Kindle版もあります。
国益を懸けた交渉、政策決定の裏にはつねにインテリジェンス(諜報・情報活動)がある。情報と報道のプロフェッショナルはどの点に着目して収集と分析、判断を行なっているのか。ロシアとの北方領土交渉の真相、新型コロナ禍を機に広がる中国の覇権主義への対処。アメリカの分断と混乱、イギリスのブレグジットとEUの展望。日本を守り、強くするための教育。いまこそ世界史の蓄積のなかに英知を求め、21世紀を生き抜くための賢慮(Wisdom)を導き出さなければならない。歴史に鑑みて時事を照らし、教養を実務に生かす極意を二人の知者が明らかにする。
元外務省勤務で、国際情報局で主任分析官も務めていた佐藤優さんと、産経新聞社でモスクワ支局長だった岡部伸さん。ロシア(ソ連)で情報分析を行ったいた、という共通点をもつ二人の対談本です。
岡部さんは、佐藤さんとの交流について、こんな話をされています。
岡部伸:私が佐藤さんに初めてお会いしたのは、1996年12月、産経新聞のモスクワ支局長としてロシアに赴任する直前でした。いわゆるロシアンスクール(ロシア語を研修し、対ロ交渉に従事する外交官。ロシアの専門家の意)ではなかった私は、上司の指示で佐藤さんに教えを乞いにいったのです。
モスクワ赴任中、とりわけ鮮烈に覚えているのは、1997年4月、サンクトペテルブルクでホテルに宿泊した際に遭った出来事です。ルームサービスでボルシチを食べていたら、いつの間にか靴と服を着たまま寝てしまった。翌朝、目覚めてから驚き、パスポートは残っているのに、財布を調べるとドル札だけが抜かれている。ドアにはチェーンロックをかけていたはずで、何が起きたのかと思い、佐藤さんがモスクワに来られた折に相談しました。
さまざまな情報をもとに調べてもらったところ、FSB(ロシア連邦保安庁、旧KGB)からの私に対する警告だということでした。ボルシチに睡眠薬を混入し、コネクティングルームから室内に侵入して犯行に及んだらしい。思い返してみると、たしかにいい記事を書こうと、何度か取材源に近づきすぎた節があります。あるいは当時、私は先輩の仕事を引き継ぐかたちで「『日露』新潮流 X氏は語る」という企画を産経新聞で担当していました。北方領土交渉に深く関わる本音を日ロ双方の当事者に覆面形式で語らせる内容で、これもロシア側を刺激したかもしれない。特派員とはいかなる存在であるべきか、自分の覚悟を問われている気がしました。
僕はこれを読んで、「本当かよ……」と思ったんですよね。こんなスパイ小説のワンシーンみたいな出来事が起こるものなのか。
実際は、僕のそういう感覚こそが「平和ボケ」なのかもしれませんが。
というか、スパイ小説にも元ネタというか、実際に行われていることを参考にしているのだなあ、と。
日本では、記者やマスメディアのスタッフは「権力を持っている人たち」というイメージが強いのだけれど、文字通りの「命がけの取材活動」をしなければならない国も少なからずある(あった)のです。
佐藤優:サンクトペテルブルクのホテルで岡部さんが睡眠薬を盛られたのは、何かFSBの気に障ることがあったからでしょう。
あの人たちも仕事ですから、無駄なことはしない。物取りを装うわかりやすいかたちで警告を与えたのは、おそらく「会ってはいけない人間に会っている」「とってはいけない情報を入手した」「立ち入り禁止の場所に入った」という三つのいずれかに抵触したからでしょう。もし岡部さんが彼らの警告を無視していれば、殺されずとも殴られるなど暴力を受けるか、国外追放になっていたと思われます。
日本の外交の表も裏も知っている二人の話を読むと、とりあえず、現在の日本は「アメリカ側」の一員として、対中国、対ロシアを意識していることがわかります。
もちろん、あえて事を構えようというわけではないでしょうが、中国が「経済大国」としてアメリカと覇権を争う姿勢をみせてきているなかで、日本はどう振る舞うべきなのか。
僕などは、ゲームのやりすぎなのか、「それなら、中国につくという手もあるのでは……」なんて考えてしまうのですが、これまでの近現代の歴史的な経緯と国の政治体制の違いは大きいですよね。
欧米、とくにヨーロッパ・EUは、圏内での経済格差や移民問題で揺れているなかでの、新型コロナウイルスの感染拡大で、かつての理想が失われてきています。
佐藤:EU共通債(新型コロナウイルスで疲弊したイタリアやスペインの経済を支援する復興資金を調達するための債券)で恩恵を受けるイタリアやスペインがEUの「負け組」だとすれば、反対に回ったオーストリアやオランダ、デンマーク、スウェーデン、途中から賛成に転じたドイツは「勝ち組」です。
イタリアからの医療支援の要請を勝ち組のEU諸国が拒んだ事実はあまりにも重い。当時、各国の医療施設には受け入れ床数に余裕があったといいます。にもかかわらず、どの国も国境を閉ざすだけで、ヨーロッパの地域的連帯は希薄だった。EUの理念が死んだ瞬間といっても過言ではないでしょう。
苦しむイタリアに手を差し伸べたのは、EUではなく中国です。医療チームや物資を送る中国の「マスク外交」の恩恵をもっとも受けたのがイタリアでした。しかし、外交の世界に見返りのない支援はない。マスク数百万枚でイタリア国民の中国への好感度を増せるなら、安いものです。人道支援を名目とした外交戦略の一環と見て間違いない。
EUの負け組でありイタリアは、新型コロナ以前からすでに中国外交の標的でした。シルクロード経済圏構想(一帯一路)にG7(主要七か国)で最初に加わった国がイタリアです。その親中ぶりは、EU諸国のなかでも異質なものがあります。
たしかに歴史的に見れば、古代のシルクロードはヴェネツィアの商人マルコ・ポーロが旅した『東方見聞録』のルートに当たります。半島国家イタリアに早くから中国との海上交流があったのは事実で、中国は歴史も利用してイタリアへの食い込みに成功したといえます。
新型コロナによる危機によって、EUの理想は失われ、加盟国それぞれのエゴイズムが顕わになったのです。
そこに深く入り込んできたのが、中国でした。
誰だって、自分が食べ物に困っているときには、あるいは、困ることが予想される場合には、他人に分けてあげる余裕はありません。
でも、「困っているときには、お互いに助け合うという約束」をしていたはずなんですよね。約束をした時点では、本当に困ったときには、そうするつもりだったのです。
理想とか良心というのは、現実の危機の前には、あまりにも弱い。
中国の思惑はさておき、困ったときに助けてもらった恩、見捨てられた恨みというのは、ずっと忘れられないでしょう。
また、岡部さんは、アメリカの「分断」について語っています。
岡部:民主党が進める「アイデンティティ政治」が社会に与える影響の深刻さについては、政治学者のフランシス・フクヤマ氏が著書『アイデンティティ』(山田文訳、朝日新聞出版)で強調しています。
財源不足の問題から福祉国家の政策が行き詰まり、存在意義を失った左派は少数派の権利を重んじるアイデンティティ政治を唱えはじめた。その反動として生じたのが「トランプ現象」であり、アメリカ国民の統一原理としてナショナル・アイデンティティの再構築を訴える人びとです。
アイデンティティ政治の特徴の一つは、極端なまでの攻撃性です。野党時代の民主党の攻撃性は、根拠のない「ウクライナ疑惑」(上院で否決)でトランプ大統領を弾劾した点に象徴されるでしょう。
ウクライナのゼレンスキー大統領に軍事的援助を施す見返りにバイデン氏に関する不利な情報を引き出したという疑惑ですが、結局、証拠らしいものは何一つ出てこなかった。にもかかわらず、アメリカの主要メディアは民主党と一緒に連日、トランプ大統領を強烈に非難しました。
さらに呆れるのは、あれだけウクライナ疑惑を騒ぎ立てたCNNなどの主要メディアが、バイデン氏と彼の次男が中国企業から利益供与を得たとされる「中国疑惑」については口をつぐんで報じなかったことです。
2020年の大統領選で、アメリカはまさに真っ二つに割れたといえます。共和党と民主党の戦いの凄まじさは、バイデン氏が史上最高の8000万票超を獲得した一方で、トランプ氏も史上それに次ぐ7380票以上を獲得したことです。
民主党と共和党は、お互いに、「相手の疑惑は徹底的に糾弾するけれど、自分の疑惑についてはスルー」していたわけです。
少数派の権利を重んじる「アイデンティティ政治」が先鋭化してくると、多数派の支持を失っていきがちです。
トランプ現象は、まさに「多数派であるという理由で置き去りにされた人々の反撃」でもありました。大統領選の結果、バイデン大統領が誕生したわけですが、在任中にあれだけの問題行動を繰り返したトランプ前大統領も「アメリカのだいたい半分」の支持を得続けていたのは、すごいことではありますよね。新型コロナの流行がなく、アメリカ経済が好調であり続ければ、トランプ大統領が再選された可能性が高いともいわれています。
「分断」のなかで、自分たちの身をどう守っていくべきか。
人間ひとりにできることは限られてはいるけれど、ひとりひとりの意思の積み重ねが「民意」になることも確かなんですよね。