琥珀色の戯言

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【読書感想】黄金の旅路 人智を超えた馬・ステイゴールドの物語 ☆☆☆☆


黄金の旅路 人智を超えた馬・ステイゴールドの物語

黄金の旅路 人智を超えた馬・ステイゴールドの物語


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
50戦7勝、2着12回、3着8回―現役時代、勝ち切れなかった馬が、オルフェーヴルゴールドシップフェノーメノレッドリヴェールといったG1産駒を次々と輩出。いまや日本有数の種牡馬にまで成り上がった“大逆転”の軌跡。


ステイゴールドって、本当に、不思議な馬だなあ、と思いつつ読みました。
ステイゴールドの現役時代は、僕が競馬にいちばん熱中していた時期とも重なっていて、よく覚えているのです。
競馬界屈指の、「シルバーコレクター」。
とにかく、2着が多い馬だった。
あのサイレンススズカの唯一のG1勝利だった1998年の宝塚記念は、サイレンススズカの2着、サイレンススズカが道中で怪我をして完走できなかった同じ年の秋の天皇賞でも、オフサイドトラップの2着。
3着ばかりのナイスネイチャとともに、よしだみほさんのマンガで、よくネタにされていたものでした。

 なかなか勝ちきれない歯がゆさ、もどかしさゆえに愛される馬は、いつの時代にも存在する。競馬の世界では永遠不滅のキャラクターといえるだろう。しかしステイゴールドほど長期間にわたり、ハイレベルな惜敗を繰り返した馬も過去にはいなかった。何しろG1の舞台で2着を4回、3着も2回記録しながら、主な勝ち鞍といえば依然として、三歳夏の「阿寒湖特別」にとどまり続けているのだ。その稀有な足跡は見る側の心をひきつけずにはおかなかった。

だからこそ、7歳まで走り、引退レースの2001年香港ヴァーズで、はじめてG1を勝った(しかもいきなり国際G1)ときは、「なんてドラマチックな話なんだ」と感動したものです。


その一方で、主戦騎手のひとりだった熊沢重文騎手の、こんな述懐が紹介されています。

 ただし頑張って頑張って、ひやむきに走っても金色のメダルに手が届かないことに同情めいた感情を抱いた人がいたとすれば、それは誤解というものだ。ちょっぴり苦い表情を浮かべながら熊沢が振り返る。
「どちらかといえば晩成タイプで、自分が乗っていた頃にはまだ、完成の域には達していなかったことは確かだけど、レースを走り終えた後に馬が”参った”という顔をしているのを見たことがなかったものね。その意味で僕は、あの馬のすべてを引き出しきれなかったんだと思う。(惜敗を重ね続けたのは)それが最大の要因じゃないかな」


能力はあったものの、なかなかうまく勝ちに結びつけることができない馬だった、というのが関係者の見方だったようです。
とはいえ、あの「シルバーコレクター」が、こうして人気種牡馬になり、三冠馬オルフェーヴルをはじめとして、ドリームジャーニーゴールドシップフェノーメノナカヤマフェスタレッドリヴェールという多数のG1馬の父親になるとは、予想もしていませんでした。
ステイゴールド自身は、最後の最後に、ようやくひとつG1を勝てたというのに、産齣たちは、面白いようにG1勝利を積み重ねていっています。


競馬って、本当に不思議なものだと思います。
この本を読んではじめて知ったのですが、社台ファームは、当初、ステイゴールドを外部に売ってしまう腹づもりだったそうです。

 社台グループと日高軽種馬農業協同組合の間でステイゴールドの売買交渉が行われたとき、社台グループ側が提示した売却価格は3億円だったという。「極めてお買い得だった」というのはもちろん、今だからいえる話。2001年春の時点でこの提示価格をどう受け止めるかは人によって見解が分かれた。

サンデーサイレンスの子とはいえ、当時はサンデーサイレンス自身も元気でしたし、ステイゴールド以外にも、有望なサンデーの後継者候補はたくさんいたのです。
結局、価格が高い、という相手の判断で、この売却話は流れてしまい、社台を中心としたシンジケートが組まれることになりました。
もし、あのとき他所に売られていたら、いまのステイゴールドの大成功は、無かったかもしれません。
交配される牝馬の質も、違っていたでしょうから。
ちなみに、現在のステイゴールドの種付け料は、1頭800万円まで上がっています。
種牡馬デビュー時の種付け料は、受胎確認後に払えば150万円、仔馬が生まれた後に払うのなら200万円でした。競争馬の場合は、受胎するかどうか種付けしてみないとわからないのと、出生時のリスクが高いので、こういう「条件付き契約」になっている場合が多いのです)
いまや、ステイゴールドは大人気種牡馬ですから、おおまかな数字にすると、年間100頭に種付けするとして、1年で8億円稼ぐことになります。
たしかに、結果的には、3億円なら「激安」だったのです。
何十億円もかけて連れて来た種牡馬の仔がまったく走らないのもまた、競馬なんですけどね。


サンデー産齣のなかでも、「そこそこ」の存在であり、サンデーサイレンスと比べたら、「超一流とはいえない牝馬」を中心に種付けされてきたなかでのこの実績、そして、なんといっても、G1を勝つ「大物」を何頭も出してきたことが、ステイゴールドの大きな魅力です。
なかでも、メジロマックイーン父親に持つ牝馬との相性の良さは驚くばかり。
メジロマックイーン種牡馬としては成功できなかったため、マックイーンの子供はそんなにたくさん残っていないにもかかわらず、ドリームジャーニーオルフェーヴルという兄弟と、別の父マックイーン牝馬から、ゴールドシップというG1馬を輩出しているのです。
この本のなかでは、「マックイーンを父に持つ牝馬に、ステイゴールドを種付けする」ために、一度手放したマックイーンの娘を探し当てたり、乗馬にしていた牝馬を買い戻して繁殖牝馬にした例も紹介されているのです。
こういう「大逆転劇」が、たまに起こるのも、競馬なんだよなあ。


サンデーサイレンスと、メジロマックイーンには「縁」がありました。
この2頭は、社台スタリオンステーションで「お隣さん」だったのです。
当時の担当者であった社台スタリオンステーションの工藤さんは、こう話しておられます。

 よく知られているとおり、サンデーサイレンスはとても烈しい気性の馬で、人間ばかりか他の種牡馬に対しても常に威嚇するようなオーラを放っていた。多くの種牡馬は王様意識を持っているから、挑発されれば応じるのが常。ところがマイペースな性格をしたメジロマックイーンは、威嚇されたり挑発されても知らん振りを決め込む。するとサンデーサイレンスも尖った性格の矛を収め、次第に落ち着いてくるのだった。
「サンデーは放牧地に入ってくると、マックイーンが隣にいてもまずはバーッと走り回るんです、だけどマックイーンは釣られて騒いだりはせず、のんびり草を食べていて、そのうちに『お前、何を騒いでいるんだよ』みたいにサンデーのほうへ寄っていく。そうするとサンデーも落ち着いて、あとは二頭でスーッと歩くんです」
 何らかの事情で放牧の時間がずれてメジロマックイーンより先に放されると、サンデーサイレンスは”アイツはどうした?”とばかりに暴れてしまうので、二頭の放牧の順番はいつもメジロマックイーンが先と決められていたそうだ。


それぞれ性格が違う、歴史的名馬二頭。
彼らはまさに「馬が合った」ということなのでしょう。
そして、彼らの孫として、三冠馬オルフェーヴルが生まれた。


ドリームジャーニーオルフェーヴルは「サンデーサイレンスの血を引く種牡馬ステイゴールドの大成功」であるのと同時に、日本が誇る名馬であり、日本の競馬とメジロ牧場の歴史を受け継いできた馬、メジロマックイーンの血の復権、でもあるのです。
オルフェーヴル種牡馬として成功できるかどうかは、まだ未知数ですが、オルフェーヴルを通じて、マックイーンの血が残っていく可能性は大きく膨らみました。
競馬界では、父方(父系)での血の継承が重視されるのですが(お金に関していえば、種牡馬ビジネスというのが大きいこともあり)、こうして、種牡馬としての失敗で絶えてしまいそうだったマックイーンの子孫が残っていくのは、すごく嬉しいことなんですよね。
競馬ファンというのは、活躍している馬の血統表の片隅に、自分が応援していた馬の名前を見つけるだけで、けっこう幸せになれる人種だから。

「引退レースの香港ヴァーズを勝ったとき、それまでG1を勝てなかったのは最後の勝利を盛り上げるための伏線で、馬が自分で筋書きをつくっていたんじゃないかと思いました。それと同時に、この馬の物語はあのレースで完結したようにも思ったんです。
 だけどそうではなくて、物語にはまだ続きがあった。だからこれからのことだって分かりませんよ。何しろステイゴールドはいつだって人間の考えや想像の上をいく、人智を超えた馬なんですから」
 そういって悪戯っぽく笑ったのはステイゴールドの生まれ故郷、白老ファームの石垣節雄である。


こういう馬が出てくるから、競馬って、なかなかやめられないんだよなあ。