琥珀色の戯言

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【読書感想】骨董掘り出し人生 ☆☆☆


骨董掘り出し人生 (朝日新書 80)

骨董掘り出し人生 (朝日新書 80)


Kindle版もあります。

骨董掘り出し人生

骨董掘り出し人生

内容紹介
カネのない辛さにも、ニセモノをはめられるのにも、古伊万里をひろめたのにも、すべてに意味がある……。「開運!なんでも鑑定団」の名物鑑定士が、流転の少年時代、つらい修行時代を振り返る。失敗も人との出会いも、すべて自分の糧に……骨董を掘り出すように、人生も掘り出してきた著者の実践的骨董修行記。目利きの成り立ち、ホンモノとニセモノの見分け方、真のお宝のみつけ方など、実践から生まれた豊かな知恵と生きるヒント。骨董に限らず中島美学の神髄が満載。


 7年前に出た新書なのですが、お正月のセールでKindle版が安くなっていたので購入。
 僕自身は、『なんでも鑑定団』は「ときどき観るくらい」なんですけどね。


 この新書では、中島さんの少年時代から、修業時代、独立して店をはじめ、「古伊万里」を世間に認知させ、『なんでも鑑定団』に出演するまでが書かれています。
 中島さんへの興味というよりは、
 どういう人が「骨董屋」になるのか?
 そして、「目利き」になるには、どんな修行が必要なのか?
 そんな興味から、読み始めたのです。


 中島さんは、けっして「ぬるい人生」を送ってきたわけではなくて、少年時代から肉親との別れや養家での「生きて行くための駆け引き」をしてきた人なんですね。
 そして、審美眼を養うためには、「良い品物を観る」ことも必要だけれども、それだけでは十分ではないようです。

 庭で作った野菜を浅漬けにしておかずにしていたような生活でしたが、おやじならではの習慣で、我が家では物事すべてに形が定まっていました。たとえば、キュウリの浅漬けは三角に切らないといけない。ちゃぶ台は畳の目に合わせて置かないといけない、箸を使う時は箸の先から一寸以上汚してはいけないとか。おやじはそういった決まり事を、水戸幸の小僧時代にたたき込まれていました。そのお陰で、いまだに私は弁当を使うとき、箸の元まで汚したことはありません。
 三角に切られたキュウリの浅漬けが、焼けただれた乾山の手鉢に盛られる。乾山とキュウリを毎日眺めながら、私は美しいとか美しくないの問題ではなく、ものを愛惜すること、慈しむことを学びました。

 ここでの「おやじ」は、有名な骨董商であった、中島さんの養父をさしています。
 そういえば、僕の知り合いにも「食事をするときに、箸の先の短い部分しか汚れない人」がいたんですよね。
 たしかに「育ちのよさ」を感じる人でした。
 生来のセンスというのも必要なのでしょうが、こういう「後天的な要素、日常の過ごし方」が大事なのだろうなあ。


 また、こんな話も紹介されています。

 風呂敷の包み方がきちんとできるかどうかで、どれだけ仕込まれているかが判断できます。以前は競り市の記念品は必ず風呂敷だったことからも分かるように、骨董屋にとって風呂敷は、商売になくてはならないものでした。
 私はそろそろ70歳になりますが、日本で風呂敷が完璧に結べる五人のうちの一人だという自負をもっています。私に真田紐と風呂敷と道具を持たしたらすごいですよ。私の風呂敷包みは個性があります。どこに置いてあっても、すぐにこれは中島のものだと分かります。だから今でも、風呂敷包み一つ見ただけで、番頭さんや小僧さんの修業の度合いが分かります。きちんとした風呂敷包みは、高級旅行トランクのようにびしっと決まり、とても丈夫です。

 ちなみに、いまではダンボール箱が使われるようになり、「風呂敷の技術」は伝承されていないそうです。


 中島さんのテレビ出演については「宣伝にもなるし、だいぶ得したんじゃないか?」と思ってしまうのですが、実は「出演するには、かなりの思い切りが必要だった」そうです。

 テレビに出て鑑定することを恥ずかしいと思ったのはそこです。プロの骨董業者、まして伝統的な目利きの家に育った人間にとって、素人のためにする鑑定は芝居のようなものだったのです。
 鑑定は自分のためにして秘する行為であり、他人のためにするものではない。ましてペラペラ喋るものではないのです。
 第一、我々の商売は、真贋をはっきりいったら成り立ちません。いいものは黙って安く買い、ニセモノは買わない。ただそれだけです。ニセモノだと断定して、相手から顰蹙や恨みを買うような馬鹿なことはしないで、ニセモノだとわかった時は「大切にお持ち下さい」と言うだけです。今でこそ皆さんは当たり前のように、私の顔を見ればイクラですかと聞きますが、本筋の業者にはそんなことは聞けません。彼らが本当のことをいうわけないじゃあないですか。
 1994年の当時、収録に協力するのは、今の方々が考える何十倍もの度胸や思いきり、踏ん切りが必要でした。まして、私の後ろには、親の代から私を知っている数百人のプロの業者が控えているのです、中島誠之助は、ずいぶん身を落として、恥かきをしたものだと言われるに決まっています。でも、あえてそこに踏み切ったのは、私の未知の世界に対する探究心と時代への進取の気風だとしか考えられません。

 言われてみれば確かにその通りで、「鑑定結果をガラス張りにする」というのは、業界にとっては、かなり大きな影響があったはずです。
 あの番組によって、「骨董が身近なものになった」のは確かですが、その一方で、目利きの言い値だった世界に、「適正価格」が明示されるようになりました。
 商売というのは「利ざや」を稼がなければなりませんから、「安く買って、高く売らなければならない」のです。
 無知な相手に対しては、けっこう悪どい商売をしていた「目利き」もいたはず。
 番組の影響で、そういうのが、かなり難しくなってしまったのは、間違いないでしょう。
 いまは、ネットなどでの「評判」も参考にされるでしょうし。


 この新書のなかには、島田紳助さんの、こんなエピソードが紹介されています。

 普通美術骨董を扱うプロ同士は、壁を作って相手を観察してから、こちらの手を打ちます。それがいきなりテレビカメラの前に初対面の五人で机に並ばされて、さあこれはいくらですかとやられたのにはたまらんと思いました。誇り高き青山の「からくさ」店主が何をやってんだ、こんなものに出られるかと、いいかげんに済ませて帰ろうと思ったら、司会の島田紳助が私の顔をじろっと見て開口一番、「まず中島先生を鑑定しましょう」と言ったのです。
 これで私ははっとしました、島田紳助という人はすごい。私の心中を読まれました。こう言われたら、嘘や適当なことは言えません。本当のことはあいまいにし、いいものが提供されても、「ご趣味がいいですね」ぐらいにして、いい加減に済まそうと思ったのが、紳助の言葉でやる気が出ました。
 この紳助の一言が、今までの発想をまったく変えたスタートの始まりでした。
 そして、収録が終わった時に紳助が発した言葉が、「20年はこの番組はいく」でした。私は半年も続けばいいと思っていたので、二度びっくりしましたが、その後の展開を見ていると紳助の言った通りになりました。

 島田紳助さんは、現在謹慎中です。
 僕も「暴力団とのつながり」が事実であるならば、謹慎やむなし、と思います。
 ただ、「出演者をやる気にさせる能力」や「ヒットするものを見極める力」というのは、やはりすごい人だったのだな、と感じました。
 島田紳助という人もまた、「目利き」ではあったのでしょう。

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