琥珀色の戯言

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【読書感想】藤子・F・不二雄の発想術 ☆☆☆☆


内容紹介
ドラえもんの作者の仕事に学ぶ創作の極意


ドラえもん』や『パーマン』『キテレツ大百科』を生んだ国民的まんが家、藤子・F・不二雄が自らの言葉で語る「生いたち」「まんが論」「仕事術」。これまでに発表された膨大なインタビューやエッセイなどから、珠玉の言葉を厳選しました。生涯ブレることなく、自分の描きたいまんがをひたすら描き続けた藤子・F・不二雄のメッセージは、もの作りを行うすべての人に、創作のヒントと明日へのエネルギーを与えてくれるでしょう。
「物を作るというのは、その人の個性を100%発揮させないとうまくいかないんです。いろんな意見を出し合って、足して2で割る、3で割るというようなやり方ではダメなんです」(本文より)
藤子・F・不二雄が貫いた、こうしたブレない姿勢は、創作における彼の豊かな知識、発想力、そしてアイディアの育て方によって支えられていたと思われます。ふだんは寡黙だった藤子・F・不二雄が生き生きと語るのは、漫画づくり、特に発想のメソッドに集約されているからです。本書は、藤子・F・不二雄の言葉を集めただけの本です。何も足さず、何も割っていません。純度100%の金言集、ぜひご一読ください。


 今年、2014年は、藤子・F・不二雄先生の、生誕80周年にあたります。
 1970年代のはじめに生まれた、『ドラえもん』『コロコロコミック』直撃世代の僕にとって、F先生は、まさに「神様」みたいな人なのです。
 昨年、2013年の10月には、故人としてはじめて、NHKの『プロフェッショナル仕事の流儀』で、F先生が採り上げられていました。
 F先生は、『ドラえもん』『パーマン』などをはじめとする、マンガ作品とともに、マンガや子どものこと、創作についてなどについて、さまざまな言葉を遺されているのですが、ネット上で流布されているもののなかには、他のマンガ家の言葉と混同されていたり、本人の発言かどうか不確かなものもみられるようです。
 この新書では、きちんと出典が明示されており、確実にF先生の言葉だとわかっているものだけが採録されています。
 それだけでも、けっこう貴重なのではないかと思うのです。

 子どものころ、僕は”のび太”でした。(1989年『小学四年生』10月号/小学館

 ひどく人見知りする子でした。いつも教室の片隅でヒッソリすわっている。まァ、いるのかいないのかわからないような生徒でした。


(中略)


 飛び箱! 恐怖の箱。あんな高い台の上で飛びはね、回転して降りるなど、そんな大それたことができるわけはない。それなのに、できない生徒はどなられるのです。体育専任だったと思いますが、恐い先生でした。ところが私だけは例外でした。あきらめてしまったのか、それとも同情からか。どっちにしても自分だけが叱られなかったのは、こたえました。


 悪筆にも引け目を感じていました。腕力の弱さ。社交性の欠如。あらゆる問題が劣等感のタネになりました。(1966年『小二教育技術』5月号/小学館


 川崎市にある『藤子・F・不二雄ミュージアム』を先日訪れたのですが、その展示のなかにも、F先生が人見知りをする、運動音痴の子どもだったことが紹介されていました。
 同じように体育の時間が大嫌いだった僕は、F先生にすごく感情移入してしまいましたし、それと同時に「そういう子どもでも、自分が『好き』だと思えるものとの出会いがあれば、こんなすごい仕事ができるのだな」と感動したのです。
 同じく運動が苦手な僕の息子にも、教えてやりたいな、と。
 繊細というか、なんというか、運動音痴って、飛び箱を強要されるのは嫌なのだけれど、「じゃあ、お前はやらなくていいよ」と特別扱いされることにも傷ついてしまったりするんですよね、大人にとっては、めんどくさい存在なんだろうなあ。
 そういう気持ちを、F先生は、ずっとずっと忘れなかった。
 だからこそ、ずっと子ども向けのマンガを描くことができたのだろうな、と思うのです。


 また、自分たちのマンガについて、こんなことも仰っています。

 ある意味では古いまんがなんですね。ああいう一見他愛ないものをあえて描こうとする人は、あまりいないわけですよ。
 僕と安孫子が、まんが界の化石なんて呼ばれたのは、かなり久しい昔ですけどね。
「キミたちの絵は古い! こういう丸い線はもう流行らない」と言われたね。新人の時、ダメだと言われたんだもん、もうこれ以上古くなりようがない、そのへん強いもんです。(1989年『少年サンデー』2月8日号/小学館


 「藤子不二雄」がデビューした、1950年代から、「古い絵」と言われていたにもかかわらず、結局、2014年になっても、F先生(もちろんA先生も)の作品は、多くの人に愛され続けているのです。
 僕の5歳の息子も、『ドラえもん』大好きです。
 これを読むと「古い」「新しい」に踊らされるより、「自分の作品」を貫いたほうが、かえって古びないのだな、という気がしてきます。
 ただ、F先生は、「昔のままの作品」を何も考えずに描いていたわけではなく、常に新しいことを研究し、改良していく人でもありました。


 A先生とのコンビ解消について。

 『ドラえもん』や『パーマン』は私で、『怪物くん』や『忍者ハットリくん』は安孫子くん、というようにまったく別でした。
 一つの名前で、まるっきり別の作風が出てくるというのを、皆さんに幅広さと解釈してもらえたのかな、とも思うんです。『まんが道』のようにリアルなまんがは、僕には描けませんから。僕は、わりと空想的じゃないとダメなもんで。だから、他人から僕も『まんが道』を描いているという前提で話しかけられると、とてもつらいんですよ。
 それより、はっきり分けちゃったほうが、すっきりしていいんじゃないかということで、コンビを解消したわけです。べつにごまかしていたのじゃなくて、なんとなく不精して一つの名前で描いていただけなんですよ。(1993年『サンデー毎日』5月9・16日合併号/毎日新聞社

 F先生本人の言葉で聞くと、「なぜいまさら」と当時は感じたコンビ解消の理由も、なんとなく理解できたような気がしました。 真面目なF先生は(そしてもちろんA先生も)、自分が描いていない作品のことで、描いた人として質問されたり、ファンです、と言われることが、どんどんつらくなってきたのだろうなあ、と。
 

 この本には、たくさんのF先生の珠玉の言葉が紹介されているのですが、そのなかでも、とくに印象に残った言葉を最後に御紹介しておきます。

 ところが、この「人気」というものは、すごぶる正体がとりとめのない漠然としたものです。それでもやっぱり、それぞれの時代にはその時代の人気を集める作品というものが常にあるわけで。じゃあ、その人気まんがをどうやって描いたらいいか。そんなことが一言で言えたら苦労はしないのですが、ただ一つ言えるのは、普通の人であるべきだ、ということです。
 人気のあるまんがを描くということは、決して読者に媚びることではありません、小手先のテクニックで、「こう描けば、人気が出るんじゃないか」とか、「こういうことを描けば、うけるんじゃないか」。そういうやり方では、作れないのです。
 人気まんがというのは、どういうまんがであるか。それは、まんが家の表そうとしているものと読者の求めるものとが、幸運にも一致したケースなのです。つまり、大勢の人が喜ぶということは、共感を持つ部分が、そのまんが家と読者との間にたくさんあった、ということです。かたよったものの見方や考え方をする人は、大勢の共感を得ることはできない。だから、まず最初に普通の人であれ、というのはそういう意味なのです。
 そのうえで、ただ本当に普通の人であったのでは、まんがなんてものは描けません。プラスアルファ、何か自分だけの世界を一つは持っているべきである。それは、必ずしもまんがに直結したものでなくてもいいのです。釣りが上手であるとか、模型作りに熱中するとか、SF小説を読みあさるとか。そういったことが、その人の奥行きになって、しごくありふれたものにプラスして、何か個性みたいなものが生まれてくるんじゃないか、と思うのです。(1984年/第8回 藤子不二雄賞コメント)

 まんが家は、「普通の人でなければならないけれども、本当に普通の人には、まんがは描けない」。
 表現とか創作って、ものすごく矛盾したものであること、そして、「人気」というのは、あれだけの人気作品を描いてきた人にも、よくわからないところがあるのだなあ、と、あらためて考えさせられました。



こちらはA先生の著書です。

78歳いまだまんが道を

78歳いまだまんが道を

参考リンク:【読書感想】78歳いまだまんが道を… (琥珀色の戯言)

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