- 作者: 下川裕治
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2011/10/28
- メディア: 文庫
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内容(「BOOK」データベースより)
鉄道でユーラシア大陸を横断できないだろうか。そんな案が頭に浮かんだのが、災難の発端だった。シベリアの大地をのろのろ走るロシアの車両に始まり、切符の購入も死に物狂いの中国、中央アジアの炎熱列車、紛争の地コーカサスでは爆弾テロで停車し、Uターン。フランスではストライキに巻き込まれ…。様々な困難を乗り越えながら、最西端ポルトガルを目指し西へ向かう鉄道紀行。
「なんでこんなことやってんだろうなあ……」なんてボヤキつつ、かなりキツそうな格安旅行を続けている下川さん。
そんなにイヤなら、やめればいいのに……なんて思っていたのですが、下川さんの文字通り「地に足がついた」旅行記は、けっこう癖になるんですよね。
とくに今回の「ユーラシア大陸を鉄道で横断」という企画は、サハリンからポルトガルまで、極力鉄道を利用し、19か国を通過していくという旅なのですが、それぞれの国の「いま」が伝わってきて、すごく楽しめました。
なかでも印象に残ったのが中国のエピソードで、僕のイメージでは、「中国はまだまだ発展途上の田舎はモノがあまり無いようなところ」だったのですが、ロシアから中国に入ったときのこんな描写がありました。
物資が溢れ返っていた。ロシアの街を眺めてきた身にしたら、その物量に目が眩みそうになる。こんなに多くの看板を目にしたのは、東京以来である。店に並ぶ品々は、中国製ばかりで、ロシアはその一画を占めることもできない雰囲気だった。
国境の街というものは、少なからず隣国の影響を受けるものである。駅から続く道を思い返してみる。そう、ひとつだけ、ロシアがあった。ロシア正教会風の教会。それだけである。あとは中国一色なのだ。中国という国の、とんでもないエネルギーが、国境ぎりぎりまで迫っているのだ。かつてはこの街にあったはずのロシアは、もののみごとに国境の向こうに追いやられていた。
この旅のなかで、良くも悪くも「中国」という国はすごくインパクトがありました。
ほんとうに「勢い」がある。
昔ほど役人が威張っていることもなく、「サービス精神」めいたものが芽生えてきている。
でも、なかなか順番待ちの行列をつくってくれず、タクシーや限られた切符は、まさに「争奪戦」。
それにしても、これを読んでみると、貨物輸送はさておき、人間にとっての「鉄道の旅」は、すごく大変であり、ある意味贅沢なものなのだな、と考えてしまいます。
国際列車にはほとんど人が乗っておらず、ダイヤは乱れまくり。
そして、地元の人たちは「鉄道というのは、そういうものだ」と最初から諦め顔。
いやほんと、日本の鉄道というのは「異質」なのだなあ、と。
「鉄道での国境越えの手続き」の話も、僕自身にそういう経験がないだけに、興味深く読めました。
国境越えのときは、列車が閉鎖されて係員が乗り込んでくるのですが、アジアの大部分の国では、トイレにも鍵がかけられ、使えなくなるそうです。
しかもその手続きには2時間くらいかかってしまう。
それって、本当につらそうだ……
こればっかりは、「ガマンの限界」というものもありますし。
下川さんたちは、旧ソ連のダゲスタン共和国というところで、前の列車が爆破テロを受けたあとの線路を通ることになりました。
昨日テロが起こった路線と、平然と走る列車と、それに乗り込む乗客たち。
そのとき、こんな回想が出てきます。
かつて、モスクワとアゼルバイジャンのバクーを結ぶ列車は、チェチェン共和国を通っていた。しかし、列車がチェチェン共和国に入ると、武装したチェチェン独立派の兵士が乗り込んできた。彼らは乗客ひとつ、ひとりから50ドルを徴収していった。一方的であるにせよ、独立を宣言したチェチェン独立派は、それは正当な通行料だと主張した。しかし独立を認めないロシアにしたら強奪である。
そこでロシアは、チェチェン共和国を通らない別の路線の整備をはじめた。
こんな、『銀河鉄道999』みたいな話が、まだまだ世界にはみられているのです。
僕はなんとなく「鉄道なら、時間はかかるけど安全」という意識があったのですが、世界基準では、それは必ずしも真ではないのです。
僕も海外の列車旅に憧れていたのですが、これを読むと、「そりゃみんな飛行機に乗るし、旅行会社にチケットの手配を頼むよなあ」と思わずにはいられませんでした。
でも、この本には、たしかに「鉄道の旅でしか感じられない、各国の地に足がついた『リアル』がある」と感じたのです。