琥珀色の戯言

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【読書感想】第162回芥川賞選評(抄録)

文藝春秋2020年3月号

文藝春秋2020年3月号

  • 発売日: 2020/02/07
  • メディア: 雑誌


Kindle版もあります。


今月号の「文藝春秋」には、受賞作となった、古川真人さんの『背高泡立草』の全文と芥川賞の選評が掲載されています。


恒例の選評の抄録です(各選考委員の敬称は略させていただきます)。

山田詠美
『最高の任務』。主人公の女が作者の頭の中で組み立てられたまま、ぎくしゃくと油を差されないで動いている感じ。特に、家族と乗った列車の中で、粘着質の性的視線を送る中年男を翻弄して窮地に追いやる場面にはうんざり。これ、おとり捜査じゃん! なんて嫌な女だ。もっと小気味良くこらしめる術などいくらでもあるのに。<眉間にたまった涙感を息へ逃したら声が震えた>、<滲んだ涙を暮れの空に吸わせる>、<声帯が素敵にりぽん結びされている>……えーっと、これ、文学的な表現ってやつ? いちいち自意識過剰。

吉田修一
「背高泡立草」古川真人さん
 これまでの古川さんの作品同様、少し大げさに昭和臭を漂わせる作風には相変わらず違和感をおぼえるのですが、市井の一家のファミリーヒストリーと見せかけて、その土地自体を物語る手腕は高く評価したいと思いました。生茂る草を刈るごとにスケールの大きな土地の物語が見えてくるように、もう少し文章を刈り込んだ方がいいような気もしましたが、四度目の候補での受賞、心からお祝いしたいと思います。

小川洋子
最初の投票のあと、議論を重ねていく中で、『背高泡立草』が不思議な静けさをたたえて浮上してきた。場所はとある島の一点に留まりながら、大胆に時間をかき回すことで、海から逃れられない人生を背負わされた人々が立ち現れてくる。しかも彼らが直接結びつくわけではない。彼らをつないでいるのはただ、時間の流れだけである。

奥泉光
受賞作となった「背高泡立草」は、九州の島嶼を舞台にした連作風小説の一篇で、これまでも三作が候補になった。前回の選評で自分は「九州の方言をかたりの柱に据える独自の文体を追求しながら、ひとつの『物語』を連作風に書き継いでいて、その貫徹ぶりには感心させられる。実際、前作に比べても、(略)文章スタイルにはよりいっそうの『洗練』があると思え」と評しているが、今回、右の洗練についてはむしろ後退していると感じた。物語上の要請もあってか、方言の使用は減じて、読みやすくはなっている。しかし、そうなればなったで、全体が平板になった感がある。「読みにくさ」は魅力の源泉でもあったので、そこをむしろ徹底することで、壁を突破して欲しかったというのが正直なところだ。が、受賞は受賞なので、今後は賞に「煩わされる」ことなく、独自の道を歩んで欲しいと思います。

川上弘美
「幼な子の聖戦」。これは面白い小説だ。そう思いながら読みました。評価のまな板に載せなければならないと思いながら小説を読んでいる時には、とても珍しいことです。推しきれなかったのは、語り手が「ばか(以前も書きましたが、「ばか」は、わたしにとって褒め言葉です)」なはずなのに、要所要所で賢い人物になってしまっているように感じられてしまったからです。たぶん、作者の賢さが、語り手の中から顔をだしてしまっているのです。でも、近年こんなに熱気を感じる小説は、なかなかなかった。

宮本輝
高尾長良さんの「音に聞く」のペダンティックな小説には閉口した。ウィーンを舞台にして、人造人間たちが長々と観念劇を演じている。わたしには何の益もない空疎な観念劇である。

島田雅彦
選考会初っ端の投票結果から、今回は危うく受賞作なしになりそうだったが、賞は授けるためにあるのであって、酷薄な結果に陥らずに済んでよかった。国会とは違って、選考会で充分に議論が尽くされたことが奏功したのだと思う。

松浦寿輝
他方、古川真人「背高泡立草」には一般観念はなく、ただひたすら特異性の記述しかない。古川氏なりの企図や構想があり、方法の追求があるのかもしれないが、彼は結局はただわけもわからぬまま書いているように見える。そこから生まれる読みにくさは、肯定的にも否定的にも評価できるが、いずれにせよ中上健次の文章のような「花」があればと惜しむ気持ちは残る。

堀江敏幸
古川真人さんの「背高泡立草」は、九州の島を舞台に、吉川家の歴史と現在を語る大河小説の一部である。声は変わっていない。しかし過去と現在の二項対立ではない「傍らにいる」記憶をたどる言葉の密度が、これまでの作より薄いという印象を受けた。カヌーの挿話と捕鯨の話もどこか中途半端である。代が若くなればなるほど、記憶の「そばにいる」のは困難になる。その近さが回復される日はかならず来ると期待して、デッドラインのないサーガの行方をひきつづき追っていきたい。


 古川真人さんが4回目のノミネートで受賞されたのですが、「選評」を読むと、最初は「受賞作なし」になりそうな雰囲気だったのが、「せっかくだから、なんとか芥川賞を出そう」ということになって、『背高泡立草』が浮上してきた、という経過だったようです。
 僕も受賞作の『背高泡立草』を読んだのですが、正直、読みにくいし途中に挿入されているエピソードもあまり有効とは思わなかったのです。
 芥川賞って、方言とか、訳の分からない「新しい文体」で書かれていると有利になりやすいよね。下手に現代語でベタな比喩など使うと、山田詠美さんにロックオンされて面罵されるのに(選評読みとしては、山田砲が炸裂するのは楽しみではあるのですが)。
 この選評を読むと、『背高泡立草』を絶賛している選考委員はおらず、落選した前作のほうがよかったのでは、という人もいます。まず何か受賞作を出す、という前提のもと、消去法で選ばれたのが『背高泡立草』だったのかな、と思われます。
 
 受賞作も地味で面白くないし、候補者も話題性に乏しいということで、こういう芥川賞もたまには良いのでしょうけど、いざこういう回に遭遇してみると、有名人のノミネートが話題になり、「なんでこの作品が!」とか喧々諤々となる回が恋しく感じてしまうのです。
 なんのかんの言っても、芥川賞は、その選考もオーディエンスにとってはエンターテインメントではあるんですよね。
 他のジャンルですでに有名な人あり、盗作騒動あり、なかなか受賞できない悲劇の作家あり。

 『背高泡立草』のような作品は、芥川賞を受賞しないと、多くの人の目に触れる機会はないでしょうし、こういう作品を読んでもらう、というのも、ひとつの「役割」ではあるのでしょう。


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