琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】M-1はじめました。 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

今世紀のお笑いブームの陰には、
忘れ去られていた漫才を立て直そうと奮闘した
1人の吉本社員の泥臭いドラマがあった――。

毎日会社に行くのがつまらなかったぼくは、
「ミスター吉本」の異名を取る常務からあるプロジェクトを言い渡された――
その名も「漫才プロジェクト」。

M-1につながる一歩がここから始まった。


 今年(2023年)は12月24日、クリスマスイブに行われる。M-1グランプリ決勝。
 僕は劇場に足を運んだり、お笑い番組を好んで観るような「漫才ファン」ではないのですが、『M-1』は毎年楽しみにしています。
 選ばれた10組のネタの面白さとともに、あの舞台に賭ける漫才師たちの人間ドラマに惹きつけられてしまうのです。
 一夜で「(良いほうに)人生が変わる」のを、リアルタイムで目撃することができる、真剣勝負の緊張感。

 この本、元吉本興業の社員で、企画・制作として『M-1』の開催に至るまでの実務を取り仕切ってきた著者が、「第1回のM-1ができるまで」を振り返ったものです。
 『M-1』といえば、「島田紳助さんがつくり、松本人志さんが支えてきたイベント」というイメージが強いのですが、紳助さんや松本さんが予選からすべての運営や審査をしたり、会場を押さえたり、スポンサーから「優勝賞金1000万円」を引き出したりするわけではありません。
 そんなことは、考えてみれば当たり前なのだし、この本を読むと、やはり「島田さん、松本さん」という二人の名前の影響力が、「この企画自体がネタで、1000万円なんて、冗談だったってオチじゃないの?」「吉本興業がやるイベントなんだから、吉本芸人が勝つことになっているんじゃないの?」という立ち上げ時の参加者たちの不安や危惧を払拭した面は大きかったのだと思います。
 スポンサーがオートバックスに決まるまでの経緯も書かれているのですが、「テレビ局だったら、1000万円くらいすぐになんとかできるんじゃない?」というのは、僕の思い込みだったのです。

 第1回が開催された2001年は、漫才ブームが去ってから10年以上が経ち、「漫才をやりたくても、事務所からはコントをやることをすすめられる」という時代だったそうです。


 そもそも、「漫才」と「コント」との違いとは?

 そもそも漫才とは、ふたりのしゃべりだけで世界をつくり、客を引き込み笑いを起こさないといけない。それには、いいネタをつくった上で、何度も何度も稽古をしてふたりの息と間を合わせる必要があった。
 その息と間を身につけるには粘り強い稽古が必要で、しかも誰でもできるものではなく、才能が必要だった。
 その点コントであればセットや小道具、衣装、照明、効果音などを使って世界観はつくれる。そういうものの助けがあってコントを演じればいいので、漫才に比べるとハードルからして違う。特に、しゃべりがまだ拙い新人レベルにはとっつきやすかった。ネタさえしっかりしていれば新人でもそれなりに見られるものができる。
 漫才はネタが良いだけではそうはいかない。ネタにプラスしてある程度の技術も必要だ。もちろん、コントもその道を究めていくとなると漫才と同じように高いレベルの技術が必要なのだが。
 会社としては、テレビに出せる若手をつくればそれでよかった。そこそこ見られるコントをこなせる若手の中から、テレビ向きの見栄えのよい者を選んでくださいということだ。
 ぼくはそれが気がかりであったが、とにもかくにも考えているだけでは何も始まらない。
 片や漫才をやりたいと思っている漫才師がいっぱいいて、片や漫才の存在を知らない若い世代=客がいる。なんとかこの世代に漫才というおもしろい芸能があることを知らしめ、劇場に足を運ばせられないか。そのためにとにかく動き出そうと思った。


 「これを漫才と言っていいのか?コントじゃないのか?」という問いは、M-1の決勝でも繰り返されていますし、きっちりと「定義」するのは難しいところはあるのです。

 著者は吉本興業の社員で、若い頃は、あの「やすし・きよし」のサブマネージャーも勤めていたそうです。
 東京と大阪を行ったり来たりしながら何本ものテレビレギュラーをこなし、大阪の舞台にも基本的には穴をあけることは許されない、という当時のスケジュールには驚かされます。人気芸能人というのは、今の時代もそうなのかもしれませんが。

 著者は、たったひとりの「漫才プロジェクト」の担当者として会社から指名されたのですが、ひとりだけ、ということも含めて、最初はあまり期待されたプロジェクトではなかったし、著者自身も「まあ、仕事だからやれることをやってみるか」という程度の熱量だったようにみえます。

 それが、「漫才には恩義を感じていた」という島田紳助さんとの邂逅を契機として、M-1というイベントが予選から準決勝、決勝に進んでいくうちに、みんながどんどん乗り気に、真剣になっていったのです。
 「第1回は参加を渋る漫才師たちも多く、話題になるためには何でもやった」そうですし、「優勝賞金1000万円」は、お金がない若手にとっては、すごく大きい「動機」になりました。
 2023年、現在では「賞金は無しでもいいから、M-1チャンピオンになりたい」という漫才師も多いのではないかと思います。


 M-1の企画を某テレビ局に持ち込んだとき、その局のドキュメンタリー枠での放送を検討してみるということで、売れっ子のドキュメンタリー番組の構成作家を紹介されたそうです。

 ぼくは3人にM-1グランプリの企画を話した。これは若手漫才師の漫才のガチンコ勝負の大会であること、ガチで予選を勝ち抜いてきた漫才師10組が決勝で戦う番組だと説明した。
 聴き終えた構成作家が不思議なことを言った。
「決勝に出てくる10組の中に病気の親がいるコンビはいませんか」
「決勝に誰が残るかは最後までわかりません。ましてや病気の親がいるかどうかなんてわかりません。ガチンコが売りの大会ですから」
「いや、そういう何か衝撃的なことがないと視聴率は取れませんよ。例えば、決勝に残ったコンビのひとりの母親が重い心臓の病気にかかっていて、決勝の当日、大手術をすることになる。その漫才師はM-1グランプリの会場に行くか、それとも母親の病院に行くか、悩み抜くんです。そして、悩んだ揚げ句に病院に向かう、あるいは、M-1の会場に向かうんです」
「そんな母親を持つ漫才師がいるかどうかわからないし、よしんばいたとしても、その漫才師が決勝に残れるかどうかはわかりませんよ」
「そういう漫才師を探して、決勝に残すんですよ」
 そんな当たり前のこともわからないのか、と言われているような気がした。
 この男は何を言っているのだ。皆目わからない。途中でばかばかしくなってきた。
 ガチンコの漫才の大会だと説明しているではないか。それがM-1のキモなのだ。
 病気の親を持つ漫才師を、やらせで決勝に残せというのか。そんなことをしたら漫才を復興するという目的とは全く違うものになる。


 僕も読んでいて、「何が『ドキュメンタリー作家』だよ!」と腹が立ってきたのですが、2000年代はじめの地上波(という言葉すら、当時は意識していなかったけれど)のテレビ番組やテレビ局の空気感が伝わってくるエピソードだと思います。
 その一方で、エントリーできる最終年にようやくチャンピオンになった笑い飯が優勝した回や、錦鯉が王者になった回などは、彼らは十分面白かったのは間違いないけれど、審査する側、視聴者にも、ネタそのものへの評価に「このコンビを優勝させてあげたい」という「情」みたいなものが加わっていたのも感じていました。
 それも含めて「人間が人間を審査することの面白さと難しさ」ではあるのでしょう。
 M-1に関しては、漫才師たちのキャラクターの濃さや、緩急よりも制限時間内にどんどん笑えるポイントを積み重ねていく「M-1で評価されやすいネタによる攻略」が目立ってきているような気もします。
 世間が見た目や性別による差別、いじめやパワハラに敏感になってきていて、それを想起させるネタでは、ファイナリストになるのも難しい。
 漫才師というのは「時代の空気を読む」ことも求められているのです。

 2001年の第1回M-1決勝に残ったのは、中川家ますだおかだキングコングハリガネロックアメリカザリガニフットボールアワーチュートリアルおぎやはぎDonDokoDon麒麟の10組でした。
 22年経ってこうして名前を確認すると、ファイナリストの多くが現在まで大活躍していることがわかります。
 第1回がすごいメンバーで、番組として成功したからこそ、その後のM-1の隆盛が築かれた、とも言えそうです。


 著者は「仲の良い漫才師は面白い」というのが持論だそうです。
 吉本興業で、マネージャーとして、あるいはM-1の企画・制作者としてたくさんの漫才師をみてきた経験から、こう述べています。

 何十年とやっているベテランの漫才師になると、仲が悪くても、金のためと割り切ってやれるのだろうが、若手のうちはそうはいかない。夫婦が好きな人と結婚するように、元々こいつと組みたいと思い、こいつとやったらおもしろい漫才ができると思ってコンビを組んだのに、いつの間にか嫌いになっている、四六時中、それこそ奥さんよりも長い時間一緒にいるとお互いのアラが見えてくるのだろう。箸の上げ下ろしから、極端な場合、耳の後ろの毛の生え方が気に入らないとまで思うようになるらしい。
 その原因はおそらく嫉妬だ。
 おれがネタを考えてるのに、なんで相方の方が人気があるのだ。ボケのおれがおもしろいから人気があるのに、なんであいつが脚光を浴びるんだ、おれが突っ込むから漫才がおもしろくなるのに、なんであいつばっかりチヤホヤされるんだと思い始めると、自然と仲も悪くなる。


(中略)


 若い頃、一生懸命に売れたい、出たいと思って必死であがいているときは、ふたりで仲良くがんばる。目標が一緒だからだ。ところがいったん売れて人気が出て忙しくなり、マネージャーがつくと途端にコンビ仲が怪しくなる。
 漫才ブームで全国中に売れたある漫才師のマネージャーをしていたとき、ふたりが直接会話しないことがあった。それぞれが間にぼくを通すのだ。直接話せばすぐに済むことなのに、ぼくに言って、ぼくから相方の方に言う、相方はまたぼくに言う、まるで三角貿易のようだった。これでは相方ではない。


 人間関係って、パートナーとの関係って、難しいものだな、と考え込まずにはいられません。
 他人事であれば「直接話せばいいのに」と思うのに、当事者になると、みんなそれができない。
 この人とならうまくいくはず、と選んだ「相方」なのに、望み通り売れっ子になってみれば、自分ばかり損をしているように思えてくる。

 M-1で3回も準優勝した「和牛」の解散のニュースを思い出します。
 人気も評価も高いのだから、ビジネスだと割り切って、普段は距離を置きつつ、一緒に仕事をしていけないものなのか。
 たぶん「この人だ!と選んだ相方」だからこそ、それが難しいのだよなあ。


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