琥珀色の戯言

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非選抜アイドル ☆☆☆☆


非選抜アイドル (小学館101新書)

非選抜アイドル (小学館101新書)

内容説明
スポットライトは私の隣の席に当たった!


いまや国民的アイドルグループとなったAKB48。その200人を超す大所帯の中で、20人ほどの「選抜」メンバーに入るのはたやすいことではない。比較的古参のメンバーでありながら、過去3度の「総選挙」で「非選抜」となった仲谷明香が、そのポジションをなぜ「おもしろい」と思えるようになったのか・・・。
画面やステージからは伺い知ることのない、アイドルとしての過酷な日々と、逆境をバネに替えてしなやかに立ち上がっていく課程を、瑞々しい筆致で綴る。
もちろん「選抜」はすばらしい、でも「非選抜」の力と誇りもわすれてはならないーー。
すべての「非選抜」に生きる人たちへ元気を送る応援メッセージ。


AKB48といえば、前田敦子さん、大島優子さん、あと柏木由紀さんくらいしか識別できない僕は、もちろんこの新書の著者の仲谷明香さんのことを知りませんでした。

 ここで、簡単に自己紹介をしよう。私、仲谷明香は、1991年10月15日生まれの20歳。AKB48に所属する、現役のアイドルである AKB48では、チームAに所属している。入団したのは2007年なので(期でいうと第三期に当たる)、もう5年目の、比較的古参のメンバーだ。だから、2009年から始まったこの総選挙には、第一回から参加しており、この年でもう三度目になるのだった。
 そして私は、前二回の総選挙において、まだ一度も順位をつけられたことがなかった。
 AKB48の総選挙は、投票結果1位から40位までのメンバーが、票数とともに発表される。それ以下のメンバーは、順位も票数も発表されない。だから、41位以下のメンバーは、選抜されない「非選抜メンバー」ということになるのだけれど、これまで私は、二年連続してその非選抜メンバーとなっていた。
 但し、AKB48の場合は二百人を超す大所帯なので、数でいうと実は非選抜メンバーの方が多い。一般的なイメージだと、AKB48というとメディアなどへの露出が多い「選抜組」を指すように思われているけれど、その裏には、あまりメディアに出ることもない、名前や顔も知られていない「非選抜組」が、その何倍も控えているのだ。
 そうして私も、その一人だった。AKB48に入ってもう5年が経とうとしているけれど、一度もそのポジションから抜け出せたことがなかった。私はずっと、スポットライトの当たらない場所にいた。スポットライトの当たらない非選抜メンバーとしてスポットライトの当たる選抜メンバーの後ろにずっと控えていたのである。


AKB48という「国民的人気アイドルグループ」のなかにいて、ほとんどメディアに露出することのない「非選抜メンバー」って、どんな気持ちなんだろうなあ、という興味で、この新書を読んでみたのです。
ちなみに、仲谷さんは、あの前田敦子さんの中学校時代の同級生。
かたや「AKB48の絶対的エース」、かたや「5年間ずっと非選抜メンバー」。
ほんとうに、仲谷さん、よくこんな状況で続けてきたなあ、と思います。
この新書では、仲谷さんがAKB48に入った「事情」も語られており、(経済的なものも含めて)仕方のない面もあったのでしょうが、それにしても、前田さんと自分を比較せずにはいられないだろうし、つらかったのではないかなあ、と。


仲谷さんは、ある時期から、AKB48での「アイドルとして人気を得ること」に自分は向いていない、と認めてしまいます。
そりゃあ、「人気投票」で、ランク外が2年続けば、よほどのきっかけがなければ、ブレイクするのは難しいことはわかりますよね。
そもそも、AKBの場合は「人気投票で上位であること」=「メディアでの露出が増えること」であり、下位になってしまうと、アピールするチャンスが減るわけですし。


そんな状況で、仲谷さんは「声優になる」という自分の夢を実現するためのステップとして、「AKBで生き残るために、自分は何ができるのか?」を考えます。

 私は、自分で言うのはなんだけれど、歌やダンスは、それなりにこなすことができる。それは、アイドルとしての人気が欠けている分、そこだけは負けるわけにはいかないと、一生懸命努力してきた結果でもある。もちろん、人気を得るための努力ができればそれに越したことはないのだが、「それはできない」と開き直ってしまった以上は、これまで以上に公演で頑張らなければいけない。
 そうして私は、他のメンバーの歌や振りを覚え、代役として出られる準備もいつでも整えておくことで、それを果たそうとしたのである。
 すると、そうした取り組みや考え方が評価されたのか、次第に「代役といえば仲谷」みたいな雰囲気がスタッフの方々の間で定着し、やがて自分から申し出なくても、ちょくちょく声をかけてもらえるようになった。しかも、初めは自分のチームだけだったのが、次第に他のチームでも、欠員が出ると代役として使ってもらえるようになった。
 そうなったのにあ、皮肉な話だが、私が非選抜メンバーだったということが幸いした。選抜メンバーではないから、他の仕事があまり入ってこないため、練習する時間は十分にあった。また、急な呼び出しにもすぐに対応できたのである。呼べばいつでも来てくれる、便利な存在であったのだ。
 言うならば、私はAKB48の「便利屋」になったわけだが、私は、自分でもそれを気に入っていた。というのも、代役として公演に出ると、ほとんどの場合、お客さんに喜んでもらえたからだ。
 もちろん、そのメンバー目当てで来たお客さんにはがっかりされたかもしれないが、しかしほとんどのお客さんは、いつもの公演とは違うイレギュラーなできごとを歓迎してくれるので、大きな声援や拍手を送ってくれた。
 それに、スタッフの方々にとっては公演に穴を空けずにすむ便利な存在になり、他のメンバーにとっても刺激になると歓迎されるので、いいこと尽くめなのだ。
 また私としても、そうやって他のメンバーの代役を務めることによって、新しいテクニックを覚えたり、あるいは新たなやり方に気づいたりすることで、自分自身のレベルアップにもつながった。

仲谷さんにとっての生き残り戦略は、「とにかく劇場での公演で頑張ること」「誰か欠員ができたときにフォローできる、便利屋になること」だったのです。

 人が競争をするのは、勝者に独特の輝きや価値をもたらすためだと思う。もちろん平等もだいじだけれど、競争によって勝者や敗者が生まれることも、人が成長したり、学んだりするうえでは、同じようにだいじなことだ。そして、その競争に打ち勝った勝者に独特の輝きや価値がもたらされるというのは、紛れもない事実だと思う。
 だから、アイドルが輝きや価値を持つためには、競争に打ち勝つことが不可欠なのだけれど、そこに欠かせないのが、その勝者に敗れる敗者という役割なのである。正々堂々と戦って、華々しく散っていく、競争相手が必要となるのだ。
 だから敗者は、不要になったり、立場を追われる存在ではないのである。敗者にも、ちゃんとした居場所があるのだ。

仲谷さんは、敗者のなかでも、「競争を放棄せず、正々堂々と戦って、敗れた時には華々しく散って、勝者を引き立たせることができる敗者」には存在価値がある、とも語っています。



僕は、この新書を読みながら、2年前に亡くなった、ある人のことを思い出していました。
その人の名前は、木村拓也


参考リンク:キムタク、ありがとう。(琥珀色の戯言)



まだ20歳くらいの仲谷さんが、こんな「処世術」を身につけていったのは、読んでいて、「すごい」と思うのと同時に、ちょっと寂しい気もするのです。
でも、仲谷さんは、AKB48のメンバーとしてはブレイクできなくても、声優としての仕事を得たり、こうして、本を書いたりして、着実に「目標」に近づいています。


AKB48のすごいところって、大所帯のなかでの競争を見せることによって、「敗者のドラマ」さえも内部に取り込めたことなのかもしれません。
これまでのアイドルグループでは、メンバーの人気に差があっても、ここまで残酷に「選抜」「非選抜」が区別されることはありませんでした。
その「非選抜という存在」も、隠されるのではなく、ブログなどによって、ときに可視化され、世の中の「非選抜な人たち」の共感を得ています。


この新書を読んでいると、「非選抜」=「選抜されなかった」と落ち込むのではなく、自分が「非選抜という生き方を選んだのだ」と考えたほうが良いのではないか、そんな気がしてきます。
世の中、「非選抜メンバー」のほうが、はるかに多いわけですし。

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