http://www.nikkansports.com/race/f-rc-tp0-060403-0016.html
参考リンク:メジロマックイーン〜名勝負なき名ステイヤー
http://keiba.yahoo.co.jp/story/saikyou/mejiromcqueen/
↑のタイトルは、なんだかセンスないなあ、としか言いようがないのですが、確かにマックイーンというのは、あまりに強くて安定感があって、その割には圧倒的な着差をつけてぶっちぎる、というようなレースが少ない馬ではありました。そして、ダイユウサクに有馬記念で差され、ライスシャワーに春の盾3連覇を阻止され、秋の天皇賞では圧勝かと思いきや「歴史的斜行」で、唯一無二の「G1レース1着失格馬」になっています。この馬の成績と見れば、その秋の天皇賞での降着以外はほぼ完璧な成績にもかかわらず、勝って主役になったレースはトウカイテイオーとの一騎打ちになった5歳(旧6歳)時の春の天皇賞くらいだったんですよね。強いが故に、目立ったのは「負け役」としてばかりだったという皮肉。
マックイーンの全盛期は、武豊を蛇蝎のごとく嫌っていて(若いのにいい馬にばかり乗せてもらって勝っている、という妬みそねみメインの嫌悪感だったのですが)、マックイーンは嫌いな馬だったのですが、この馬が日本競馬史上に残る名馬だったことは、まぎれもない事実だし、とうとう走っている姿をリアルタイムで見て知っている名馬たちが、事故ではなく寿命で命を落としていく年齢に僕もなってきたのだな、という意味でも感慨深いです。しかしながら、この馬には種牡馬として、メジロアサマ、メジロティターン、メジロマックイーンと続いた「親子3代春の天皇賞馬」の血を残すという使命があったはずなのに、活躍馬のほとんどが牝馬で、牡系に後継馬を残せなかったのは残念です。オグリキャップにしても最大活躍馬がオグリワン、という状況で、あの競馬ブームの時代の名馬たちの多くが種牡馬として成功できなかったのは、とても悲しいことではあるのです。あのサンデーと同時代だったのは、まさに悲劇としか言い様がないし、あのノーザンテーストですら、牡系は続きそうにないのが現状だとしても。
それにしても、マックイーンのような距離適性の広い馬は、これから出ることはほとんど無いような気がします。「ステイヤー」と言うけれど、2000mから2400mくらいのレースでも、ものすごく強い馬だったのですよね。重ね重ね、どうして種牡馬として成功できなかったのかなあ……