琥珀色の戯言

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【読書感想】初音ミクはなぜ世界を変えたのか? ☆☆☆☆


初音ミクはなぜ世界を変えたのか?

初音ミクはなぜ世界を変えたのか?


Kindle版もあります。

初音ミクはなぜ世界を変えたのか?

初音ミクはなぜ世界を変えたのか?

内容紹介
2007年、初音ミクの誕生で三度目の「サマー・オブ・ラブ」が始まった。気鋭の音楽ジャーナリストが綿密な取材を元にその全貌を描ききる、渾身の一作!


◆2007年8月に登場したボーカロイドソフト「初音ミク」。ニコニコ動画を中心に「ボカロP」と呼ばれる一般ユーザーたちが大量の新曲を発表する原動力となった彼女は、単なるツールやソフトウェアの枠組みを超え「音楽の新しいあり方」を示す象徴となった。
現在、初音ミクを使用した楽曲はオリコン/カラオケチャートにおいて上位を占め、CDショップでは専用コーナーが常設され、海外展開も積極的に行われている。


クリプトン・フューチャー・メディア株式会社伊藤博之氏・佐々木渉氏、ヤマハ株式会社剣持秀紀氏など開発担当者、またニワンゴ株式会社杉本誠司氏など周辺関係者に多数取材。さらには著者が長年続けてきたryo(supercell)氏、kz(livetune)氏、じん(自然の敵P)氏、とくP氏、冨田勲氏、渋谷慶一郎氏らクリエイターへの取材を元に、00年代の日本のインターネット発で生まれた熱気とエネルギーを描き出す。


◆キャラクター文化やオタク文化、ネット文化、新たなビジネスモデルの象徴……。様々な側面から語られてきた"初音ミク"の存在を初めて音楽の歴史に位置づけ、21世紀の新しい音楽のあり方を指し示す画期的な論考である。


 僕自身は、『ニコニコ動画』の熱心な利用者ではありませんし、『初音ミク』についても、「若者たちが楽しんでいる、自分には関係のない流行」だと認識していました。
 でも、この本を読んでみると、僕が「なんだか突然変異のように出現してきた」と思い込んでいた「ボーカロイド」というムーブメントは、これまでの音楽の世界の「流れ」に沿って生まれてきたものだということが、なんとなく理解できたような気がします。
 というか、僕自身が、いかに最近の音楽業界に疎かったのか、再認識させられました。

 アニメやオタクカルチャーとの関わりや「萌え」というキーワードで語られることも多かったボーカロイドのシーンだが、初音ミクは、あくまでDTM(デスクトップミュージック)、つまりコンピュータを使って音楽を制作するためのソフトウェアである。その核にあったのはメロディと歌声だった。
 00年代には、ワクワクするような、新しい幕開けの時代があった。新しい文化が生まれる場所の真ん中に、インターネットと音楽があった。今となっては、沢山の人がそのことを知っている。多くの人たちがそのことについて語っている。
 この本は、それをもう一度、ロックやテクノやヒップホップ、つまりは20世紀のポピュラー音楽の歴史にちゃんと繋げることを意図したものである。初音ミクは、60年代から脈々と続いてきたポップミュージックとコンピュータの進化の末に、必然的に生まれたものだった、そういうことを語っていこうと思う。


 『初音ミク』が生まれたのは、2007年のことでした。
 当時の音楽シーンの雰囲気について、ずっと音楽雑誌や音楽関係のウェブで仕事をしてきたという著者は、こう振り返っています。

 音楽が売れない。
 00年代の10年間は、そんな悲観論ばかりが繰り返された時代だった。
 90年代末にピークを記録したCDセールスは、その後右肩下がりの落ち込みが続き、2007年には全盛期の約半分の規模にまで縮小している。日本だけでなく、世界中で同じ現象が起こっていた。CD売り上げの退潮は単なる一時的な不況によるものではなく、構造的な問題であることが明らかだった。この先、音楽ソフト市場はゆっくりと縮小していくだろう。そんな見通しが、様々な人によって語られた。
「これは”終わりの始まり”だ」
 2007年当時、レコード会社を中心にした音楽ビジネスに関わる人間の共通認識は、そういうものだった。バラ色の未来図を思い描いている人は、ほとんどいなかった。諦めにも近いムードが、業界には漂っていた。
だれが「音楽」を殺すのか?
 これは、津田大介氏が2004年に刊行した書籍の題名だ。
 混迷する音楽業界では、CDセールス減少の犯人探しが、様々な場所で行われていた。そして、多くの場合、コンピュータとインターネットがその槍玉に挙げられた。


 違法ダウンロードやコピーによって、CDの売り上げが下がっているのではないかと音楽業界が考え、コピーコントロールCDが導入されたのが2002年のことでした。
 しかしこれは、購入したCDをiPodなどの携帯型デジタルオーディオプレイヤーで聴くためには不便きわまりない仕様であり、ユーザーからの大きな反発を招いたのです。
 しかも、コピーコントロールCDにしても、売上の減少は食い止められませんでした。

 コンピュータとインターネットを敵視していた音楽業界の守旧派たちに、あらたな「音楽の可能性」を提示してみせたのが、『初音ミク』だったのです。

 
 ただし、この本によると、「ボーカロイド」も、最初からユーザーに大歓迎されていたわけではなく、むしろ、ほとんど売れず、2007年に発売された『初音ミク』は、「最後の賭け」でもあったそうです。


 この「2007年」というタイミングこそが、『初音ミク』を大きなムーブメントにしたのです。

 そして、初音ミクが現象を巻き起こす最大の要因となったのが、ニコニコ動画の登場だった。
 ニコニコ動画は、2006年12月に「ニコニコ動画(仮)として実験サービスを、そして2007年1月に「ニコニコ動画(β)」としてベータ版サービスを開始している。当初はYouTubeの投稿動画にコメントを載せる仕様だったが、2007年3月の「ニコニコ動画(γ)」からはID登録制で専用サーバに動画をアップロードする仕様にバージョンアップ。5月には登録者数100万人を突破し、あっという間に日本のネットユーザーに浸透していく。

 コンテンツをきっかけにコミュニケーションを生む場を提供する、その考え方は、動画上でコメントをやり取りするニコニコ動画の発想へと、そのまま引き継がれていった。
 最初期に生まれたのは、多数のユーザーが同じコメントを一斉に打つ「弾幕」と呼ばれる遊びだ。そのきっかけとなったレミオロメン「粉雪」のPVでは、サビの部分で元の映像が見えなくなるほど、画面が歌詞で埋め尽くされた。
 弾幕のきっけかになるのは「ネタ」だった。Jポップの人気曲も投稿されたが、ただ格好いいだけの曲は盛り上がらない。むしろゲーム『新豪血寺一族―煩悩解放―』のPV「レッツゴー!陰陽師」や東方Projectのアレンジ曲「魔理沙は大変なものを盗んでいきました」など、突拍子もない展開やコミカルな曲調を持つ動画が人気を集めた。ユーザーがツッコミを入れることができるユーモラスな要素を持つ曲が受け入れられたのである。そこから、既存の音源や映像を組み合わせ、その絶妙なマッチングや、逆に笑えるミスマッチを楽しむ「MAD動画」がニコニコ動画上で流行していく。


 ボーカロイドの登場以前にも、自作曲を紹介してくれるラジオ番組があったり、「同人音楽」を好事家たちが楽しむ、という文化は存在していました。
 とはいえ、ネットが普及する以前は、彼らの曲をみんなの前で発表する機会は、なかなかなかったのです。


 それが「ニコニコ動画」をはじめとする動画投稿サイトのおかげで、簡単に、多くの人に聴いてもらえる可能性のある場所にアップロードすることができるようになりました。


 その一方で、2007年頃から、ネット上での「著作権に対する意識」が厳しく問われるようになってきたのです。
 「MAD」の場合は、どうしても、「元ネタの著作権を侵害している可能性がある」ということで、削除対象になったり、他のユーザーからの批判も出てきたのです。


 その「既存の曲を使うのが、難しくなった状況」に、ちょうど『初音ミク』があらわれました。
 ボーカロイドを使ったオリジナル曲の流行は、「著作権問題を考えると、オリジナルでやるのがいちばん『無難』だろうという、消極的な選択であった面」もあったのです。


 ところが、実際にそれでオリジナル曲をつくって、それが多くの人に賞賛されたり、ツッコまれたりしながら共有されるようになっていくと、「自分たちで、自由に曲をいじって遊んだほうが、面白いんじゃないか?」と思う人たちが、増えていきました。

 批評同人誌『ボカロクリティーク』の編集長、中村屋与太郎氏はこう語る。
「特に日本国内に限って言うのであれば、音楽のムーブメントで、仕掛け人がいなかったのにここまで広がったのは、ほとんど初めてじゃないでしょうか。それまでの音楽ジャンルには必ず誰か仕掛け人がいた。たとえばアイドルブームだったら、どうやったら女の子たちを売り出せるのかを知恵をひねり出しながら考えた大人がいた。しかしボーカロイドは、ほとんど有象無象が作ったムーブメントだったんですよ」


 誰かのマーケティングに基づくものではないし、「核」となる誰かや何かがあったわけでもない。
 あえて言えば、『初音ミク』というキャラクターそのものが「核」ではありますが、それを作った人たちも、こんな形で、その世界が広がっていくとは予想していなかったのです。


 また、『初音ミク』に関するムーブメントを追っていくと、人気ボカロP(ボーカロイドの楽曲をつくる人)たちが、一時的な金儲けよりも、ボーカロイドによる作品が「さらにいじって遊べるもの」であることを望んだことが、大きな「流れ」を生み出したのだと思われます。
 そういう「ボカロPたちの理想」に対して、「ネット上での改変をフリーにしながら、カラオケなどでの印税をもらえるような契約」によって、「ネット上での自由」と、「製作者たちが対価を得て、音楽で食べていけるという夢を持てること」の両立をはかった周囲の人たちの善意のサポートもあったのです。


 ただし、著者はこの熱気にあふれた時代、「サマー・オブ・ラブの時代」が、永続するものではないことも予測しています。

 ここまで書いた通り、2011年は、初音ミクを巡る現象が一つのピークに達した時期だった。それまであくまで「インターネット発」として見られていたボーカロイドシーンの動きが、その垣根を超えて音楽シーンに顕在化した年だった。
 そして、2012年はムーブメントの変質が徐々に明らかになっていった時期でもあった。それは商業化によって勃興期の熱気が失われたという変化でもあった。
 新しい熱が生まれると、それはブームになる。そうしてブーム自体は去っていく。それは避けられない宿命のようなものだ。
 しかし、勃興期の熱気である二度の「サマー・オブ・ラブ」は終わっても、ロックという音楽が死に絶えることはなかったし、クラブカルチャー自体が廃れることもなかった。むしろその後の10年にそれぞれの「黄金期」とも言うべき時代を迎えている。ロックにとっての70年代、クラブミュージックにとっての90年代は、それぞれ名作と呼ばれる作品が続々と登場する充実した時代になっている。
 ブームは去っても、カルチャーは死なない。

 
 なんのかんの言っても、僕自身は『初音ミク』のことをほとんど知らないまま、ボーカロイドの一番面白い時代が終わっていってしまうのかもしれません。
 ただ、ボーカロイドが、これから、「より多くの人や世代に広がっていく」可能性はあるのです。


 『初音ミク』は自分とは無縁のものだと考えている人こそ、この本を読んでみて損はないかもしれません。
 僕も、この本を読んで、「面白そうだな、ちょっと聴いてみようかな」と思ったんですよね、今さらですけど。