が懇願し、放送スタートから半年経過したあたりから「ランキングキャラクターライブ」が始まったりもした。
「あれは私の意地です」と。
 また、「社交ダンス」などの挑戦ものでも内村はさほど必要ないにもかかわらず、頑なに「ブラボー内村」などといったキャラになりきりながら挑戦していた。


 僕は『ウリナリ!!』大好きで毎週観ていたのですが、あの「ブラボー内村」に対しては、「みんなあんなに真面目にやってるのに、内村さんはなんで茶化すようなことやってるのかなあ、そんなに面白いとも思えないし……」と感じていました。空気読めよ、みたいな。
 でも、この本を読んでいると、あれは「ドキュメントバラエティへの内村さんなりの抵抗」だったのですね……真面目にやってみせるのが「照れくさかった」可能性もあるけれど。


 そういう「自分のやりたいことと求められることとのギャップ」に長年向き合ってきたからこそ、内村さんは後輩芸人に「やりたいことをやらせてあげる」ことに寛容というか、積極的にそういう場をつくろうとしているのかもしれません。


 このシリーズ、著者は直接、言及している芸人さんたちに取材しているわけではありません。
 雑誌やラジオ番組、芸人さんの著書などをひたすら読み込んで、そのなかから、「本音の断片」みたいなものを拾い集めて、ひとりの芸人の「素の部分」を組み上げていっています。
 僕は最初「なんで本人に取材しないんだろう?」って思っていたんですよ。
 でも、このシリーズを読み進めていくうちに、わかったような気がしたのです。
 人って、あらためてマイクを向けられて「あなたの本音は?」と尋ねられても、あるいは、取材者に「激白!」という前提でインタビューされても、「本当の本音」って出てこない。
 自分のなかで、「それらしくつくられた本音」を喋ってしまう。
 芸人、という仕事をしている人なら、なおさらでしょう。


 だからこそ、著者は「さまざまな資料のなかに埋め込まれている、油断してつい本音を漏らしてしまった部分」を大切に拾い集め、「本人にも言葉にできなかった気持ち」をこうして綴っているのです。
 一ファンだからこそ、本人と面識がないからこそ、迫れる「人間像」みたいなものがあるのかな、と。
 これって、気が遠くなるような積み重ねだと思うのです。
 いまの著者の立場であれば、本人に直接ぶつけて言葉を引き出すことも可能なはず。
 でも、それをあえてやらないからこそ、この本は面白い。
 著者は、あえて「こちら側」から芸人さんたちをみて、憧れつづけている。


 読んでいて、思わず目頭が熱くなってしまう場面が、いくつもありました。
 なかでも、レイザーラモンの回は、すごく印象的で。
 HGがハードゲイのネタで大ブレイクし、『ハッスル』でも大活躍。何の売りもないRGは、HGにひたすら「便乗」してきて、「なんかウザいなこの人……」と僕も思っていました(すみません)。実際に、HGとRGの関係も、かなりギクシャクしていたようなのです。


 でも、RGは常に「本気」でした。

 レイザーラモンが初めて「コンビ」ではなく「タッグ」を組んだのは2007年4月の「ハッスル22」でのことだった。コンビ仲はまだギクシャクしていたが、HGもRGの「ハッスル」での奮闘を認め始めていたころだった。
 ふたりはタッグチーム「レイザーラモン」として天龍源一郎川田利明組と対峙した。レスラーとしてレイザーラモンを認めていたふたりは容赦ない攻撃を浴びせていった。喉元へのチョップ、顔面へのキック、グーパンチ……。激しい攻撃に遂に力尽き大の字になったHGに、試合を決めようとピンフォールの体勢に入る天龍。相方のピンチに必死にカットに入ったRG。ヘタレキャラをかなぐり捨て、鬼の形相で天龍に張り手をはなつ。それで火がついた天龍は馬乗りになってRGの顔面にグーパンチを連打していった。血まみれになったRGはそれでも天龍に立ち向かっていった。
 かつて文字どおりのブーイングで罵倒の嵐を浴びていたRG。それがいつしか歓声と同義のブーイングに変わった。そしてこの日、観客から受けていたのは紛うことなき歓声だった。芸人の誇りをかけて戦い抜いたRGたちに贈られたのは賞賛と感動の嵐だった。

 いくらレイザーラモンの二人が学生プロレスでならしていたからといって、超一流レスラーに向かっていくのは怖いに決まっているし、一つ間違えば、命にかかわる。
 それでも、RGは戦い抜いた。
 出川哲朗さんの項でも、出川さんの「リアクション芸人として、身体を張って死ぬのであれば、それはそれでしょうがない」という覚悟が紹介されています。
 ほんと、バカだよなあ、と思う。
 本当に死んじゃったら、どうするんだ?
 でも、この人たちの無謀な挑戦って、どうしてこんなにカッコいいんだろう。


 『THE MAZAI 2013』の本戦に、レイザーラモンは漫才師として出場しました。
 僕は「ふーん、レイザーラモンの漫才って、珍しいな」と思い、トップバッターの彼らのネタを「あんまり面白くないな」と聞き流しました。
 でも、あの場に行き着くまでの二人の道のりをこの本で知ると、「あの場で二人で漫才をやること」そのものに大きな意味があったのですね。
 

 あまり知りすぎると、「背景」ばかり気になってしまい、素直に笑えなくなってしまうのではないか、と不安になってしまうくらい、芸人さんたちの「生きざま」に魅了される本でした。
 涙腺が弱い人は、人前で読まないほうが良いかもしれません。



この本の僕の感想はこちらです。

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