琥珀色の戯言

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【読書感想】第150回芥川賞選評(抄録)



Kindle版もあります。
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今月号の「文藝春秋」には、受賞作となった小山田浩子さんの『穴』と芥川賞の選評が掲載されています。
恒例の選評の抄録です(各選考委員の敬称は略させていただきます)。

村上龍
 失われたものを象徴的に物語に織り込むのは近代文学以来の伝統だが、社会が複雑化している上に、失われるものが多岐にわたり、かつそのスピードが速いので、単純なリアリズムでモチーフを展開させるのは簡単ではない。現代の、たとえばブラック企業とよばれる会社で働く労働者と、『蟹工船』の労働者を比べてみるとわかりやすいだろう。今、資本家=悪、という視点では労働者の実像を描けない。現代の金融資本主義は救いがたい経済格差を生み出しているが、そのことを小説で暴くためには大変な知識と技術、それに考え抜かれた構造と方法論が必要になる。

川上弘美
さようなら、オレンジ」。サリマの物語と、メタな位置にあるジョーンズ先生への手紙部分が、補完しあいつつ進む前半は、緊張感に満ちていてとてもよかった。ところが、ジョーンズ先生への手紙の中で「おとぎ話は書かない」と決意したはずの物語のメタな作り手によって作られているサリマの物語が、最後はまるでハリウッド式おとぎ話のようなエピソードをたたみかけてくるのは、なぜなのだろう。「おとぎ話は書かない」、その文章がなければ、これほどがっかりはしなかったかもしれません。文章を書くことは、なんて難しいことなのでしょう。

小川洋子
さようなら、オレンジ」と「コルバントントリ」を推した。
 既視感がある、感動があらかじめ用意され、それに人物を当てはめている、アフリカからの難民に立ちはだかる真の壁を描いていない、サリマとサユリの境が時にあいまいになる、サユリによる日本語についての思考が弱い……等々、「さようなら、オレンジ」に向けられた否定的な意見に、私は何の反論もできなかった。すべてその通りだと納得した。それでも尚、私はサリマをいとおしく思うし、トラッキーのために鉄の階段に座り、物語を朗読したいと願う。


(中略)


 生物の中で唯一言語を持ってしまった人間は、見返りに何を失ったのか。進化の過程でただ一人、特異な方向を選んだ者は、繰り返し何度でも分かれ道に立ち返り、選択の意味を問い直す必要がある。作家はその失われた何かを求めるため、言葉で小説を書かなければならない。

宮本輝
 ポスト・モダンというものが日本の文学にも多大な影響を与えてから、すでに長い年月がたった。今回もその手法や様式によって書かれた候補作が多い。私も能力があれば、そういう技法で書いてみたいと思うときもあるが、いかんせん不得手である。
 かつては新しいとされた幻想、非日常、マジックリアリズム等々も、すでに類型化している。今回、そのての「新しさ」が類型化したとき、作家は何に依って立つのかをあらためて考えさせられた。

堀江敏幸
(『さようなら、オレンジ』について)


 虚構内の事実をもとにした虚構が手紙と交互に並べられ、両者をあわせた全体が作者の作品の作品となる入れ子構造のなか、ひと周りしてすでに何かを得た人の余裕が、新天地で言葉を一から学ぼうとしている友人の、緊張感に満ちているはずの現在と未来への眼差しをわずかに濁らせる。それがこの魅力的な作品に、手探りの感覚ではなく、出来あがった<定説>の匂いを呼び込む。

高樹のぶ子
(『さようなら、オレンジ』について)


 異国で表現しようとするとき、祖国と母語の桎梏の深さに初めて気がつく。母語での表現を選び取るまでの格闘は、日本国内においてさしたる意識もなく日本語で表現している私に、発見と覚醒と感動を与えてくれた。
 この小説は、母語での表現を決意するまでの苦闘の「説明」であり、同時に「結果」ともなっている。すぐれた作品を芥川賞に選ぶ事ができなくて残念だ。作者にとってだけでなく、日本語の文学賞である芥川賞がこの作品を取り込むことで、内側から相対化をはかるチャンスでもあったのに。

山田詠美
さようなら、オレンジ』。
 感動作、に見える。けれども、読み進める内に幾度となく既視感に襲われる。思い出されるのは、たとえば、リー・ダニエルズ監督が「プレシャス」という題名で映画化したサファイアの「プッシュ」。貧しいスラムで字も読めないまま育ったアフリカ系の少女が友や先生たちに導かれて、詩としての言葉を獲得して人前で発表するに至る。稚拙でありながら心揺さぶるという意味では、圧巻。そして、また、たとえば、これもまた映画化されたキャスリン・ストケット作の「ザ・ヘルプ」。ここでは、公民権運動前の時代に、過酷な労働条件を受け入れざるを得なかった黒人メイドたちのために、作家志望の若い白人女性が立ち上がる。私は、私の友達のことを書く、と決意して。どちらも文句なしの感動作だが、そういった感動作を想起させる感動作は、私にとっての感動作ではないのであった。

奥泉光
 小山田氏の作品(『穴』)は、共稼ぎの非正規労働から一時離れて、夫の実家のある、郊外とも田舎ともつかぬ土地で「専業主婦」として暮らしはじめた女性の、一夏の体験を描いた作品で、嫁姑の関係をはじめ、主人公がそこはかとなく体感する世界との違和がていねいに描かれる。と、こうまとめると、平凡な小説のようであるけれど、「不思議の国のアリス」を導きの糸にして呼び込まれる幻想の物語が小説世界を巧みに彩り、細部へ行き届いた筆の運びとあいまって深い印象を残す。さりげないけれど、高い言葉の技術がここにはあって、堅固でしなやかな構築物の手触りを残す。本作は選考委員の票を多く集めて受賞作となった。

島田雅彦
 岩城けいの『さようなら、オレンジ』はアフリカの某国からオーストラリアにやって来たサリマという女性を子どもを亡くし、また新たな子どもを持った日本人の母親が、母語ではない英語との格闘を通じて、何かを悟る話である。労働者としてのサリマの日常とサユリが恩師ジョーンズ先生に宛てて書いた手紙が交互に示されるが、この構成は他者の目を通じて、自らを客観視するための装置ではあろうけれども、両者はそっぽを向きあっていて、移民同士の複雑な人間関係、習慣や言語の違いからくる摩擦にまつわるエピソードは伝わって来ない。おそらく、言語にまつわる感動的な物語を書こうとする作者の意図が前面に出て、それに必要な細部を取捨選択したからではないか。


 150回芥川賞は、小山田浩子さんの『穴』が受賞。
 前評判が高かった、岩城けいさんの『さようなら、オレンジ』は受賞ならず。
 今回の選評を読んでいると、議論の中心となったのは、『さようなら、オレンジ』のほうだったのかもしれません。
 選考委員によって、評価がまっぷたつで、村上龍さんや山田詠美さんのように「これはダメ!」という人もいれば、高樹のぶ子さんは「すぐれた作品を芥川賞に選ぶ事ができなくて残念だ」とまで仰っている人もいる。
 これほど評価が分かれた作品は、珍しいかもしれません。
 山田詠美さんの「既視感」というか、すでに映画の世界などでは、同じようなテーマの作品があるではないか、という指摘には、「そうだよなあ」と思うのだけれども、じゃあ、受賞作の『穴』に、そんなにオリジナリティを感じるか?と問われると、僕はそんな気もしないわけで。
 作家たちには、「小説から、マンガや映画へ」という一方通行の矜持があるのかもしれませんが、現代に生きている読者にとっては「マンガや映画の『小説化』(というか「ノベライズ」っていうのは昔からありますよね)」もそんなに違和感はないと思うのです。
 

 芥川賞の選考基準というのは、その回ごとに、ちょっとずつ違っているようにみえます。
 ただ、個々の選考委員には、それぞれのポリシーみたいなものがあるのです。
 第139回、楊逸さんが『時が滲む朝』で受賞した際に、村上龍さんは、選評で、こう仰っています。

 おそらくわたしの杞憂に過ぎないのだろうが、『時が滲む朝』の受賞によって、たとえば国家の民主化とか、いろいろな意味で胡散臭い政治的・文化的背景を持つ「大きな物語」のほうが、どこにでもいる個人の内面や人間関係を描く「小さな物語」よりも文学的価値があるなどという、すでに何度も暴かれた嘘が、復活して欲しくないと思っている」

 僕は『穴』のような「小さな物語」よりも、『さようなら、オレンジ』のような「大きな物語」に惹かれてしまうのですが、村上龍さんは「大きな物語だからこそ、そこに隠れている小さな欺瞞みたいなものを無視できない人」あるいは「大きな物語をみると、心の警報が鳴る人」なのかな、と思いました。
 (僕の心の声)はてなブックマーカーみたい!


 いまは「感動作には、要注意」だという選考委員が多いのですよね、基本的には。
 石原慎太郎さんの全盛期に比べれば「文学史的な評価」はできる人ばかりだし、読み手としても実力者ぞろいだと思うのですが、その一方で、僕にとっては「うまいけど、面白いかなこれ……」という受賞作が増えてきているのです。
 なんだか似たような、それこそ、宮本輝さんが指摘されているような「類型的な新しさ」の作品ばかり。
 選考委員は「誠実に」選考していると思うんですよ。
 でも、今回の選評を読むと、『さようなら、オレンジ』で激論になったものの、反対派が強硬で結局受賞には至らず、そんなに強く推す人はいなかったけれども、とくに反対する人もいなかった『穴』に決まったんだろうな、とか、考えてしまうんですよね。
 そういうシステムだから、しょうがないんだけど、みんなが△、みたいな作品よりも、反対多数でも、選考委員のひとりに「選ぶことができなくて残念だ」とまで言わしめるような作品のほうを「読んでみたいな」とは思います。
 僕にとっては、読者と選考委員との温度差みたいなものが、より一層浮き彫りにされた、第150回芥川賞でした。


穴


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さようなら、オレンジ (単行本)

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さようなら、オレンジ

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