- 作者: 村田晃嗣
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2019/02/20
- メディア: 新書
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内容紹介
1915年に公開された『国民の創生』を皮切りに、ハリウッド映画はアメリカ大統領を描き続けてきた。架空の大統領には人々の不満や希望が投影される一方、現実の大統領たちはF・D・ローズヴェルトからケネディ、レーガンと代を重ねるにつれ、ハリウッド流のイメージ戦略を採用するようになる。大統領を軸に政治と映画の相互作用を読み解き、トランプ大統領に揺れるアメリカの本質に迫る。
レーガン元アメリカ大統領がハリウッドスター出身だったり、アーノルド・シュワルツェネッガーさんがカリフォルニア州の知事になったり、トランプ大統領とハリウッドセレブたちが罵り合ったりと、アメリカの政治と映画界には、愛憎入り乱れた、深いつながりがあるのです。
歴史が浅く、広い国土をもつアメリカという国では、大統領になり、国民の支持を集めて権力を維持していくために「メディア戦略」が、歴史上大きな意味を持ってきました。
1932年に就任した、民主党のフランクリン・D・ローズヴェルト大統領について、著者はこう述べています。
F・D・ローズヴェルトは魅力的な笑みを湛え、黄金の声で「われわれが恐れるべきものはただ一つ、恐怖心だけである」と国民に安心を呼びかけた。そして、彼は社会主義とさえ思われるほど大胆なニューディール政策を次々に打ち出して、アメリカ経済を復興させようとした。そのために、大統領はラジオから国民にそれらの政策の必要性を訴えた。ラジオが家庭の暖炉の上に置かれていることが多いため、「炉辺談話」と呼ばれる。ラジオを使って大統領が国民に政策を語るなど、19世紀の教育を受けたエリート層には、デマゴギー以外の何物でもなかった。現代大統領制を確立したのは、このローズヴェルトである。
ラジオで国民に政策を訴えることが「デマゴギー」だった時代もあったんですね。
アメリカという国では、リンカーンやケネディをはじめとする実際の大統領の物語がたくさん作られており、SF映画にも架空の大統領が大勢登場してきます。
アメリカが映画産業の総本山とはいえ、これほど多くの大統領が映画に出てくる国は、他にはないのです。
そして、映画スター出身のレーガン大統領もいました。
レーガン政権下では、数々のセレブたちがホワイトハウスを訪れ、大統領の人気を支え、彼の政策を支持した。もとより、セレブたちも大統領との「友情」を大いに喧伝し利用した。友人ばかりではない。スーパーマン役で人気の俳優クリストファー・リーヴは、レーガンの金持ち優遇の政治には批判的であった。ある雑誌のインタビューでは、レーガン大統領は「貧しい人々をレイプしている」とすら語った。その上、この「スーパーマン」はアメリカの一方的核軍縮を提唱していた。レーガンもそれを承知で、このスターをホワイトハウスに招待した。「私は十分に楽観的だから、彼が考えを改めたかもしれないと思う」と、大統領は日記に記している。「スーパーマン」は自らの政治的見解を変えなかったが、大統領を「魅力的」と語るようにはなった。「レーガンを心底嫌っている者なら、彼に魅了されるには10分はかかるだろう」と、キャスパー・ワインバーガー国務長官は記している。
したたかなのは、大統領だけではなかった。大統領次席補佐官マイケル・ディーヴァーは、「魔術師マイク」(マジック・アイク)、「映像の伝道師」(ビガー・オブ・ビジュアルズ)と呼ばれていた。レーガンが大統領執務室からテレビ演説する際には、窓のカーテンを開け放ち、外の庭から窓に照明を当てることを、この魔術師は考案した。自然光のような照明は、高齢の大統領を若々しく見せることができるからである。この照明装置には2万ドルが投じられた。B級映画のスタジオとは異なり、ホワイトハウスの予算は潤沢であった。こうして、ホワイトハウスは「東のハリウッド」になった。それは有権者を視聴者にしてしまうことでもあった。
また、大統領の側近たちは、レーガンの行動が夜のニュースで1、2分のスポットに収まるようデザインすること日々心掛けていた。いわば政治的ハイ・コンセプトである。レーガンはカーターほど政策の中身に通じてはいなかったが、カメラを前にした存在感は前任者よりもはるかに大きかった。
政治家のキャラクターを有権者にどう見せるか、という「ホワイトハウスのハリウッド化」を確立したのがレーガン大統領だったのです。
そして、その手法は、アメリカのみならず、世界各国で応用されています。もちろん、日本でも。
大統領へのスポットライトの当てかたの工夫なんて、「鈴木その子かよ!」と言いたくなるのですが、なんのかんの言っても、「見栄えのよさ」とか「わかりやすさ」に多くの人は惹かれるものではあります。
この本を読んでいて面白かったのは、歴代の大統領が、ホワイトハウスでどんな映画を観ていたか、が紹介されていたことでした。
大統領ともなると、ちょっと近所の居酒屋で一杯、とか、ショッピングモールでお買い物、というわけにもいかず、ホワイトハウス内で可能な娯楽として、映画鑑賞が選ばれることが多いようです。
どんな映画を好むか、というのには、けっこう個性があらわれますよね。
この人がこんな映画を好きだったのか、というものもあれば、いかにも、というチョイスもありました。
実はケネディはそれほど映画好きではなく、よほど面白い作品でもなければ、上映から20~30分で席を立つのが常であったという。彼はさしてセレブに関心はなかったのである。彼自身が一番のセレブだったのだから。ケネディのお気に入りの映画は、ワイラー監督による洗練された『ローマの休日』(1953年)であったという。夫の在職中に、ジャクリーンは約70本の映画をホワイトハウスで鑑賞しており、その中には、アラン・レネ監督『去年マリエンバードで』(1961年)のように抽象的な作品も含まれていた。もちろん、夫は観ていない。
さて、『市民ケーン』である。「ザナドゥ―」という豪邸で、稀代の新聞王ケーンが孤独のうちに死ぬ。『バラのつぼみ』という言葉を残して。この言葉の謎を解くために、ある記者がケーンの人生をたどる。偶然に巨万の富を手にしたケーンは、自己顕示欲を膨らませながら、妻を失い愛人を失い友人を失っていく。この間、彼はキューバでの危機を利用して、自らの新聞の発行部数を増やそうとした。自社の特派員が戦争など起こりそうにないと報告すると、この新聞王は傲然と答えた。「君が退屈な散文を提供するように、私は戦争を提供するのだ!」。まさにフェイク・ニュースである。同様に、ケーンはその新聞を利用して世論を左右し、知事選挙に立候補さえした。だが、不倫が発覚して、彼は落選する。彼の新聞は二種類の見出しを予め用意していた。「ケーン当選」と「不正投票」である。結局、件の記者は「バラのつぼみ」の謎を解明できずに終わる。母とともにあってまだ幸せだった子供時代に、ケーンが愛用した雪ぞりの模様が「バラのつぼみ」だったのである。
孤独なデマゴーグによる大衆扇動の危険が、ここでも描かれている。しかも、そのデマゴーグが主人公なのである。実は、『市民ケーン』はトランプ大統領のお気に入りだという。
自らが「フェイクニュース」の震源地であるトランプ大統領は、どんな気持ちで、この映画を観ているのでしょうか。
ケーンに共感しているのか、自分はこんな失敗はしないぞ、と反面教師にしているのか。
いずれにしても、いまの時代は「一昔前のハリウッド映画よりも、映画的な世界」になっている、ということなのでしょう。
レーガン - いかにして「アメリカの偶像」となったか (中公新書)
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