琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

【読書感想】謎だらけの日本語 ☆☆☆☆



Kindle版もあります。

内容紹介
「ご乗車できません」は西日本の方言、隅田川と墨田区で表記が違う理由、奄美諸島奄美群島に変わった背景―。新語から時代と共に変化する意味まで、日本語に隠されたドラマを興味深く解説する得する言葉教室。


国語学者では書けない生きた日本語の事件を記者が解説。政界、スポーツ界、経済用語など類書にはないトピックスが満載の一冊。


日頃何気なく使っている「言葉」について、さまざまな疑問を丹念に拾い上げたコラム集。
日経新聞の記者たちが書いているので、ある言葉の「語源」や「学術的な意味」に限定されず、「社会や新聞の記事のなかで、実際にどんなふうに使われてきたか」が検証されているのが特長です。


これを読むと、「昔からあったと思っていた言葉が、けっこう最近つくられたもの」であったり、「誤用だと言われ、そう思いこんでいたものが、実際は昔からあった用法だった」なんていうケースもけっこうあるのです。
「言葉」っていうのは、本当に難しくて、面白い。

「全然いい」といった言い方を誤りだとする人は少なくないでしょう。一般に「『全然』は本来否定を伴うべき副詞である」という言語規範意識がありますが、研究者の間ではこれが国語史上の”迷信”であることはよく知られている事実です。迷信がいつごろから広まり、なぜいまだに信じられているのか。こうした疑問の解明に挑む最新日本語研究を紹介します。
 明治から昭和の戦前にかけて、「全然」は否定にも肯定にも用いられてきたはずですが、日本語の誤用を扱った書籍などでは「全然+肯定」を定番の間違いとして取り上げています。国語辞典で「後に打ち消しや否定的表現を伴って」などと説明されていることが影響しているのか、必ず否定を伴うべき語であるようなイメージが根強くあるようです。
 

(中略。2011年10月に高知で行われた「日本語学会」の国立国語研究所の研究班の発表であることを説明して)


 研究班では、「最近”全然”が正しく使われていない」といった趣旨の記事が昭和28〜29年(1953〜54年)にかけて学術誌「言語生活」(筑摩書房)に集中的に見られることから、「本来否定を伴う」という規範意識が昭和20年代後半に急速に広がったのではないかと考えています。

 なんと、「『全然いい』誤用説」は、半世紀以上前からの「定番」だったのです。
 実際は、「明治・大正期には『すべて』『すっかり』の意味で肯定表現にも用いられていたのが、次第に下に打ち消しを伴う用法が強く意識されるようになった」そうで、歴史をたどれば、肯定に使っても「全然いい」ようです。
 

 最近の若者は、「全然」の使い方も知らない、なんて思っていた自分が恥ずかしい。
 それにしても、「誤用だという誤解」が登場してから半世紀以上もそれが言われつづけているというのは、なんだか不思議な気がします。
 「全然のあとは否定形」で固まってしまうか、「誤用ではないという認識が広まる」かのどちらかになりそうなものなのですが。


「大統領」の語源については、こう説明されています。

「President」が「大統領」となったきっかけをつくったのがペリーです。1853年(嘉永6年)、ペリーはフィルモア大統領の親書を携えて浦賀へ来航しました。このとき、幕府の役人たちは「President」をどう訳すかで頭を抱えました。当時、日本は鎖国中で海外からの情報が制限されており、米国の政治制度についてもあまり詳しくなかったからです。大統領は選挙によって選ばれますが、日本には選挙で民主的に選ばれた権力者がいなかったこともあり、ぴったり当てはまる日本語が見つかりませんでした。
 いろいろ議論した結果、President=国王という案が出ましたが、ペリーとの交渉役を務めた日本側全権大使の林大学頭が待ったをかけます。林大学頭はフィルモア大統領の経歴については十分調べていたようで、「フィルモアは町人の出であるから王位で呼んではならぬ」などと主張しました。
 これで議論は振り出しに戻りました。
 今度は町人の中で偉いのは誰かということになりました。頭、親方、旦那、元締、棟梁……。多くの候補の中から最終的に残ったのが「棟梁」で、これが「大統領」の語源となったという説が今のところ有力なようです。「棟梁」とは「大工のかしら」のことで、家を一軒建てることができるから偉い、という意味で尊敬される身分でした。
 もっとも米国のトップに対して「大工のかしら」とそのまま呼ぶのはどうかということで、「棟梁」を「統領」に置き換え、さらに日本の将軍と釣り合うように「大」の文字を冠しました。こうして「大統領」という呼び方が生まれたようです。ちなみに、「統領」は「統べおさめること。また、その人。統制者。かしら。首領」(「広辞苑」第6版)を表す言葉で、「棟梁」「頭領」も同様の意味を持っています。
「大工の頭領」語源説については、異論もあります。発案者はペリーの通訳だったというのが代表的な例です。

 いま、当たり前のものとして使っている言葉も、それが広く認知されるまでには、さまざまなドラマがあったのです。
「President」も、最初は「国王」とか「監督」などと表記された例もあり、明治半ばになって、ようやく「大統領」が定着したそうです。
 これを読んでいると、いまからたった150年くらい前のことなのに、こういう経緯って、形としてはっきりとは残っていないものなのだなあ、と意外でもありますね。


 その他にも「凸」の書き順の話とか(若い人のなかには、これを一筆書きで書いてしまう人もいるそうです)、「ご乗車できません」は最近まで西日本でしか使われていなかった、とか(東京で使われるようになったのは、近年のことだそうです)、これまで知らなかった言葉に関するエピソードがたくさん。


 ネットではバッシングされがちな大手メディアですが、この新書を読んでいると、「ここまで言葉の細かい用法に気をつけながら書いているのか」と思いますし、長年続いているひとつの新聞社の記事が、ずっと蓄積され、データベース化され、検索できるようになっていることの意義も痛感するんですよね。


 最後に、「独活」って、どういう意味だか、ご存知ですか?
 この新書のなかの「就活」や「婚活」という言葉を紹介する項で、この言葉が出てきたのです。
 

 あれこれ調べているうちに、ふと気になる言葉を見つけました。「独活」。独身でなくなるためなら婚活だし、独身になるためなら離活のはず。正解は辞書のなかにありました。独活は「おひとりさま」のように、積極的に生涯、独身を通すことではありません。何のことはない、山菜の一種「ウド」を漢字書きしたもの。婚活など結婚にまつわる「○○活」があふれているせいで、「独」をてっきり独身のことだと思い込んでしまったのが間違いのもとでした。

 ほんと、「言葉」っていうのは、厄介だし、面白いものですね。

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